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かわいそうなぞうじゃない

 上野動物園でゾウを見たんです。

 上野動物園、ゾウとくれば思い浮かぶのは児童文学作品「かわいそうなぞう」です。

 戦争下における動物園を描いた有名な作品で、事実と異なる点もあるようですが、実際の事件に基づいた悲劇となっています。

 空襲で破壊された檻から動物が逃げて人に危害を与えるかもしれないと考えた軍部は、動物園側に飼っている動物の殺処分を命令します。最初は毒による処分を試みたんですが、ゾウは毒入りの餌を食べようとしない。そのため、餓死するのを待つ方針に切り替えたところ、ゾウは飼育員を見かけるたびに餌をもらおうと必死に芸をする。戦争のやるせなさを端的に表現しています。

 上野動物園には生き物好きの友人と行ったんですが、その友人も上野動物園のゾウを見て「かわいそうなぞう」を思い浮かべたようです。上野動物園にしょっちゅう出かけている友人が言うには、今の上野動物園のゾウを見て「かわいそうなぞう」を連想し、「この子たちはご飯をたくさん食べられてよかったね」と安堵する客が時々いるんだそうです。

 現在だって戦争はありますし、悲劇をあげればキリがありません。ですが、少なくとも今の上野動物園は戦火にさらされてもいなければ、ゾウを餓死させるようなこともありません。この日のゾウも飼育員からたくさんの餌を与えられ、嬉しそうに食べています。ゾウの気持ちは分かりませんが、平穏な生活を送れていると言っていいのかもしれません。

 今が平和で何よりだ。そう思うだけで終わらせておくのがいいんでしょう。でも、私は気になってしまいました。ゾウが満足な食事をできるのは喜ばしい。と同時に、そのゾウは「かわいそうなぞう」に出てきたゾウでもなければ、そのモデルになったゾウでもない。今のゾウを見て「かわいそうなぞう」を思い起こし、「ご飯をたくさん食べられてよかったね」と安堵するのはなんか奇妙に感じるんです。

 例えば、仮にあなたが誰かから「明智光秀に本能寺で燃やされなくてよかったね」と安堵されたところで、何を言っているんだと戸惑うでしょう。「俺の名字、織田じゃねえし」なんてツッコむ人もいれば、「それはフィギュアスケートやってる人に言ってくれ」とジョークを飛ばす人もいるでしょう。私が安堵されたら、間違いなくやるはずです。そして、しっかりスベるはずです。

 こんなくだらないことを考えるくらいなら、満腹のゾウを見て素直に安堵しているほうがいいですよね。私もそう思います。

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