具体的な目標を立てないまま歳を食うのはまっぴらだ。
「具体的な目標を立てないまま歳を食うのはまっぴらだ。」
命の危機を乗り越えて、多くの経験者の記事を見て
自分の命がなくなることを想像し苦悩が続き
体調をさらに悪化した時期もあったけれど
ようやく今精神的にも落ち着いてきたのでリスタートする。
4月に通院、5月に手術と決まっているけれど
自分の生きるための理由を
大きな目標をこの年齢で立てることにした。
他人の裏方になるのはやめる。
思い通りに人を動かすことは
すごく難しく、ストレスの溜まることだということがわかった。
多分それは、自分ならできるのに、とか
自分だったらこんなふうに効率よく結果を出すことができるのに
と頭で考える中、着手すらできないもどかしさが続き
「やれないことのもどかしさ」が苦痛やストレスになっていたのだと思う。
というわけで、週に一回でも自分の思いを文章にして
目的に繋げる一助としたい。
そしてスタートに戻ると、運良くイラストレーターの妻を持った私だが
全く妻は動かない。スロースタートで話にならない。
自分がやりたいことをやるしかない。
それを見せて奮起させる際かない。と思った。
まずは4年後の自分
先日、閏年に自分にメールを送ってくれるサービスにメールした。
2/29の1日しか申し込めないもので、偶然見つけたわけだけど
とにかく健康を考える文だったと思う。
こうなりたいとか、こうしたいという目標など考える余裕がなかった。
そんな中、
【生きなきゃいけない目標を、持っている人はなかなか死なない。】
という記事を思いだした。
自分が健康でいるために、子供に何かを残すために
まだまだ自分はできる。
そして大きな目標を持って、それに向かう階段を登り続けいていれば
些細な喧嘩やイラつきも減るかもしれない。
そしてストレスを溜めず、小さな達成感を味わい
それこそ登山をしているような体験が続けば
自己免疫も上がり、健康に対する意識も上がるかもしれない。
結果健康でいられて、目標達成ができるのではないかと考えた。
そこで自分の50歳、着地点を定めることにした。
「絵本作家になる。」
そのための4年後の目標から具体的に落としていくこととする。
過去にも考えていた目標がぐるっと回って浮かんだ。
商売的な観点と理想的な創作部分が合致する。
自己満足で終わる芸術なんて認めたくない。
自己中心の妄想作家になりたくない。
自称ゲージツ家ほど嫌いなものはない。
というわけで4年後の目標と
50歳の目標を並行して考えることにする。
まず今できること、周りに惑わされることないように。
見て見ぬふりをしつつ自分の時間に
思うことを実行するのだ。