イタリア人とのディベートで学んだ法律に対する認識の違い
カナダ留学後半の授業で、
ディベートをすることになりました。
テーマは
「少数民族の文化は尊重されるべきか」
でした。
カナダには先住民族を虐待した悪しき歴史があるのです。
私は「少数民族の文化は尊重されるべき」という立場(肯定派)でした。
この際、私はこのディベートに勝てるのではないかと少しだけ思いました。
なぜなら、
Canadian Charter of Rights and Freedoms
というカナダの憲章で、
・「全てのカナダ人の自由と権利は保障されなければならない」と定められている。
・この憲章はマイノリティの権利保障を目的に作成された。
ということを、カナダの政治学の授業で学び、
知っていたからです。
そのため、この法律を根拠として示せば、
どんな意見にも反論出来ると考えたのです。
そして臨んだディベート。
カナダ憲章の条文についての説明をしました。
「少数派の権利を守ることが法律になっているから、少数派の権利は守らないといけないよね。
さもないと、法律違反になるんだよ。」
これでみんなを説得出来ると思いました。
なぜなら、日本だったら根拠に法律が示された場合、反論の余地がないと考えられるからです。
実際、私が日本で書いてきた小論文も
法律を根拠にすることで
難なく乗り越えられました。
しかし、そんな期待は裏切られました。
1人のイタリア人が
「じゃあその法律を変えればいい。」
と言ったことで私の主張はすぐさま一蹴されて
しまったのです。
衝撃でした。
なぜなら、私には
「法律を変える」という発想が一切なかった
からです。
日本はとにかく法律や制度を変えるのに
時間がかかります。
そのため、法律は議論をしたところで
そう簡単に変わらないというのが
私の中の常識でした。
しかし、イタリアのような西ヨーロッパでは
何事に関しても議論が盛んで、
日本よりも法律が可変的なのではないかと
考えられます。
そのため、法律を疑うという視点や思考を
持ちやすいのではないかと考えました。
法律が絶対的であるからこそ
日本の平和が保たれていると考えれば、
日本の保守性も絶対悪とは言い切れません。
実際、西欧で軽犯罪発生率が高いのは、
法律を絶対視する人があまり多くないから
ではないかとも考えられます。
しかしやはり、
「法律を変えればいい」と、いとも簡単に
予想外の主張をしてきたイタリア人留学生は
衝撃的でした。
この経験を通じて、
西ヨーロッパ社会と日本社会では
法律の絶対性
にも違いがあるのではないかと考えました。
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