再認★
という言葉があるとのことなので、この言葉をタイトルに使った。
言いたいことは、改めて、再び分かることの大切さ。
昨日、佐伯胖さんの「わかる」ということの意味を読み終えた。
幼稚園関係の大学教授がおすすめされていた本で、「分かる」ということについて自分も関心があったので、手に取った。
40年以上も前に出版された本だが…面白い。なるほど!たしかに!と共感する部分が多い。
本を読んで特に印象に残っていることをいくつか。
・わかる、できるはそもそも受身な行為。(何か対象があって成り立つ)
・他者から与えられた問題ができたとか、答えがわかったという程度で終わっていると、深いところまではたどり着かない。(そういう点をふまえると、受験勉強は浅い学びである。)
・なるほど!やっぱり!と、納得感を得ることが深い「わかる」につながる。
・そのためには、自発的に「本当にこれで良いのか」と問い続け、学び続けることが大切。
このことを踏まえて、この記事のタイトルに再認という言葉を用いた。
個人の学びとして、「改めて」という言葉の価値を再認できたことが大きい。
また、本を読みながら思い出したことがある。
それは通勤途中に見つけた、寺に貼ってある言葉。
自分は探すものではなく、つくるものである。
本書には筆者がアメリカの大学院で学んでいた時のことも書かれていた。
日本にいた時の「深く学ぶとはあらゆる文献にあたり知見を蓄えること」という認識は覆され、「つまり自分はどう考えるのか」といったところが、何よりも重要だと気付かされたとあった。
ここにも見つけるのではなくつくるのだという主張が当てはまる。
自分のことを思い返しても、まさにこの「つくる」という視点が欠けていたなと感じる。
本を読むのは好きだし、発表資料を作る際、「何か根拠になる文献を持ってこなければ」ということに重きを置いていた。
たしかに説得力は増すかもしれないが、内容に対する熱はその分下がっていた気がする。
サンガの試合観るのめっちゃ面白いで!
フットサル楽しいで!
蒙古タンメンめっちゃ美味しいで!
自分が心から好きなものを語る時、そこに文献や他の方の意見は語らない。
学問に関しても、これに通ずるものがある。
今回の記事の内容は、今日の朝に「発表スライドのテーマ何にしよかな」とパソコンに向かいながら、頭の中で考えていたことでした。
久々に思考の足跡というか、有意義な記事が書けた気がする。
こういう時はタイトルに★をつけることにしよう。