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「書けない」ということを書く

本当に書けない。

開いて、タイトル書いて、本文を書き出して、deleteしてまた書いて。

そのうち、何を書きたいのか、何を伝えたいのかが分からなくなる。

そんなことが、何日も続いている。

noteを開くのに、何も完成しない。

そして、昨日私は、下書きにあったものを何個も削除した。 


適当な私の中にある、「ちゃんとしたい欲」が原因? 


いや、そうでもないな。

「ちゃんとしたい」という欲求より、

「腑に落としたい欲」

これが強いのだ。

しっかりと腑に落としてから表現したいのだ。 


クライアントさんたちに見せる資料づくりの時も、いつもそう。 

自分の中に起こった気づきを、「つまりこういうことが起きていて、こういう仕組みだったんですよ」と説明するのが好き。

 

モヤモヤしていた感覚的なもの、頭の中で整理されていない気づきが説明できる資料として形になった時、「そうそう、これだったんだ!」と、嬉しくなる。

 

そして、人にもシェアしたくなる。

それは、ある意味自慢話のよう。


「ねぇ、ねぇ、聴いて!こんな気づきが起こったの。どうどう?この解釈。この説明!」ってまるでお母さんに伝えるかのごとく話している感じ。


それで、シェアされた人たちが「あ〜、こういうことだったのか!」と共感してくれたり、「私の感覚はこれと違って、こうだな」とさらなる気づきを話してくれたり。


そんな、「気づき」が起こる場が作るのが好きなんだな〜。


あれ、ここまで書いて、めちゃくちゃスムーズに書けているではないか?と気づいた(笑) 


「書きたいけど書けない」となっていたあれは、なんだったのだろう?


書けない=何もない。ではない。


伝えたい想いがあるけど、表に出せない。

この時、全部をなかったことにしてしまいがち。 


「伝えたい」と思っているのは事実。

そして、

「表現できない」のも事実。

だから、後者に合わせて、想いまで削除していたのだ。 


私の「伝えたい」まで、一緒になかったことにされてしまう。

想い(欲)の存在否定。

これは辛いよね。

 

だから、溜まっていく。

内側に伝えたい想いがありすぎて、さらにまとまらなくなる。

そして、

書きたいのに、書けない状態になるのだ。

 

じゃあ、どうすればいいのか?

「書いたいのに、書けない」ことについて書けばいいのだ。

ほらっ、そしたら今日は書けたじゃないか。

自分の内側を言葉にできるって、楽しいな。嬉しいな。気持ちいいな〜。



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