安直な福沢諭吉
最初は大したことなくても、長く続けば続くほど尊敬の対象になりやすいものです。ただ生きているだけでも100年を超えた人は「すげえ」と言われるようになる。物とか行事とかだと数百年存在する場合も出てきますから、当然みんな尊敬に尊敬を重ねてくるわけです。
逆を言うと、今でこそ何十年も何百年も存在し、伝統と格式があると言われているものだって、始まった頃は尊敬なんて全然集めていなかったかもしれないんです。最初はみんな新参者でございますから、むしろ世間の評価は低かった可能性がある。
ところで、何か名前をつける時は、もともとあるものから拝借するパターンが非常によくあります。既にある名前はみんな親しみがありますから、それを拝借すれば新参者だってみんなから親しんでもらえるかもしれない。また、拝借する単語のイメージをうまく活用しようとしている場合もあるでしょう。名前に地名を取り入れるタイプはその典型例だと思われます。「デンジャラスタワー西荻窪」と聞けば「西荻窪にある高い建物なんだな」と何となく察せますし、「下高井戸パンナコッターズ」と聞けば「下高井戸がホームのスポーツチームなのかな」と推測できます。「南アルプス大学」と聞けば当然「南アルプスにある大学だな」と断言できる。
大学だと地名の他に年号を拝借するパターンがございます。例えば、前の年号である「平成」ですと帝京平成大学、福山平成大学、平成音楽大学、平成国際大学の4校が該当します。そろそろ令和を冠した大学が出来ているんじゃないかと思って調べたら案の定、2022年に令和健康科学大学が開学されています。さすがに令和に入って4年も経てば、令和の名を用いた学校が認可されるわけです。
みんながよく知っている単語を名前に取り入れる。それは先ほども書きました通り、名前に親しみを持たせ、取り入れた単語のイメージを活用することに繋がります。しかし、同時にこの手法は安直だとの印象を与える可能性もあるわけです。特に始まったばかりの頃は、伝統も格式もない状態でございますから、その分だけ世間の尊敬を集めるのが難しくなります。だから、令和健康科学大学という名前を聞いて「なんかそのまんまな名前の大学ができたぞ」と思う方がいらっしゃるかもしれません。
名前に年号を冠した大学は何も平成以降に限った話ではありません。例えば、昭和ですと昭和大学、昭和音楽大学、昭和女子大学、昭和薬科大学の4大学が存在しますし、大正は大正大学の1大学、明治は明治大学、明治学院大学、明治国際医療大学、明治薬科大学の4大学がございます。
そして、年号大学の先駆けは慶應義塾大学でございます。明治でも昔なイメージなのに、慶應は更にそのひとつ前の年号です。皆さんご存じの通り、慶應義塾大学はまさに伝統と格式のある大学でございまして、今や入れるものなら入りたい人は大勢いらっしゃる状態です。
そんな慶應義塾大学だって、始まった頃は伝統も格式もない、新しい学校だったはずです。令和の私たちにとって慶應は遠い昔の時代ですが、慶應義塾開始当時を過ごす方々にとって慶應は「今」の年号です。「それを学校につけるとはなんて安直な」と思った人がいたに違いない。
それこそ、創設者の福沢諭吉だって今では完全に偉人のポジションですけれども、慶應義塾発足当時はその辺にいる頭のいい人くらいの扱いだったかもしれない。少なくとも紙幣の顔になるなんて誰も思っていないはずですし、何なら諭吉のオムツを変えた人だってまだ生きていた可能性だってある。
つまり、仮に慶應義塾の名付け親が福沢諭吉だったとすると、「福沢さんとこの諭吉がひねりのない名前の学校を立ち上げたぞ」と陰でいじられていたかもしれないんです。何なら面と向かって「まんまじゃん」と言い放った人がいた可能性もある。
慶應時代の人たちは未来の慶應義塾、将来の福沢諭吉を知りません。令和の私たちがタイムマシンで慶應時代に行き、当時の方々に福沢諭吉がどうなっていくかを説明したところで、「冗談も休み休み言えよ。学校に『慶應』とかつける野郎だぜ?」と返されるのが関の山です。令和の私たちが未来人から「令和健康科学大学が伝統と格式のある大学になっている」とか「令和健康科学大学の設立者が紙幣になっている」とか言われても信じられないのと同じです。
そう考えると、慶應義塾大学もすごいですが、慶應の時代を生きた人もなんかすごく思えてきます。もし慶應生まれの方が今も生きていれば尊敬を集めまくっていたでしょう。やはり何事も長く続けば続くほど尊敬の対象になりやすいようです。皆さんが大好きなものに打ち込んでいる時、誰かに多少いじられたところで続けたほうがいい理由は、こういうところにあるのだと思います。