知識を得るルート "グーグル"か"読書"か
学者の書く随筆が面白い。
名の通った学者でも、我々俗世の地平から物事を観察し、その何処にでもありふれた体験から独自の体系を呈する。
私達が普段よく目にする光景に、違った角度の見方を与えてくれるその感じが、新しい感触を与えてくれるのである。
また、学者の博識さに驚かされることもある。
学者だから当然と言えば当然なのかもしれないが、明らかに当人の専門とは異なる文脈が現れることも多々あり、それらを独自の理論体系に結びつけて論旨を展開するのは、見事に感じられる。
こうした学者の博識に触れると、私は、
「何処でこんなに多岐に渡る知識を手に入れるのだろう?」
という疑問が湧いてくる。
こうした要因を辿っていると、やはり先ず考えられるのは量的問題である。
学者たるや毎日のように古典から最新の論文まで幅広い文章を読んでいるので、知識量が一般民に比して膨大になるのは必然である。
だが、恐らくそれだけの要因ではない。
思うに、知識を手に入れるプロセスが異なるのである。
我々は知りたいことがあると、取り敢えずググる。
グーグル先生は間違いなく世界一の博識ではあるが、彼が与えてくれるものは、検索したことに対する解答だけである。
つまり、聞いた"1"に対して"1"が解答として瞬時に返ってくる。
Qに対してAが直ちに返ってくる。
それに対して、学者のように本や論文に質問の解答を求めようとすれば、勿論時間はそれだけかかるが、その解答を出す為の実証プロセスのみならず、そこに付随する様々な情報に触れることになる。
したがって、読書から得られるものは、
"1"の質問に対して"多"の情報である。
グーグルが直線の最短ルートだとすれば、
読書は大回りする遠回りルートである。
目的地に到達するには時間が余計にかかるが、
それだけ各地の景色を眺めることができるわけだ。
この遠回りのルートが多岐に広がる知識の供給源ではないだろうか。
勿論、グーグルは瞬時に答えを得ることにおいて優れている。
だが、時には余裕を持って読書に周り道するのも面白いものである。
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