「期日をちやんと守る方は、十人中に○人です」
こんにちは。きのうは昭和13年7月の雑誌付録から、美しいレース編みの写真を見ていただきました。そして「昔の人はこういうのを驚くほど短時間で編み上げていたらしいよ」というお話を書きました。
きょう見ていただくのは、きのうの本と同じく『主婦之友』の付録で、昭和14年2月号のものです。つまり1年もたっていません。
タイトルは『内職にも向く 實用手藝品の作方八十種』。
「内職にも向く」という言葉が端的に表しているように、時勢は一気に厳しさを増しています。「統制品」「慰問袋」「皇軍」「出征御家族」などという言葉がいくつも目につきます。私が持っている戦前の出版物の中では、これがいちばん戦時色の濃いものです。眺めていると、それだけで時代の厳しさがジワジワ染み出てくる感じ。「手芸の本」としては夢がなさすぎるけれど、歴史資料としては一級品だと思います。
目次を見ていただきましょう。
この本の特徴は、どの作品の作り方にもまず「内職にする場合の心得」などという忠告の文章が掲げられていることです。八十種もの、しかし似たりよったりの忠告を読んでみて何となく感じ取れるのは、
「そもそも内職にありついてまともな収入を得ること自体が難しかったにちがいない。うまくいった人はほんの一握りだろう」
ということです。
いろいろな執筆者のうち、おそらく最も厳しいことを書いているのは「動物玩具輸出商 山崎孝吉」氏です。
やれやれ、これは耳が痛いですね。「期日を守る方は十人中に二人か三人」ですって。戦前の日本人ってそんなにルーズだったの? と呆れてしまいます。今の日本人が自分たちについて抱いている良いイメージ(勤勉・器用など)は、戦後の経済成長によって初めて作られたものではないかと思います。しかしこのへんは、専門の研究者の方におまかせしましょう。
考えてみればこの時代の女性は、仕事で現金収入を得たことなどあまりなかったはず。世間知らずになってしまうのも仕方なかったかもしれません。
針仕事のスキルも、人によってばらつきが大きかったことがわかります。女性なら誰でも上手ということはなかったんですね。
もう一人、すでに note で何度かご紹介した柴田たけ子先生の言葉を見てみましょう。柴田先生は、絹糸でかぎ針編みにしたショールを紹介しておられます。
キビシイ! でもやっぱり、ルーズな人はいたんですね……。
「時代が厳しくなった」といっても、それは後世から見て言えることで、当時の人々の多くはまだ楽観してたんじゃないかとも思います。だって、同じ雑誌の付録に華やかなレースのクロスが載ったのは、わずか7ヶ月前ですから。
こういうことを知ると、当時の世知辛さが身にしみる半面、なんだか少し気が楽にもなります。昔の人だって、みんなが偉かったわけじゃないんだ。今の人間だって、昔に劣らずがんばってるじゃないかと。