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題名読書感想文:60 結果的に三段落ち

 題名だって読書のうち。そう自分を洗脳し、題名だけ読んで感想を書き、読書感想文と言い張っています。思いのほか洗脳がうまくいったのか、もう50回以上もこんなことをしています。

 今回のテーマは「三段落ち」です。三段落ちとは、みっつめのワードで変なことを言って笑わす形式をさします。例えば、「好きな食べ物をみっつあげろ」と言われて「カレー、ラーメン、排気ガス」と答えるようなものです。面白いかどうかはともかく、排気ガスが笑いどころなんだと分かる。

 本の題名には、みっつの言葉を並べるタイプのものが存在します。当然ながら、読みやすさとか字面とかにこだわって、似たような単語をみっつ並べる場合がございます。その一例が「電波・電影・電視」です。

 メディアについて扱った本でございまして、メディアと言えば「電」のつく単語がボチボチある。そのみっつを並べて体裁を整えたようです。確かに、電・電・電と続く題名は見た目が整っていて、なんだかいい感じです。

 でも、ここまで体裁を整える題名は少数派です。理由は明確で、そこまで整える必要なんてほぼないんです。法律で決まってるわけでもない。題名を見てちょっと「おっ」となる効果はありますけれども、本の内容を表しつつ同じような単語をみっつ揃えるのは結構面倒です。上記書籍だって電波、電影、電視となるにしたがってマイナーな単語になるあたり、体裁を整える大変さがにじみ出ています。

 「電波・電影・電視」レベルにキッチリ整える必要性はありません。とは言え、何か言葉をみっつ並べると、ちょっと揃えたくなるのが人の心理のようです。そして、意外な大変さに気づいて力尽きる。特にみっつめで挫折すると、なんか三段落ちみたいに見えてしまう場合があるようなんです。

 例えば、こちらの本です。

 「自由・権力・民主的計画」。前のふたつは2文字でキッチリまとめたのに、みっつめで力尽きたのか、文字がドバドバ流れ出たかのように見えます。

 では「民主的計画」の代わりとなる2文字の言葉があるのか。これがまた難しい。「民主」や「計画」だけだと違う意味に誤解されますし、「民主主義」では文字数的に充分ドバドバしている。「国家」とか「秩序」とか、全然違うところから2文字持ってくるのが有力な解決法でしょうが、それで本の内容をどれだけ言い表せられるかは未知数です。

 こんな題名もあります。

 「他者/死者/私」。せっかく1回韻を踏んだのに、私が突然現れます。もっとも、著者も「私」の浮きっぷりは自覚していると申しますか、敢えてやっているつもりなのは間違いないようで、アマゾンで表紙を確認すると「私」だけ文字の色が違います。この「私」が重要な位置を占めているのだと推測されます。

 次の題名はまた少し雰囲気が異なります。

 「地球・水・思う」。名詞で揃えるのかと思いきや、ラストで急に動詞なんです。先ほどの「他者/死者/私」のように、みっつめで急に著者が出てくるかのような題名にも見えます。そのせいか、「地球」「水」と来ての「思う」は唐突な感じが半端ないです。ひらがなが出てきている点も大きいのでしょう。

 しかし、この題名は単語がみっつ並んでいるだけなのに、何だか詩的な印象を受けます。その辺りも「思う」の効用なのかもしれません。

 続いてはこちらの題名です。

 「怨霊・怪異・伊勢神宮」。禍々しい言葉が2個出たかと思ったら、いきなりビッグな神社が出てきたではありませんか。何でまた、伊勢神宮が怨霊や怪異と並べられたのでしょうか。

 そもそも、伊勢神宮をこの並びで持ってきて大丈夫なのでしょうか。神社本庁に怒られたりしないのか。私、他人事ながら心配になってきました。

 みっつとも揃える気が全然ない題名ももちろんございます。

 「コドモノクニ・山道・フランス語」。一見すると、みっつに共通点らしい共通点がないように見える。まさにカオスです。「単語をみっつ並べて題名を作る時は、それぞれ似たような言葉にして体裁を整えるべきだ」という考えがフリになっていると、なんかじわじわくる題名になってしまうから不思議です。

 こんなバラバラ題名もありました。

 「リスク、不確実性、人類の不覚」。カタカナのみ、漢字のみ、漢字とひらがな。こちらも揃える気は微塵も感じられません。文字数だって全部違います。

 ただし、表紙をご覧になればお分かりの通り、リスク、不確実性、人類の不覚となるにしたがって徐々に文字数が増えていっています。また、よく見ると「不確実性」と「人類の不覚」、どちらも「ふかく」が入ってるんです。敢えてダジャレを練り込んだのでしょうか。それともたまたまか。こればかりは著者にしか分かりません。

 こういうパターンもあります。題名自体は普通で、「個人情報の管理と倫理」となっています。

 しかし、表紙をよくご覧になっていただくと、著者が「R・O・メイソン」「F・M・メイソン」「M・J・カルナン」の3名なんです。メイソン、メイソン、カルナン。こう並べると、なぜかカルナンがオチみたいな位置づけになってしまうんです。

 「しまうんです」って、私が勝手に思っているだけですが。

 最後は少々変わり種の題名です。

 「父と子が 共に紡いで 高校日本史」。五七五に合わせた題名かと思いきや、ラストで豪快な字余りを叩き込んできます。五七五の枠から3文字もぶち抜いてる。

 字余りの是非とか、正しい字余りとか、そういうのは詳しくありませんが、五七五の決まりを破ってまで「高校日本史」を題名に入れたかったことだけは分かります。「そんなに入れたいなら五七五なんてやめればいいのに」というのは野暮な指摘でございます。五七五もやりたいし、高校日本史も入れたい。結果として、強力な字余りになったのだと考えられます。

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