高校の名前で最も画数の多い漢字は何なのか
近所に野球場があるんです。プロ野球チームの本拠地というわけではないんですが、なかなか立派な造りでございまして、でっかい電光掲示板のスコアボードが球場の外からでもしっかり確認できます。試合している時は当然、スコアボードが稼働していまして、高校から社会人まで様々なチーム名が記されているのを見てきました。
そこで気になったんです。チーム名にはしばしば漢字が入っている。漢字はいろんな画数があります。となると、仮に画数の多い漢字を用いたチーム名の場合は、字が潰れてしまうのではないかと。
そもそも、最も画数の多い漢字を使っているのはどこの、なんてチームなんでしょうか。気になって仕方がありませんが、この世の全ての野球チームを調べるのは不可能です。
私は以前に不思議な名前の高校を調べて載せたことがありますので、高校に絞って調べてみようと思いました。
というわけで、画数の多い漢字が入っている高校名を片っ端から調べてみました。まずは調べるにあたってのルール説明です。今回は画数の多い漢字を調べる目的のため、ひらがな、カタカナ、アルファベットは除外しました。高校の名称は、一般的に用いられていると思われる略称を主に使っております。例えば、開成高等学校だったら「開成」となっています。
個人でパパッと調べたため、見逃しがたくさんあるかと存じますが、どうかご了承くださいませ。
では、高校の名前に存在する画数の多い漢字を順番に紹介します。まずは17画の漢字を一気にいきます。
メジャーどころは「磯」です。大磯(神奈川)や上磯(北海道)など、全国に存在します。「磯」は岩の多い海岸を意味する言葉のためか、海に近い高校が多いようです。
次点で「嶺」でしょうか。「峰」と同じ使い方をされる漢字でございまして、藤嶺藤沢(神奈川)や美祢青嶺(山口)など、こちらも全国に点在しています。漢字からして山の近くまたは山の見える学校が多いと推測されます。
日常的に使うけど学校名としてはレアな字もあります。「優」は朋優学院(東京)、講は福岡講倫館(福岡)など、限られた高校でしか使われていません。逆に「蹊」や「應」など、学校名以外でなかなか見ない漢字もございます。もちろん、「蹊」は成蹊、「應」は慶應関係で主に見られます。
難読地名をそのまま学校名にしている高校もありまして、「厳」の厳木(佐賀)、「糠」の白糠(北海道)、「瞥」の壮瞥(北海道)などがその代表例です。
続いて18画です。
一般的に最も馴染みのあるものは「藤」でしょう。藤枝や藤井寺など地名として使われているところも多いため、全国的に見られます。元となっている植物のフジは本州から九州にかけて分布しているようですが、「藤」のつく高校は北海道にも存在しています。
この辺りになりますと、読み方の難しい漢字も増えてきます。「邇」は邇摩(島根)、「檮」は檮原(高知)、「鵠」は鵠沼(神奈川)、「瓊」は瓊浦(長崎)など、なかなかの難易度です。
変わり種としては「騎」です。聖母の騎士(長崎)ですね。学校の名前としてはなかなか使われない文字のひとつです。
続いては19画でございます。
メジャーどころは「瀬」です。瀬戸内(広島)や岩瀬日大(茨城)など全国に存在します。那覇の「覇」や室蘭の「蘭」、飛騨の「騨」など、地名を冠した結果、画数の多い漢字をゲットしてしまった高校もございます。
難読としては「蘂」の留辺蘂(北海道)、「鵡」の鵡川(北海道)、「韻」の蓮田松韻(埼玉)、「犢」の犢橋(千葉)などがございます。
続いては20画です。ここから数がグッと減ってきますので、該当する高校名と共にご紹介いたします。
20画は意外と日常生活で使う文字ばかり3種類出てきました。
本吉響は本吉町に存在することに加えて、校訓である「響生」が関係していると思われます。自然や人と響き合い調和を目指す、というような意味のようです。
続いて「譲」の興譲館3校ですが、もともと興譲館は米沢藩の学校、いわゆる藩校の名前だったそうです。設立は1776年とのこと。
岡山の興譲館は後続だったため、最初は岡山興譲館という名前だったようです。それでも歴史は古く、設立は1853年、嘉永6年だったそうです。
しかし、1872年(明治5年)、文部省布達によって県学としての興譲館は廃止されます。その後、米沢中学校(旧制中学校)に改称、更に米沢尋常中学校となります。名前は更に変わって米沢尋常中学校興譲館となり、興譲館の名が復活したかと思えば、1900年に米沢中学校へ戻ってしまいます。
そこへ岡山興譲館が1908年 中学校令により興譲館中学校として開校。一方の本家は1929年になり、岡山に気を遣ったのか、米沢興譲館中学校と改称します。
岡山の興譲館は1936年に興譲館商業学校が開校、1944年に工業学校を併設、1948年には学制改革により興譲館中学校及び興譲館高等学校を設立し、現在に至ります。
それに対し、米沢の興譲館は1948年の学制改革により米沢第一高等学校となり、1950年に米沢高等学校、1956年になってようやく米沢興譲館高等学校となり、現在に至っている形です。
つまり、岡山の方が後発だったけど名前を一貫させていたら、結果的に本家っぽい名前になってしまったようです。
都留興譲館の興譲館は1842年に作られた教諭所と呼ばれる教育機関が元になっているようです。
その教諭所が後に設立者の名を取って谷村興譲館と名付けられており、それが校名の由来となっていますが、設立自体は他の2校に比べてかなり最近で、2014年となっています。
名護は普通に名護市から取っていると思われます。名護は凪が転じたものという説があるようです。
続いて21画です。
鳥が2羽と、よく分からない文字がひとつございます。
「鶴」は画数の多さの割に校名にとても使われている漢字です。名字としても鶴見さんなどを筆頭に比較的よく見かけます。
対照的に「鶯」は確認できた限り1校のみ。しかも、山手線でお馴染みの鶯谷ではなく、岐阜市の鶯谷町でございます。
「辯」は高校野球でお馴染み、智辯学園の2校です。ちなみに、智辯は「才知と弁舌」を意味するとのこと。
続いて22画です。
泣く子も黙る灘高校でお馴染みの「灘」がここで入って来ました。灘は兵庫県の南東部、大阪湾北岸を指す地域を指す言葉とのこと。更に古くは海の難所を指したり、沖合の方を指したりする言葉だったようです。
「鷗」はいわゆるカモメでございまして、どちらも白鷗で一致しています。「鰺」はアジですね。名前の由来は「アジがたくさん取れたから」みたいな真っ直ぐな説を中心に諸説あるようです。
さて、残りもだいぶ少なくなってきました。続いて23画です。
先ほどのカモメに続いて、今度はワシです。ついでに24画も鳥ばかりになっています。
こちらはタカとサギです。実は、ここまでにも鳥の漢字がちょこちょこ出てきていたんです。試しにまとめてみます。
かなりザックリとした意味の字もありますけれども、とにかく鳥がたくさんなんです。
鳥の漢字が上位に出やすいのは、「鳥」だけでも11画だからという点が大きいでしょう。では、どうして鳥の名前が校名に入りやすいのか。それは身近にいる動物だからだと思われます。身近な割に漢字としては画数が多い。浅はかな推測ですが、割と的を射ているような気がします。
そして、校名で最大画数を誇る漢字は25画でございました。
済々黌という物凄い校名はウィキペディアによりますと、中国最古の詩篇「詩経」の一説「濟濟たる多士、文王以て寧んず」が由来となっているようです。ちなみに、「黌」は訓読みで「まなびや」と読む字でございまして、いわゆる学校を意味しています。
こんな調べ物をするそもそものきっかけは「電光掲示板のスコアボードにちゃんと校名が表示できるのか」という疑問でしたが、済々黌は夏の甲子園は出場7回、選抜も4回出場しており、そのうち1回は優勝しています。つまり、既にいろんなスコアボードで名前がバリバリ載ってきた状態です。
済々黌で大丈夫ならば、それ以外の漢字なんてどうにでもあるでしょう。私の心配は杞憂だったことになります。
ところで、逆に最大画数の少ない校名はどれくらいあるのでしょうか。調べた限りでは3画が最大となる学校がいくつか存在していると判明しています。これらが最大画数の最も少ない高校と言えるでしょう。
以前に不思議な高校名で取り上げた上下高校もありますね。以下のページでは18画で少し触れた聖母の騎士も取り上げています。
いずれにしろ、小学校低学年でマスターできる、非常に簡潔で明快な校名です。済々黌を見たあとではシンプルの極みとしか思えません。
漢字の画数から見ても、日本の高校は本当にいろいろあると思いました。