笑いに関する名言集――笑う余地があるもの
名言が好きな方は多いようで、名言集なるものが書籍として売られています。でも、お笑いに関する名言となると、ひとつの章で扱われるのがせいぜいです。もっとあってもいいんじゃないかと思い、現在、様々なお笑い名言を少しずつ集めては、こうやって紹介しております。
ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。
今回はその中でも「笑う余地がある名言」と申しますか、逆になんでこれが真面目な名言集に収録されているのか分からないものを集めてみました。では参ります。
キェルケゴール以外の人間がこれを言ったら格好つけ方を間違えた痛いやつ扱いされて終わりです。何しろ「双面神」です。少年漫画の必殺技か暴走族のチーム名みたいなルビなんです。これはもうキェルケゴールだから様になっている名言だと思います。
ちなみにキェルケゴールは世界における人間の現実存在を説明しようとする一派「実存主義」の創始者または先駆者であり、哲学の歴史を語る上で欠かせない人物のひとりです。
それまで哲学は人間をぼんやりふんわりした感じで扱っていたんですが、キェルケゴールは自分自身を始めとする、個別かつ具体的な存在としての人間を哲学で扱ったわけです。そのためなのか何なのかは分かりませんが、ウィキペディアのキェルケゴールの項目では彼が扱った主な概念としてこんなものが挙げられています。
哲学を何も知らない私から見ると「大丈夫? ちょっと休んだ方がいいんじゃない?」と声をかけたくもなりますが、キェルケゴールだから大丈夫なんですきっと。
寺田寅彦は物理学者であり、多くの文章を残した随筆家としても知られます。「天災は忘れたころにやって来る」の名キャッチコピーでもお馴染みです。
寺田の書いてあることは非常に真っ当で、科学と文章に精通していた彼らしい言葉なんですけれども、「いぢめる」が妙に可愛らしくて選んでしまいました。何しろ寺田は明治11年生まれですから、我々から見たら仮名遣いがトラディショナルなんですね。
そういやあ、いがらしみきおさんの漫画「ぼのぼの」でも「いぢめる?」が代表的な言い回しでしたね。シマリスくんの代名詞と言ってもいいセリフです。ぼのぼのに扱われている辺り、やっぱり現代人から見た「いぢめる」は笑いを誘う表記なんだと思います。
「蛭子能収さんのような方が他にいらっしゃったとは」との驚きを隠せない名言です。
ラムはイギリスの作家であり、エッセイで評価されている方です。その作風は非常に控えめで繊細、普通は見逃してしまうような隠れた物事に価値を見出すような方であると、同時代の批評家によって評されています。
一方の蛭子さんは暴力や狂気を厭わない不条理ギャグ漫画で知られており、「オブラートに包む」という概念のない発言など独特な言動がうけ、タレントとしても活動を続けてきました。いつもニコニコしていらっしゃる方ですが、笑ってはいけない場面でも笑ってしまう癖があり、葬式などがその典型となっています。
ふたりのどこかに通ずるものがあるのでしょうか。ちょっとこれだけでは分かりません。
とにかく馬鹿を詰め込んだ名言です。馬鹿を扱う名言や馬鹿という文字が入った名言はちょこちょこありますけれども、この短文で7つはかなりの密度です。「馬鹿って言う方が馬鹿なんだぞ」という子供の喧嘩に出てきそうな言葉を更に強化したような表現です。
もともと変わった格言が得意だったためか、斎藤の名言は今回で2度目の登場となっています。
短い中に綺麗なフリとオチがございます。要は「あんまカネがかかるなら助けはいらん」ということで、内容もあまり時代や場所を問わない、普遍性のある笑いかと思われます。
馮夢竜は中国の明の時代に活動した作家で、彼が笑える話を集めて書籍にしたのが笑府です。日本でも出版された書籍で、落語に用いられた話もあるとかないとか。中国では清の時代に書籍が全て行方不明になってしまい、20世紀になって日本から逆輸入される形で再び広まったという、ちょっと変わった運命を辿った古典でもあります。
綺麗な三段落ちです。
小熊秀雄は詩人で小説家、漫画原作者としても知られます。原作を担当した「火星探検」は当時としては非常に珍しいSF漫画で、この作品に影響を受けた人物は手塚治虫、小松左京、筒井康隆、松本零士と物凄い名前ばかりです。何なら4人ともそれぞれに独特で、各々がオリジナルの手法を用いて尻の穴シンガーになれそうな感じにも見えてきます。
サージェントはアメリカの画家です。ちゃんとフランスで美術を学んでいて、上流社交界を描いた肖像画で知られています。作品を検索して確認したんですが、どれもちゃんとしているように見えるんです。だから余計に気になります。「どんな絵を描いたんだ」と。
◆ 今回の名言が載っていた書籍
◆ その他の参考文献
ウィキペディア
◆ 過去の名言集