"お気持ち表明"とは何なのか定義付けしてみた
【はじめに】
"悲しいことがありました…"
そんな書き出しから始まる、ライブ等の感想文を「お気持ち表明」と表現することも、かなり定着してきたように感じる。ニコニコ大百科では該当ページもあるし、ネット用語としては一定の市民権を得ているといってもよいだろう。
一方で、ネット上のあらゆる感想や意見が「お気持ち表明」と揶揄されるのは個人的には非常に違和感がある。「お気持ち表明」とは、単なる感想とは切り分けて使っている気がする。
文章を見たとき「これはお気持ち表明だな…」と揶揄したくなることもあるし、「非常にいい感想文だ」と感じるようなブログやnoteもあるはずだ。そのような明らかに性質の違う2つの文章を同じ言葉で示すことは、適切とは言い難い気がする。
そこで本稿では、感覚でしか分からない「お気持ち表明」について言語化を試みる。「感想」と「お気持ち表明」は何が違うのだろうか。
念の為言っておくが、このような定義で使ってほしいという「お気持ち」ではないし、お気持ち表明を否定するつもりは全くない。個人的な思考の整理を発信する主旨である。
既存の定義
整理するにあたり、既存の定義はあるのだろうか。
結論、明確な定義は見当たらなかった。触れている個人制作のウェブページ等はあるが、漠然としていて定義にはなっていない。情報が比較的整理されている先述のニコニコ大百科の概要もあいまいだ。*1
…当人が思っている意見や感情·心境の変化を言葉に表し、ブログやSNSで表現する事を「お気持ち」または「お気持ち表明」というようになった…
これでは、本稿整理の主眼である「感想」と「お気持ち表明」の違いが分からない。
『今日のライブは楽しかった』という文章がSNSで発信されたら、それはお気持ち表明なのだろうか。単純にネット上で発信される感想はすべてお気持ち表明なのだろうか。先述の通り、私はそのようには思わない。
そこで、同記事の他の箇所2点を整理の足掛かりにして整理したい。
一つは”お”という接頭語がついている点。
「一個人の意見なのに「お」が付くのは「著名人や有力者並みに尊重されるべき意見だと思っているんですね、わかります」という皮肉である」
もう一つは、「お気持ちヤクザ」という関連項目の内容。
「自分の感情や勝手に推察した他人の心情を論拠に対象を叩くことを『お気持ちヤクザ』と呼ぶことがある。何故ヤクザかというと(中略)自分が権威だと思っている人の気分を害したという理由で堅気に因縁をつけるのに似ているからではと推測される」
いずれの項目も「お気持ち表明」について、本来個人の感想にも関わらず、その感情に正当性があるかのように錯覚しているような書かれ方をしている文章であることが念頭に置かれているように感じる。また、このような文を「お気持ち表明」と呼ぶ認識は感覚的に誤っていないと思う。
上記の正当性に関する点が「お気持ち表明」の要素の一つであるということを前提に、4つの点(How/What/Who/Why)に沿ってさらに掘り下げる形で整理したい。言わずもがな、文章の要素5W1Hの中から、When/Whereを除いた切り口である。
①ネット上で発信(How)
まず、手段と方法だが、ネット上で発信することとシンプルに定義したい。
長文と定義されているブログ等もあるが、ツイッター程度の文字数でもお気持ち表明と揶揄されるものもあり、文の長さ等は関係ないように思う。
例えば上記は、お気持ちエッセンスを詰め込んだ、教科書のようなお気持ちツイートであると思う。
また、文章ではなくYoutube等で「悲しいことがありました」とするのも、お気持ち表明だと思う。文章に限る必要性は感じない。
②ネガティブな感想が内容(What)
次に内容だが、ネガティブな感想であることと定義したい。
ポイントは、「感想」と「ネガティブ」の2つである。この2点も、あまり異論はないように感じる。
まず、「感想」つまり明確な根拠がないことが大事だ。例えばグラフや表などによるデータ・根拠があると、「お気持ち」というより「考え」と呼んでよいのではないかと思う。
また、「ネガティブ」、つまり書き手が嫌いとか、気にいらなかった内容であることも大事なポイントだ。この点は、後述する「Why」に密接に繋がってくる。
③感想にもかかわらず主語が「私」ではない(Who)
③‐1主語の拡大
具体例を見ていただきたい。
りあむソロ、何も考えず炎上させる事だけ考えて作ってそう(絵文字)こんなうすら寒いノリ続けてるから曲のミリオン、キャラのデレって揶揄されるんじゃないの?(http://nokuo.blog.jp/archives/40809780.html)
この文章、前半は「感想」後半は「お気持ち」だと考えられる。
何が言いたいかというと、前半はあくまで「私はこう思う」だったにも関わらず、後半は「揶揄される=みんな言っている」に主語が大きくなっている。
確かに書き手や周囲の人、一部の人達は「曲のミリオン、キャラのデレ」と思っているのかもしれない。しかし、もちろん何のエビデンスも示されていないし、Googleで検索しても何も出てこない。
また、仮に多くの人がこのように思っていることが事実だとしよう。だとしても、「私は『曲のミリオン、キャラのデレ』みたいになっていると思う」と自分の感想とすればいいわけで、勝手に他人の感想を代弁する必要はない。仮定なのであれば「多くの方は曲のミリオン、キャラのデレって思っているのではないか?」と疑問形にするのが望ましいだろう。
実はこのように勝手に主語を拡大する手法は「太宰メソッド」というスラングでも呼ばれており、留意が必要だとされている表現だ。
「お気持ち表明」が、正当性が高いように錯覚しているような書かれ方だとするならば、主語の拡大によって正当性を確保しようとすることは、「お気持ち表明」の要素足りうるのではないか。
③‐2権威の笠を着ようとする
主語の拡大の変化形だ。具体例をあげる。
主題は、アイマスライブにおける家虎だ。
本題、「アイマスライブでイェッタイガーは許されるかどうか」まず、結論から申し上げますと自分は反対、つまりアイマスライブでイェッタイガーをするのは控えたほうがよいと思っています
家虎はすべきでない、という結論のために、下記のように、「アイマス(デレマス)ではコールが決まっている」という点を根拠として述べている。
アイマス(デレマス)ライブではコールが決まっている(略)同じことになりますが周りと違うことをやっていると非常に目立ちます もしステージ付近でやろうものならステージ上の演者も不快に思うかもしれません 別の作品のライブではありますがライブ中携帯をいじっている人が見えて演者がすごい悲しい思いをしたとかなんとか
確かにコールを大多数の人間が同じようにしているように感じたのであれば、「アイマスはコールが決まっている」という感情は一理ある。ただ、なぜか演者の気持ちに話が飛んでいる。
「周りと違うことをやっていると目立つ」のは、おそらく「自分が」家虎をやめた方がいいと思う理由であり、自分の感想を述べるべきところ、なぜか演者の感想を推察し、主張の根拠に組み込んでいる。しかも十分な推測の根拠がない。
これは主語の拡大、すなわち「みんな不快に思っている」とは違うジャンルである。なぜならば、お気持ち表明者が母集団である「観客」の意見を代弁している(③‐1)場合、本人も観客の一人であるからして、感想を同様であると推察するのは一理あるからだ。
しかし、出演者の気持ちとなると、まったく書き手と関係がないし、推察の足がかりがないはずだ。言い換えると、まったく根拠のない妄想になる。
全く関係ない第3者の気持ちを想像し、主張の盾にするのであれば、仮に感想であったとしても、ある程度踏み込んだ根拠を述べるのが望ましいだろう。例えば、”〇〇さんは以前ラジオで家虎を不快だと言っていた”とか”直接でないが「静かに聞いてください」と苦言を呈した”とか。携帯をいじっていたら悲しかったというのは、注目されていないことへの苦言であるから、まったく別(というか真逆)の話である。
このように、出演者や公式の思いを勝手に推察・代弁し、自身の主張の根拠とするのは、主張のオーソライズを得たい、すなわち正当性を得たいからだと思う。よって、お気持ち表明の要素足りうるのではないか。
類似の例としては、「マナー」「モラル」などと抽象的で不定の概念を持ち出すこともあげられる。
個人的に言ってることは分かるのだが、それは「自分が」マナーだと思う、もしくは気に食わないという話であるはずだ。さも自分や周囲の考えが確立されたマナーのように主張するのは、正当性を得るための表現だろう。
④他者の行動や感想へ干渉したがる(Why)
下記は、ライブで厄介行為を行う他の観客に対しての「お気持ち表明」がまとめられている。
注目したいのは下記の部分だ。
「ただキャストの前でやめろと言われた場所でやって自分だけ楽しければいいという考えをしてるガキが許せないだけです」
「公式の場でやるなよ 大人になってくれよ 出来ないならカラオケ行けよ アニクラ行けよ」
確かに、他人に迷惑が掛かる行為は良くないし、バンドリは”家虎”に対して明確に否定している。しかしだからと言って、他者の行動を許可・命令するのは筋違いだ。
これが運営に対する苦言であるならば理解出来る。なぜなら、運営(サービス提供者)に対して、顧客が要望を述べることは、自然なことだからだ。
しかし全く関係ない他者に対し、不快に思うだけで行動について申し述べることは自然ではない。この例で言えば、「もう少し厳密に運営は取り締まりをすべき」と、運営に対して物申すのが自然だ。
他者に不満に思うなということではなく、例えば「公式からやめろと言われたのだから流石にやめるべきだと思う」と、自分がどう思うかにとどめるのが本来の感想なのではないかと思う。
自身がどう思うかの範疇を超えて、無関係な他者の行動を制約したり命令するような表現は、自身がそのような振る舞いを行う正当性があると感じているから発生するのであって、「お気持ち表明」の要素足りうるのではないかと思う。
先述した「ネガティブ」という内容面との関係もある。要は、自分が気に食わないから「それはやめろ」と他者の行動に干渉したがるのだ。
また、行動ではなく感想に干渉するパターンもある。
例えばわざわざ他者の感想ツイートへリプライする場面などだ。『〇〇という映画が面白くなかった』という誰かのツイートに対し、『僕は△△というシーンが面白かったけどな…』などと、知人でもない人にリプライを行うのはお気持ち表明と言えるだろう。
なぜなら、『自分の感想』と『他人の感想』は本来無関係だからだ。誰がなんと思おうと、自分の感想は関係ない。だから、リプライや引用RTする必要はない。言葉の裏には、『俺の感想が正しい/お前の感想は間違っている』という思いがあるからわざわざ他者の感想に触れるのではないか。
結論
ここまでをまとめて、お気持ち表明を整理してみる。
お気持ち表明とは、ネット上で、ネガティブな感想を述べるもの。十分な根拠がないにもかかわらず、主語を拡大させる・自らの主張を公式の考えやマナーのように表現した文章構成をとるなど、あたかも自身の感想に正当性があるような言い方で、他者の行動や感想に干渉するような内容であることが多い。
個人的には、”お気持ち表明”だと思う文章の説明として違和感はない。もちろん穴のある言語化だろうが、試みとしては面白いものになったのではないかと思う。
皆様のお気持ち表明のおともに、もしくはお気持ち表明回避のおともに、役立てて頂ければと思う。
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*1ニコニコ大百科が辞書レベルでオーソライズされた情報が整理されていると認識しているわけではない。しかし、今回はネット用語ということもあり、検索して出てくるメディアの中では大百科が最も認知度が高く、情報の整理もされていたように感じたため主に取り上げている。
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