最近の記事

「娘がいるということ」

確信を持っていた。 変な男だと思われるかもしれないが 私は結婚前から「自分には息子が生まれる」と。 そのため出産前、性別判定がされても 「たぶん写らなっただけだろう。」 「分かっているんだ。君が男の子だって。」 エコー写真を眺めながニヤついていた。 いざ当日、妻の出産後、対面した我が子。 「アレ?ない?」と自分で確認してもなお、 受け入れるのに時間がかかった。 紛れもなく娘だった。 娘との生活 そんな中、いざ娘と生活して感じる事は、 今自分にとって娘はかけがえのない

    • 具体的な目標を立てないまま歳を食うのはまっぴらだ。

      「具体的な目標を立てないまま歳を食うのはまっぴらだ。」 命の危機を乗り越えて、多くの経験者の記事を見て 自分の命がなくなることを想像し苦悩が続き 体調をさらに悪化した時期もあったけれど ようやく今精神的にも落ち着いてきたのでリスタートする。 4月に通院、5月に手術と決まっているけれど 自分の生きるための理由を 大きな目標をこの年齢で立てることにした。 他人の裏方になるのはやめる。 思い通りに人を動かすことは すごく難しく、ストレスの溜まることだということがわかった。

      • こう言う時にしか連絡してこない友人

        日ごろ見かけないアイコンからのメッセージ。 あれ。これ誰だっけ? ああ..察した・(あるシュチエーションでしか連絡してこない友人) 今度は誰だ?? そこには驚きの名前。 「◯◯さん亡くなったって連絡きたけど聞いた?」 46歳は若すぎるだろう。 のちに癌だったことがわかった。 子供も20歳前後 父親と対等になり これからが男同士で話せる 貴重な時間だったかもしれない。

        • 父親ってなんだ。

          とても厳格な人だった。 遊びのない厳しい人で。 短気で、白か黒かモノサシがはっきりした人だった。そのせいで家族は顔色をうかがう毎日で、いつの間にか父の前とそれ以外の自分は違う人間になっていた。 作っていた。知らず知らずのうちに父が嫌がらない子供を演じるようになっていた。 それは、父以外の家族とは共有していて、皆同じだと気付いていた。目を瞑っていた。家以外で自由にできるのであれば家では我慢しようとしていた。 そして、歳を重なるにつれ、偏屈で頑固な父を変えることはできない

        「娘がいるということ」