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「昔はよかった」発言にもいろいろあるようです
「最近の〇〇は」という嘆きがあるとは聞いていたんです。「昔はよかった」タイプの嘆きですね。でも、テレビや何かの記事で見聞きしたことはあれど、周囲の人から聞いたことはありません。自分が言った記憶もないんです。その手の話は聞いてて気分のいいものではないと、みんな多かれ少なかれ分かっていますから、仮に思っていたとしてもなかなか口にはしないんじゃないかなあと勝手に考えています。
本当は言われたし、自分も言ってるけど、ただ忘れているかもしれない。いずれにしろ、少なくとも記憶にはありませんし、特にやってみたい嘆きでもありません。
ひょっとすると、ステレオタイプが独り歩きしているだけなのかもしれません。泥棒と言えば今でもほっかむりぶ唐草模様の風呂敷でございますけれども、今やそんな泥棒の方がレアです。絶滅危惧種と言うか、絶滅済みだと言われても信じてしまうレベルです。
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レアすぎて街中で出会った警官も逮捕するのを忘れてしまうかもしれない。それと一緒で、「最近の〇〇は」も今は言うほど世間に広がっていないのに、いつも誰かが言っているかのように扱っているのかもしれません。
本当のところはどうなっているのかよく分かりませんが、とにかく私はそんな嘆きに出会うことがまずないんです。だから、いざ出会うと「おっ」と思うんです。ほっかむり&唐草模様の泥棒を道端で目撃したような気分になるわけですね。
例えば、私は先日、「大江戸死体考」という本を読んでいたんです。
何でこんな物騒な本を読んでいたのかと申しますと人から貰ったからでありまして、貰ったんだからとりあえず読んでみたんです。著者の氏家さんは歴史研究者ということで、学術的な側面が強めではあるんですが、何しろテーマがテーマですから、ページをめくるたびにご遺体がゴロゴロ出てくるんです。もう死屍累々と言っていい。
そんな「大江戸死体考」の中に「葉隠」から引用した文章があったんです。「葉隠」とは武士の心得について書かれたもので、江戸時代中期のものとのこと。
引用を引用する形になって恐縮ですが、一部省略してご紹介します。
昔の武士たちは十四、五歳になると首斬りの稽古をさせられたものだ。〈中略〉しかるに近頃の武士といったら……。人斬りの稽古など『わざわざしなくともよい』とか、縛られた罪人を斬っても「手柄にならぬ」とか。さらには「むやみに人を斬ったら罪になる」「穢れる」などと理屈をこねて、ことさら避けようとしている。嘆かわしい。
「最近の武士は人も斬ろうとせんのか」という、まさかの嘆きです。そんな「昔はよかった」があったとは知りませんでした。葉隠みたいな昔の書物なら全文がネットに上がってるはずだと思って調べてみたら、以下のサイトにございました。
こちらの「聞書 第七」の「八四四」が恐らく該当の箇所のようです。見出しには「昔は十四五歳迄に切習はされた、首切りを嫌ふは臆病」と物凄いことが書いてあります。
「大江戸死体考」内ではこのような嘆きが出るようになった時代背景の説明もされております。
江戸時代の初期は、戦国時代を経験した人びとがまだ多くご存命でした。合戦に参加し、生き残ってきた武士はもちろん、普通の町民だってそれぞれに戦国の世を経験していた。当然、死に対する考え方は現在とは大きく異なり、処刑されたご遺体を使って刀の試し切りをした記録が残っていますし、処刑が見世物、すなわち娯楽のひとつになっていたそうなんです。
しかし、江戸時代も中ごろになりますと、戦国の世を知らない人ばかりになってゆきます。武士も町民もです。そんな平和な世が続きますと、世間は残酷な行為を嫌うようになっていった。そこで、上記のような「昔はよかった」が出てきたようです。
様々な時代や場所を本気になって探すと、まだまだとんでもない「最近の〇〇は」が出てきそうですね。