忙しい人向けに簡略化してゆく中で
検索すると大量に出てくるんで多分マーク・トウェインの言葉で間違いないと思うんですが、こんな一文がございます。
全く同じことは起きないけど似たようなことは起きている、というような意味でしょうか。個人的には「歴史は繰り返す」という言葉により正確さを加えた言葉に思えます。
さて、私は映画やドラマをほとんど見ないのですが、そんな私のところにも映像作品を倍速で見る方式が議論を呼んでいるという話が飛んできました。私のような人間の耳にまで入るということは、それなりの騒ぎになっているのだと推測されます。
先ほどもその手のニュースで軽く検索をかけてみましたが、倍速視聴は映画やドラマが好きな方々を中心にものすごく怒っていて、そして、怒られた倍速派の方々も「なんで怒られなきゃいけないの」と怒っている印象です。あまりの怒りっぷりに私、怖くなってすぐにページを閉じてしまいました。
どうしてこんな議論が起きているのか。恐らくは、最近になって動画や音楽での倍速をみんなが簡単にできるようになったため、倍速視聴が一般化してきたのだと思います。そして、それを知って「マジかよ」と思う人もまた増えてきた。
ただ、ふと思ったんです。思い返せば私、ビデオデッキ全盛の時代から、映画だろうがドラマだろうがバラエティだろうが、「なんかつまんないな」と思ったら平気で早送りしてたんです。でも、一緒に見てる人の許可を取らずに早送りしたとかならともかく、自分ひとりで見てる時に早送りをしたと告白して怒られた経験はありません。何なら、当時の早送りは音声なしか、今より音声が聞き取りづらいものばかりでした。ですから、むしろ最近の倍速視聴の方がちゃんと視聴してると思います。
倍速視聴と関連して、こんなものも思い浮かびました。先日、本屋をうろうろしていますと、「本〇〇冊を1冊にまとめてみた」みたいな本が何種類も並んでたんです。アマゾンで軽く検索をかけたら、次のような本が出てきました。
それぞれで取り上げられている本が重複していなかった場合、以上の7冊でざっと500冊がまとめられた計算です。倍速どころの騒ぎじゃありません。あと、名作の最後の一文ばかりを集めた本もありました。
他にも思い浮かんだものはあります。
例えば、チベットにはマニ車と呼ばれるものがあるようです。棒の先端に金属製の丸い筒がくっついていて、筒にはありがたいお経が書かれている。そして、その筒を一回転させると、ありがたいお経を最初から最後まで読んだのと同じ効果があるんだそうです。
あとこういうのもあります。お遍路で巡る四国八十八ケ所の砂を集めた「お砂踏み」です。その砂を踏んでお詣りをすれば、お遍路したのと同じご利益があるというシステムになっています。
人はそれぞれにやることがいろいろありますし、それに対して時間は有限です。様々な事情により、そこまで時間を使わずに済ませる気軽な方法はどうしても出てくると思います。まとめ本やマニ車やお砂踏みだって議論の対象になった時期はあったのかもしれませんが、とりあえず現在は社会の中で立ち位置を確立しているようです。ですから、倍速の視聴の議論もそのうち落ち着いてくるんじゃないかなあと考えています。
何なら、今でもマジお遍路をされる方々はいらっしゃいますし、ちゃんと最初から最後までお経を読む人だっているでしょう。100冊にまとめられるような名著をちゃんと1冊1冊読んでいく人だってそうです。映画やドラマも、ちゃんと見る人はこれからも見てくれると思います。