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みんな天才が好き?

 京都大学の白眉はくびセンターに夢中なんです。

 公式サイトのプロジェクト概要を見ると、白眉センターでは毎年、公募で優秀な研究者を集め、決められた期間、研究をサポートしながら育成していっているようなんです。基本的に研究ジャンルも国籍も問わず、「すごい研究者なら採用する」という感じのようです。研究者一覧を見ると、本当に研究ジャンルも国籍もバラバラで、眺めているだけで楽しくなります。

 しかし、何が一番気になるって名前なんです。何しろ白眉です。白眉とは最も優れた人やものを例える言葉でございまして、由来は三国志の馬良でございます。馬良の兄弟はみんな優秀だったんですが、中でも眉に白い毛のある馬良は桁違いに優れていた。だから、白眉は優れたものを例える言葉になっているわけです。

 つまり、京都大学の白眉センターは「ド天才センター」と言っているに等しいんです。不思議な名前が大好きな私は初めて白眉センターの名を見てビックリし、そして夢中になっているんです。

 ただし、京都大学で研究所を作れるような立場にある方々はみんなちゃんとした大人ですから、当然ではありますが、「どうも、我々が白眉です」なんてノリで名付けるわけがありません。この手の壮大な名前を付ける場合は、あくまで「それを目指す」というスローガン的な意味も込めるのが普通です。大学は教育機関でもありますから、白眉を生み、育て、世に送り出すことが目標だと考えられます。

 京都大学がどれだけ優秀な大学かは説明不要でございますけれども、そんな大学だって白眉育成への道は険しい。実力がものを言う世界のピラミッド構造は上に行けば行くほど鋭角になりますから、トップに近ければ近いほど競争は苛烈を極めます。白眉じゃないとやってられないくらい大変。「優秀な大学」というブランドを守るためには白眉を目指さざるを得ないんだと思います。だから、敢えて白眉の名を使う気持ちは理解できます。

 そんな白眉センターを見ていて気になったことがあります。白眉センターはあくまで白眉を目指すセンターであり、また、直接的な名前ではないにしろ意味としては「ド天才センター」です。では、他にもこういう「天才」みたいな意味の言葉を冠した公的なものはあるのでしょうか。簡単ではありますが、調べてみました。

 先ほども書いたように、この手の名前はあくまで天才の育成を目指すためにつけられることがほとんどであると同時に、婉曲な表現を用いることが多いようです。確かに、天才を目指したいとは言え、名前にそのまんま「天才」を用いるのは勇気がいります。

 ということで、そういう方向で調べてみると、予想通り、「天才」そのものを使っている名前よりも、婉曲な表現のほうが簡単に見つかりました。例えば、英語版の天才「ジーニアス」です。ジーニアスの名を冠した企業は複数見つかりましたし、何だったら学生がお世話になるジーニアス英和辞典もございます。

 先天性な天才の意味合いが強い「ギフテッド」もまた同様で、こちらもまた複数の企業が見つかりました。

 ちょっと変わったところでは上智大学がございます。「上智」は「人を望ましい人間へと高める最上の叡智」を意味する言葉で、上智大学の通称でもあります「ソフィア」の日本語訳でございます。これもノリは白眉センターに似ています。

 いずれにしろ、目標である「天才」をそのまま名前には使わず、別の表現を用いています。では、「天才」そのものを名前につけた機関がゼロかと言うと、そんなことはありません。今回、唯一見つかったのが「世界天才会議」です。

 どんな機関だろうと思ったら、会長は「ドクター・中松」こと中松義郎さんでした。

 天才なんだから天才と名乗ればいい。非常に真っすぐな思想で、それゆえ極めて分かりやすい名前でございます。

 周りが向かっている先とは異なる方向へ進む人は、しばしば見られます。敢えてやってる人もいれば、好きにやっていたらたまたまそうなった人もいる。だから、それができるかどうかは、天才かどうかとあんまり関係はなさそうです。うまくいくかどうかも場合によるでしょうし。

 ただ、周りと違えば目立ちますし、それゆえ独特の魅力を感じる人がいるのは事実です。だから、「さすがっすね、ドクター」と思う人がいるでしょうし、実際に思っている自分がいます。みんなが敢えて避けているところにズドンと行った感じが出ている点も一因でしょう。

 よく考えたら、「天才」もまた、周りとは違う存在です。平均からかけ離れた、ズバ抜けた才能の持ち主。だから、皆さん天才に魅力を感じているのでしょうし、そんな人の育成を目指したり、名前に用いたりしているのかもしれません。

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