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複言語社会における翻訳の有用性

英語で考える、だとか、英語の授業は英語で行う、などと言われることが多くなりました。それはそれで大切なことですし、すばらしいことです。しかし、私たちは英語という単一の言語のみが使用される世界に暮らしているわけではありませんし、英語という単一の言語を使用する暮らしをしているわけでもありません。英語とは別の母語を持つ人がたくさんいます。その母語にも背景には文学などや演劇などの豊かな言語文化があります。つまり、私たちが暮らしているのは、英語だけの単言語社会ではなく、複数の言語を使う複言語社会なのです。

複言語社会では、一人一人の個人が複数の言語を学びます。日本の学校でも国語として日本語を学び、外国語として英語を学びます。日本語が母語である場合、その母語である日本語の直感を最大限に活用する言語学習が一般に効果的とされています。日本語を生かした英語学習などがそれに当たります。日英語の比較対照の有効性はこのnoteでも繰り返し触れています。その比較対照のなかでももっとも深い学習となるのが翻訳です。自然な日本語と自然な英語の間を翻訳という営みを通じて往還するのです。従来の訳読とは違います。不自然な訳文に妥協することもなければ、英訳や和訳に終始する学習でもありません。英語漬けの学習を補完する位置づけの翻訳です。

特に和文英訳は従来よりも重視すべきです。これによって母語である日本語への慣れや甘えを断ち切り、英語のしくみやその背後にある発想に迫っていくことができます。こうした英文和訳や和文英訳は広義の文法学習の一環として位置づけるべきです。これとは別に実際に英語を使って活動する学習の場を設ける必要があります。また、従来は和文英訳や英文和訳の学習が非効率的でした。これは例文を覚えるなどといった言語知識の記憶に関わる学習を軽視してきたためです。分析的な文法学習も例文暗記も翻訳も、いずれも目新しい学習ではありませんが、これらのより効果的で効率的な方法を追求していく必要が、私たち言語教師にはあるように思います。

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