ムツゴロウさんと迷える「生物好き少年」たち
私が物心ついた時には、ムツゴロウさんこと畑正憲さんは既に書籍やら動物王国やらで全国的な有名人になっていました。私は図鑑を繰り返し読むくらいには生物が好きな子供でしたが、もうムツゴロウさんの知名度はすさまじく、動物が好きだろうがなかろうが周囲の子供たちはみんな知っていました。動物が好きが高じて動物王国を作ったおじいさんで、テレビではいつもニコニコしながら、その身一つで動物と独特な接し方をする。それがムツゴロウさんという方の印象でした。
ムツゴロウさんの本は中学校の図書室にも普通に並んでいました。私が通っていた中学校では早朝に読書の時間が設けられていて、全員が何らかの活字を読まなければならないことになっていました。そこで私は「知ってる人が書いてるから」という、若干後ろ向きな理由でムツゴロウさんの本を読んでいました。
陽気な音楽で陽気に動物と触れ合うムツゴロウさんとは違い、活字のムツゴロウさんはもっと現実的な部分を見せていました。動物王国を作る大変さがひたすら語られているんです。王国ができあがってからもムツゴロウさんは様々な苦労されたようで、いわゆるムツゴロウ王国はテレビで放送されていたような動物好きの桃源郷とは全く異なっていたようです。
中でも印象深かったのが、テレビを見てやってきた方に、動物を相手にする覚悟が足りないと叱る場面も書かれていたことです。人生に悩んでいた方が、テレビを見て居ても立っても居られなくなり、王国にやってきた。漠然と動物が好きで、「何か手伝えることがあれば」という姿勢はムツゴロウさんも有難く思っていたようですが、その割には自分から何かをする姿勢が見られない。そこをムツゴロウさんは叱ったのだと記憶しています。
とは言え、もともと積極的にムツゴロウさんの番組を見ていなかった私にとって、ムツゴロウさんとの接点はそんなに多くありません。バラエティ番組にて、ムツゴロウさんが動物扮する芸人を本物の動物と接するように「よーしよし」と言いながらベロベロ舐めまくる姿を見て「無茶苦茶シャレが分かる人なんだ」と思いながら笑ったのがせいぜいです。そうこうしているうちに私は大人になり、普通に働くようになっていました。
社会人になってしばらくしてからです。大人になってからも相変わらず生物が好きな私は、生物に関する本を読んでいました。すると、思わぬ形でムツゴロウさんの名前を見かけたんです。
植物の品種改良に関する書籍を読んでいた時です。著者は当然ながら品種改良の専門家です。書籍には品種改良についてあれこれ書いてあるのですが、あちらこちらに箸休め的なコラムが書かれていました。その中には著者の半生について語っているものもあったんです。
著者は今でこそ専門家としての道を歩んでいますが、学生時代には進路に激しく悩んだ時期もあったそうです。植物を中心に生物が好きな少年でしたが、好きなことで飯を食っていく自信が全然ない。かと言って、一般企業に勤められるとも思えない。鬱々としている中、著者はこう思ったそうです。「ムツゴロウ王国に行こうか」。
しかし、著者は当時、関西住まい。王国のある北海道までいく資金を捻出する余裕もありません。移住を泣く泣く諦め、王国なしでどうにかするほうを選びました。結果として、著者は専門家として独り立ちしています。
それだけでも印象深い出来事だったんですが、短期間のうちに「若い頃に悩み、ムツゴロウ王国に行こうと思った」と自身を振り返っている本をもう2冊読んだんです。もちろん、いずれも違う著者です。ハッキリと共通している点と言えばムツゴロウ王国が人気だった頃に十代後半から二十代前半という進路に悩む年齢だったこと、人並外れて生物が好きだったこと、それから、結局は何らかの理由で王国へ行かずに頑張ってその道の専門家となったことくらいでしょうか。
一時期のムツゴロウさんの知名度は圧倒的でしたから、影響力も相当なものだったでしょう。純粋にバラエティ番組に出てくる動物好きのおじいさんとして楽しんだ方が多いのではないかと思います。それはそれでいいと思うんです。
ただ、一時的だったかもしれないとは言え、迷える「生物好き少年」の心の支えになっていたという事実は、私の中にずっと残っています。進路に迷っていた彼らも今では立派な専門家として活躍していますし、何なら今では彼らが迷える青少年たちを支える側になっているかもしれない。
ムツゴロウ王国が頭をよぎりつつも、結局は自分で何とかした。そんな方が何人いたのかは分かりません。私が見つけた3人で全てかもしれないし、もっとたくさんいたかもしれない。ただ、ムツゴロウさんは活動を通して生物好き少年の心を支えることで、何人もの専門家を育ててくださったのだと思っています。