題名読書感想文:21 擬人化と自己言及も多様化の時代
題名だけ読書して感想文を無理やり書く。そんな題名読書感想文をシリーズ化している次第です。
今回のテーマは「擬人化と自己言及」です。擬人化とは人でないものを人っぽくする手法であり、自己言及とは自分について何か言ったり書いたりすることでございます。
なんでこのふたつを並べたかと申しますと、このふたつをミックスさせた題名がチラホラあるんです。その代表格が「吾輩は猫である」でございます。
擬人化した猫が自分のことを猫と主張する題名です。この作品が日本文学史に燦然と輝いているせいなのか、はたまた文章として非常に簡単だからなのか、このような形式の題名が猫以降もいろいろ生まれております。例えば、「私は虫である」です。
カフカの「変身」を「吾輩は猫である」に寄せたかのような題名にも見えますが、特にそんなことはないようで、日本のグラフィックデザイナーで絵本画家としても活躍された熊田千佳慕さんの言葉が詰まった本のようです。
なぜ虫なのかとも思いましたが、熊田さんはファーブルの本を何冊も出されていることが関係しているのだと考えられます。
虫は虫でも、より具体的に「わたしはイモムシ」と自己言及した本もございます。
アマゾンの書籍紹介によりますと、イモムシや蝶を飼育観察しながら絵を描いた画家が著者のようでございます。先ほどの熊田さんと言い、何かをずっと観察していると、対象と一体化してしまったかのような題名をつけてしまう傾向にあるのかもしれません。
もちろん、一人称は「私」だけではございませんで、「ぼくライオン」みたいな幼い感じの自己言及も確認できます。
「僕」を「ぼく」と平仮名にして、更に「は」を取り除くことで非常に幼い印象を感じさせる題名になっています。
ちなみに、アマゾンの書籍紹介文を読んだところ、著者は実際にアフリカまで出向いてライオンを撮影しているうち、ライオンも人間と同じ生き物だと気づいたとのこと。なぜ題名を幼くしたのかは、これだけでは分かりかねますが、表紙に子供のライオンを採用したからかもしれません。そういう意味では割と直球のタイトルです。
どうも一人称が僕ですと読み手に幼い印象を与えるためか、子供向けの本で用いられることがよくあります。「ぼくは にんげん」もそのひとつです。
「擬人化」と言っているのに「にんげん」を出してしまいましたが、こういう当たり前のことを敢えて言及する形式は題名に限らずしばしば見られます。
「ぼくはぼく」という題名もございます。
いわゆる「同語反復」、もしくは「トートロジー」というやつですね。
「ぼくはばく」みたいな引っかけを狙ったものも出てるはずだと思って調べたら、「ぼくはバクである」という題名がございました。
どうしてカタカナにしてしまうのか。この題名では「ぼ」と「ば」の似てるところを活かせないじゃないですか。「ぼ」と「ば」の似てるところを活かした題名もあるにはあるんですが、「ぼくとばく」なんです。
これは自己言及ではありません。うまくいかなくても全然構わないんですが、なかなかうまくいきませんね。
植物の擬人化も当然ながらございます。例えば、「わたしはとまと」がございます。
アマゾンの商品説明にはこんな文章が書かれています。
「子どもの思いつき」をそのまま採用したためか、全ての理屈が通用しない作品になっているようです。ここからどうトマトに着地するのか、見えそうで全然見えません。結末がものすごく気になって参りました。
擬人化は人でないものを人っぽくする関係上、生き物じゃないものにも当たり前のように適用されます。例えば「わたしは水」です。
まあ詩集ならば水を擬人化させてもいいかという気になるから不思議です。
ちなみに、擬人化と自己言及をさせているのは生物や無生物といった、いわゆる物体だけではございませんで、例えば「わたしは税金」という題名がございます。
社会のシステムを擬人化&自己言及した題名となっています。人のライフサイクルで税金がどのようにかかわるかを書いていくスタイルとなっているようです。題名から考えて、税金目線で話が進むのでしょうか。
最後は「私はラテン語」です。
今度は言語の擬人化です。著者は古代ローマ史の専門家のようでして、こちらも対象と一体化してしまったかのような題名の一種となっています。
「擬人化と自己言及」タイプの題名は先にも書きました通り、非常に簡単な文章のため、探せば魅力的な題名がまだまだあると思いますが、今回はこれにて一旦終了といたします。