題名読書感想文:27 愛情の果て、興味の極致
本の題名だけで読書感想文を書こうという試みが題名読書感想文でございます。試みた先に何があるというわけではありませんが、とにかく試み続けているんです。
今回のテーマは「愛情表現」です。本には著者の好きなもの、興味があるもの、時間と手間を費やしてきたものを書きまくったタイプが結構ございます。著者が本当に書きたいものを書いているに等しく、面白いものになりやすいからなのでしょう。
その手の本は往々にして、題名でも愛情がだだ漏れているものです。しかし、素直に「〇〇が好き」と書いてしまっては他の好き好き本に埋もれてしまうと思うのか、だだ漏れる愛情をいかに独特な題名にまとめあげるか苦心されているようなんです。少なくとも私はそう読み取っているんです。
そんな苦心の末、完成した題名は、どうも時に思わぬインパクトを与えるものになってしまうようです。そんな題名をいくつかご紹介いたします。
まず最初は「現在完了の楽しさ」です。
現在完了とはもちろん、英語の現在完了形でございます。「have+過去分詞」にすることで、主に継続・経験・結果の3つの用法がございます。日本語には存在しない用法のため、日本人には覚えるのが比較的難しいとされています。
著者はそんな現在完了を題名で楽しいと言っているわけです。たぶん、マジで好きなんだと思います。そうでなければ、わざわざ現在完了だけを引っこ抜いて「これ楽しいんすよ」と呼びかけはしない。英語の楽しさを伝えたいなら「楽しい英会話」でも全然いいはずなんです。
敢えて内容を限定して、それの「楽しさ」を題名に持ってくる。著者の現在完了に対する並々ならぬ愛情がだだ漏れています。
続いては「こっそり楽しむうんこ化石の世界」です。
なんか我慢できずに、いろんなところでうんこを出してしまう私ですけれども、今回も出してしまいました。
先ほどの現在完了と同じく題名に「楽しい」を出して対象への愛情を爆発させるタイプなんですけれども、こちらは「こっそり」なんです。この4文字がつくだけで、「世間では認められないからあまり大きな声では言えないけれども、うんこ化石を楽しんでみませんか」みたいな感じがして、より一層うんこ化石が好きな感じが出ていますね。
続いてはこちら、「電線の恋人」です。
世の中、2次元と結婚するなど愛の形も多様化の一途をたどっておりますけれども、それにしたって電線を恋愛対象にする人類は驚いてしまいます。題名もインパクト大ですが、アマゾンの書籍紹介の文章も相当なインパクトです。
意味は分かるんだけど訳が分からない文章と申しましょうか。私のような一般人には早すぎる世界を見せられている気がする一方で、とにかく電線への愛情が爆発していますし、「この趣味ならタモリ倶楽部に出れるわな」と納得もできる次第です。
恋がらみの題名ではこんなものもございます。「恋する石膏像」です。
石膏像の紹介を延々としていく本のようですし、石膏像のモデルとなった者たちの恋愛について書かれているからこその題名のようでございますけれども、「石膏像っていいっすよ」という著者の愛情が思いっきり前面に出ている題名にも見えて仕方がありません。
魚の方のコイでも地味に愛情がだだ漏れている題名がございます。「きっかけはコイの歯から」です。
「あなたの風邪はどこから」の答えみたいな題名でございます。
これまでの題名とは異なり、愛情を直接的に示すようなものではございませんけれども、コイの歯がきっかけになる時点で特殊なルートに踏み込んでいることは明らかですし、そんな特殊ルートをズンズン進んでいく時点で、コイの歯に並々ならぬ愛情を持っていると判断できるのではないでしょうか。
アマゾンの書籍紹介によりますと、著者はコイの歯の研究をきっかけに、様々な分野をまたにかけたコイの総合研究をされた方とのことですので、私の判断は正解だったと思われます。
こんな題名もあります。「私、食虫植物の奴隷です。」でございます。
とうとう「奴隷」の2文字が出てきました。身も心も全て捧げているほどの愛情を表現するための2文字だと思われます。
しかし、この2文字は意味の強い言葉ゆえにいろいろ考えてしまいます。つるでピシャリとやられているのかなあとか、消化液で軽く融けてみたりしてるのかなあとか、何なら身体に寄生させているのかなあとか。なかなか強刺激な題名です。
続いては「生ごみ先生が教える元気野菜づくり超入門」です。
生ごみをリサイクルして野菜作りに活用するための本だということは題名からもうかがえますけれども、先生の肩書きにどうしても目が行きます。「生ごみ先生」って、一応、先生はついていますけれども、「生ごみ」のいろんなイメージが強すぎて、気軽に呼ぶのをためらう肩書きにも思えてしまいます。
恐らくはご自身でそう名乗られているのですから、大丈夫なのだとは思います。周囲に自らをブタゴリラと呼ばせているのと同じパターンですね、きっと。
本日の最後は「トイレになった男」でございます。
人は何か好きなものに熱中しまくりますと、好きなものと一体化してしまうかのようになってしまう場合がございます。この題名もまた、その類だと推測されますが、よりによってトイレなんです。いや、だからこそなのかもしれませんが。
ちなみに、出版元のサイトによりますと、「ヴィクトリア朝時代のイギリスで、近代初となる水洗トイレを発明したトーマス・クラッパーの物語。エドワード7世、ジョージ5世に仕えた英国王室御用達技師の『糞尿まみれの一代記』。」と書かれています。
近代初の水洗トイレ発明者。身も心も、そして当然ながら人生も水洗トイレに捧げたはずです。だから、クラッパーについて書かれた本ともなれば題名に「トイレになった」とまで書かれても何の問題もないわけです。
ただ、気になる点がございます。この題名、果たして比喩なんでしょうか。それとも事実なんでしょうか。
好きすぎて世間に「トイレになった」とまで言わしめた男。これでも別に「トイレになった男」の題名は成り立つわけです。でも、せっかくのトイレ人生、死後にクラッパーの外見を模した水洗トイレが作られてもいいはずです。そういうタイプの「トイレになった男」である可能性も充分考えられる。
もう少し踏み込んで考えると、クラッパーのマジのボディを用いたトイレが制作された可能性もあるのではないでしょうか。クラッパーが「俺が死んだらこのボディを使ってトイレを作ってくれ」みたいな遺言を残し、遺族がそれに従ったわけです。
いろんな可能性が考えられる題名はございますが、ただ確実に言えるのはトイレに対する愛情はこれまでの人類史を振り返ってもトップクラスという点でございます。