【出産体験記】 51時間37分の闘い、感謝。
6月26日、午前6時30分、2904gの元気な男の子が誕生しました。
本日 生後9日。航空会社の規定上 昨日から飛行機に乗れます。
育児がスタートし、すでに出産の記憶が遠のきはじめているので、忘れないうちに書き残しておこうとパソコンに向かっています。
妊娠中の話は [ こちらのnote(準備中)] で
陣痛の気配なし。ピタリと閉じた子宮口
6月16日、予定日の8日前。
「今日の検診で子宮口開いているといいな〜」とのぞんだ妊婦検診。
ここでの子宮口の開き具合でおおよその出産予定日がわかります。
しかし、内診の結果は
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0cm。
「まったくだわ。ピタリと閉じているね〜〜〜」とのこと。
このままでは予定日を超過してしまいそう。そうなれば 助産院での出産はできず病院へドナドナされてしまう(転院先では 立会 & 面会NG)
・コロナの情勢にかかわらず立ち会いができること
・夫も一緒に入院できて、同時に育児がスタートできること
が魅力で選んだ、助産院。
病院送りは嫌だ…… 病院送りは嫌だ…… 病院送りは嫌だ……!!!
「来週の次の検診までに子宮口1cmでも空いてたらまだなんとかできる!」という言葉にわずかな希望を見出します。
今思えば、この状況になるまで まったくもって危機感をもてておらずやるように言われていたウォーキングも中途半端。こうして脅しのように言ってもらって初めて「やばい」と自覚させてもらったなぁと思います。
鬼のウォーキング……
子宮口を開くには、とにかく歩けとのこと。
普段は優しい夫が 心を鬼にして 帰路の途中で私を車から落として去っていきました。
「今までウォーキングをサボっていたツケが出たんだな。いまは 必死に歩くしかない….. でも、本当に病院送りになったらどうしよう…… 」
そんなことを考えながら歩いていたら気分が落ち込んでしまい コンビニでおやつを買い、やけ食い。余計に罪悪感がつのってしまうのでした。
翌日からは 夫が仕事の合間をぬって、毎日1時間、一緒に歩いてくれることになりました。
スタバに仕事をしにいったり、イオンに行ったり、温泉に行ったり、ソフトクリームを食べたり、公園に行ったり。
余談ですが、スタバでデートしてる高校生カップルを見つけて「うらやましい?」と聞いたら『いや』と一言。理由を問うと『俺も今まりーちゃんとデートしてるから』と返してもらえたのが嬉しかったです。
その甲斐あってか、歩きはじめて2日目。子宮あたりがぎゅーっと痛くなった気がしました。数回かぞえたところですぐ寝てしまいましたが。
その後も「あれ?今日はちょっとお腹痛いかも?」と思うことが多々。人生ではじめて「お腹が痛い」が待ち遠しい日々が訪れました。
1週間。夫のウォーキングコーチのおかげで「頑張った」と胸はって言えるくらい歩きました。
落ち込んでいた気分もみるみる晴れていったので、運動ってやっぱり大切ですね。
6月23日、予定日の前日。
朝4時になぜか寝れないので リビングへ。軽く小腹をみたしてシャワー浴びていたらごく少量の出血が…..!
これが……おしるし?
その後、調べて出てきたのが以下の情報。
はたして、今日陣痛くるか! 来週までソワソワさせられるのか!義母からも「なんか生まれそうな気がする」と予言が……!
「子宮口1cmでもあいててくれますように」そう願いながら 妊婦検診へ向かいます。
「いやぁ〜頑張ったねぇ〜〜〜」
6月23日 朝10時、ドキドキしながら のぞんだ妊婦検診。
内診の結果、子宮口は3cm!!!
助産師さんに「いやぁ〜頑張ったねぇ〜〜〜安心したわ〜〜」と言われて、泣きそうになりました。助産師さん曰く「今日か明日にでも陣痛くるかもね!」とのこと。期待が募ります。
その日の夜は、義母が「まりーちゃん、今日が出産前 最後の夜ご飯になるかもしれないから」と、好きなものをリクエストさせてもらえることに。いい肉を買ってきて みんなでお家 焼肉。美味。食後にケーキまで……!
ご飯中から なんとなくお腹が痛いな〜〜〜と思ってはいたのですが 「ま、全然耐えられる痛みだしな」と寝床へ。
というのも助産師さんからこう言われていたから。
そういうわけでまず寝る。とにかく寝る。寝れなくなったら焦ることとする!!!と決めていた私。
しかし
「あ、、、これは寝れないやつだ。」
時刻は深夜3時。とにかく朝が来るのを待とう……と思いながら痛みに耐えていたところ、夫も目を覚まします。
瞬時に頭が冴えわたる夫。夫に促され 陣痛間隔を測ってみたところ、30分で8回。つまり、3~4分に1回。笑
まだ耐えられるし……と渋る私に対し、「まりーちゃんはこれまでの感じ、他の人より痛みに強すぎる可能性がある。助産師さんには10分切ったら連絡してねって言われてたし、とにかく電話しよう」という夫。
助産師さんへ電話したところ、
「あら、陣痛間隔 短いねぇ〜。10分っていったしょ〜〜〜。笑 ひとまず 来てもらって、見てみましょうか」
いざ、助産院へ
身支度をして 助産院へ向かう。天気は雨。
車の中で「痛(いた)」と「ノン痛」を繰り返す。
6月24日 06:00頃(陣痛開始から3時間)
助産院に到着し、諸々の検査を行います。子宮口は4cm。このまま入院することに。友人は初産で6時間とのことだったので「ひょっとして昼くらいには生まれてたりして!」なんて、のんきな想像を膨らませていました。
まだまだ時間がかかりそうなので、ひとまず腹ごしらえ。この時はまだ、ご飯を食べる余裕がありました。
陣痛の間隔が7~10分くらいに伸びたので 昨晩 寝られなかった分、仮眠。
夫にスマホを渡し、家族や友人に連絡してもらいます。
夫の不登校記念日(夫は小中不登校で、その初日が小1の6/25。その後 9年に渡ります)と、結婚記念日が 翌日だということを知る会社の先輩から
「あと18時間、頑張って」と連絡がきて、
いやいや、冗談じゃない……笑 「今日解放されたいです」と返します。
(この時には、この日にも、その次の日にも生まれないなんて、知るよしもありませんでした)
助産師さんからは 「18時くらいには産まれるんでないかな」と言われ、よし 頑張るぞ、と。
6月24日 11:00頃(陣痛開始から8時間)
早く産みたかったら歩く!といわれ、ウォーキングをスタート。助産院の廊下をぐるぐるぐるぐる。
同じようなところで止まるようになったら「乗ってきた」とのこと。陣痛間隔が1分になるまで続けてね、とのことでしたが、この時は 3〜5分くらい。
歩いている間、ずっと「いいねいいね」「もうちょっと早く歩けるんじゃない?」「すばらしい」と夫がウォーキングコーチをしてくれます。
6月24日 13:00頃(陣痛開始から10時間)
お昼ご飯を出してもらいますが、ちょっと前にウィダーをかきこんでしまったのもあり、なかなか箸が進まず。 夫が「エネルギー補給は大切だ」となかば無理矢理に食べさせてくれた結果……
気持ち悪くなり、壮大に吐きました。笑
あ、吐きそう、と思ってからゴミ箱を手に取るまでが早かった。見事、どこも汚さず上手に吐けました。(つわり期間含め、合計6回くらい吐いたけど、いつも汚すことなく吐けてるので、わたし嘔吐の才能あると思う)
助産師さん曰く「吐く人は早いよ」「これからどんどんお産が進むよ」とのこと。よしよし!
6月24日 15:07(陣痛開始から12時間07分)
「赤ちゃんがまわって、あとは降りてくるだけ」の一言に勇気をもらいます。
6月24日 15:39(陣痛開始から12時間39分)
まさかの出産直前にベビーがしゃっくり開始。笑 ちょっと和まされます。
妊娠後期、ほぼ毎日のようにしゃっくりしてたベビーだったから、そりゃ陣痛きてもするよね。笑(ちなみに生まれてからも今のところ 毎日かかさずしゃっくりしております)
6月24日 16:31(陣痛開始から13時間31分)
夫、出産の瞬間を捉えるため、GoProを首にしこみます。(このGoProが出番を迎えることはありませんでした)
6月24日 17:00頃(陣痛開始から14時間)
長期戦になってきたので体力回復のために一眠りします(陣痛は止まらないので、結局そんなに眠れない……)
15時間経過。 進捗 1mmもなし
6月24日 18:12(陣痛開始から15時間12分)
助産師さんに内診してもらいます。
え、、、まだ4cmのままなんですか…この15時間で進捗ないってことですか……と半泣き。
この言葉に ほっとします。「あぁ そういえば私も22:35に産まれたもんな〜」と考えたり。
6月24日 18:36(陣痛開始から15時間36分)
「まだ破水してないしお風呂入る? お風呂入ってる間は陣痛こない人もいるよ」という助産師さんの言葉に、
まじ!?陣痛、とめれるん!?!?!?
と わたし歓喜。なんとか陣痛の合間をぬって服を脱ぎ、いざ入浴。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
くるやん。陣痛。
間隔はちょっと伸びたものの、ほぼ変わらず……。笑
まぁ妊娠・出産なんて、個人差ワールドだから そんなこともあるよね。
食欲は依然としてわかず、小さな小さなおにぎりをなんとか1つ食べます。昼に食べたものも吐いてしまったので、エネルギー補給が足りないままの状態が続きます。
6月24日 20:50(陣痛開始から17時間50分)
子宮口5.5cm…..! ようやく、4cmの壁を突破。
前に進んでいるとはいえ、たった1.5cmに こんなに時間が かかっています…… え、これ10cmになる未来 ほんとにくる???
このあたりから痛みが強すぎて声を我慢できなくなった気がします。(友人のアドバイスのもと、ここまでは喉を温存しようと耐えてた)
6月25日 01:56(陣痛開始から22時間56分)
体力ゲージほぼゼロ。3~5分間隔の激痛は無限に続きます……。
痛みでうめき声をあげる私に対し、呼吸で痛みを逃すようサポートしてくれる助産師さん。
「ちょっと体を休めようか」と眠るため、痛みに耐えつつ横になります。夫も同様に睡眠不足なので、90分ほど仮眠をとってもらいました。
私が「痛すぎて、横になって陣痛を耐えるのは もう限界……」という状況になったので 仮眠終了。私のうめき声に 夫も起きてきます。
ふたたび内診した結果、「6cm」
5時間で、たった5mm。
ってことは 10cmになるまでにあと20時間かかるということですか…… 果てしない……(ちなみに、最終的にはもっとかかってます。笑)
6月25日 03:17(陣痛開始から24時間17分)
ついに24時間経過。いつのまにか破水してた模様。
高位破水だね、とのこと。(子宮口から離れた部位で卵膜が破れ、羊水がチョロチョロと少量、流出する状態。)
破水したら一気に進むこともあるらしく、朝7時頃に産まれるんじゃないかな〜とのこと。今度こそ、その言葉本当であってくれ……
6月25日 05:10(陣痛開始から26時間10分)
この頃には「もう無理」「しんどい」を何度も繰り返し口にしていました。2晩眠れておらず、ご飯もほとんど食べれず、限界を越えていました。
「早く産むには歩くこと」とのことで 助産師さんに 歩くよう促されます。
痛みがしんどくて立ち止まることが増え、次の一歩を踏み出せないでいたとき、助産師さんにこう言われます。
助産師さんのこの一言で 私の意識は大きく変わります。
あぁそうか。私が頑張るしかないんだ。
それまでは正直、待っていたら自然と産めるもんだと思っていましたし、助産師さんが なんとかしてくれるだろうと他人任せな気持ちがありました。「しんどい」って言えば 何かしら お産が進む手助けをしてくれるはず、そう思って 何度 横目に助産師さんを見たことでしょう。
しかし、産むのは自分です。覚悟を決めて 自分から赤ちゃんを迎えにいかないといけないんだな、と この言葉で強く反省しました。
この一言をもらって以来、自分を追い込むように。陣痛の波が完全に抜け切るのを待ってから再び歩き始めていた私が、痛みのピークが過ぎたら抜け切る前でも歩き始めるようになりました(休憩時間が半減)
食事がほとんど喉を通らない中で、「何か口にできるものありそう?」と聞かれ、咄嗟に「ビタミンカステーラと乳飲料」と答えます。
夫がコンビニに買いに走ってくれ、なんとか1カステラ飲み込みます。
6月25日 07:44(陣痛開始から28時間44分)
助産師さんから「タイムリミットは朝9時」と宣告を受けます。お産に時間がかかりすぎているので、平日であれば病院へ転院して促進剤を投与するとのこと。
しかし、この日は土曜日。
転院先の病院では土日は促進剤を投与していないらしく、今 転院したとしても ただ1人で放置されて痛みに耐えるだけ。ならばここにいた方がいいね、とのことで、もう少し猶予を与えてもらえることに。
「しきりなおしてもいいかい?」と あらためて陣痛促進のために乳頭マッサージをしてもらい、足のツボにお灸シールを貼ってもらいます。
その後、お腹に帯をつけて胎児の心拍と陣痛レベルを計測。この間は、ほぼ気絶していた気がします。痛みレベルはどんどん上がっていきますが、それと同時に 私の痛み逃しスキルもどんどん上がっていきました。
声を出さなくなったので「陣痛が弱くなった?」と夫と助産師さんに 心配されましたが、「呼吸技術の向上です」と返します。
6月25日 09:08(陣痛開始から30時間08分)
ついに子宮口が7cmへ!!!
6cmから7cmになるまでに7時間、ということは、10cmまで あと21時間…😇と絶望していたら
助産師さん曰く、子宮はペラペラとのことで 「この調子なら3時間後くらいには産まれてるかも!」と。
もし今日産まれたら我々の結婚1周年と重なることになるな、と 期待します。
ゴールが見えてきたことで、目に光を取り戻します。笑
夫も「まりーちゃん、なんか元気になってきたね」と。
6月25日 10:10(陣痛開始から31時間10分)
他の妊婦さんの検診が入っていたため別室で待機。
「このあとはたぶん進行するだろうから、休んでてもらっても!」とのこと。横になっていたら陣痛間隔があいてきてしまったため、体を起こして耐えることに。
6月25日 11:06(陣痛開始から32時間06分)
「お昼ごはん、そうめんなら食べれそう?」と聞かれうなづきます。しかし自分では食べられず、夫に食べさせてもらいました。この素麺のタレ、生姜きいてて おいしかったな……
6月25日 12:24(陣痛開始から33時間24分)
胎膜が子宮口をぐいぐい押して腫れて、むくんでしまっている(多分少しいきんじゃってる)とのことで、しばし横になり待機。
いきまないように休む時は 横向きで、陣痛の時は四つん這いでお尻をあげて頭を低く、と指導が入ります。
1歩進んだと思ったら、すぐまた止まってしまう…..。
6月25日 13:33(陣痛開始から34時間33分)
助産師さんに言われた通りの格好で耐えていたところ「お、むくみ取れたね」と!!! じゃあ後は陣痛間隔が1分になるのを待つだけ!とのことで、ふたたび 妊婦ウォーク。
陣痛が抜け切る前 まだ痛いままでも、耐え抜いて歩く!!!
最後の力を振り絞り、自分を追い込んでいきます。
6月25日 14:01(陣痛開始から35時間01分)
それまでは「いきみたい感覚ある?」と聞かれても、よくわからない…..と答え続けていた私。しかし、ついに「あれ、うんこ出そうな気がする…!」という展開になります。 ※赤ちゃんが産まれる直前まで来ると便意に近い感覚を催します。
しかし、内診してもらうも子宮口は7cmのまま。
ふたたびウォーキング……。
追い込んでハイペースで歩いた結果、陣痛が2分間隔でくるように…!今度こそ!?!?
6月25日 16:00頃(陣痛開始から37時間)
ふたたび来客があり 別室で待機。テレビでも見て待ってて、と言われますが 普段テレビを見ない私たち。何もせずに待ってるのも苦痛ですし、私の気持ちが弱ってきていたのもあり、まずは 義母に電話をかけます。(義母は長い陣痛を耐えた先輩。なんと促進剤を打ちながら7日間)
夫を出産した時のことをいろいろ思い出していたそう。とにかく無事で生まれるよう 祈り続けてくれていました。この痛みを7日間も耐えたなんて、義母すごすぎる......
続いて、実母。仕事中だったのか不在……。
そして、最後に 会社の先輩(兼 人生の先輩、兼 子育ての先輩)へ。一度不在になるも折り返しあり。お子さんたちと一緒に応援してくれました。
元気をもらったので、再びウォーキングをスタート。あと少し、あと少し。「言われたから歩く」ではなく「自ら進んで歩く」ようになった私に助産師さんからもお褒めの言葉が。
突然渡された 酸素マスク
6月25日 19:00頃(陣痛開始から40時間)
夜ご飯。食べれるものだけ口にするも、やはりエネルギーは不足。
食べ終わり、助産師さんが席を外している間、夫と どう過ごすかを考えます。
「どのみち歩けってことになるだろうし、歩いて戻ってくるの待ってようか」となりかけるも「念の為 ベビーの心拍とか測ってもらってからにしようか」と待機。
助産師さんが戻ってきたので NSTの帯をお腹にまいて 胎児心拍と陣痛レベルを計測。その間、夫はシャワーへ。
途中、険しい顔でモニターを見つめる助産師さん。すると、突如「これ吸って」と酸素マスクを渡されます。
何が起きたのかわからないまま、とりあえず私は マスクから出てきた酸素を吸入。
医療用酸素は ダイビングのエアとはやっぱり違うなぁと、ぼんやり考えていました。(ダイビングは吸った時しかでてこないし、できるだけ長持ちさせれるように使うのに対して、医療用は、溢れるばかりに出てくるから、あ〜吸い逃しめっちゃしてる!!!エア切れしちゃう!!!という気持ちに)
事態が収束したのか、酸素マスクを外します。
夫がシャワーから上がってきたところで助産師さんから説明を受けます。
その場の空気は凍りついていました。
歩けない……ということは 私にできることは もう陣痛間隔が狭まるのを祈るのみ。さらに 帯をお腹につけっぱなしということは体勢が固定され、痛みに耐えるには しんどい状態が続きます……。
そうして、数十分後。
電話を片手にそっと部屋を出る助産師さん。
「あ、搬送先の病院に連絡しているんだな」と察する私。
再度、ベビーに元気のないサインが出たらしく、緊急搬送になるとのこと。数分後に救急車が来るとのことで、急いで荷物をまとめます。
「正直、もうお腹切ってほしい」そう夫に ポツリ。
夫も苦しむ私を見ていることに限界を感じていたのか「うん。もう十分頑張ったよ」と。
救急車で緊急搬送
横になったまま隊員さんに運んでもらい救急車に乗車。移動中も容赦なく 襲ってくる陣痛……。
この時 私の頭の中にあったのは「病院に着いたら お腹を切ってもらえる。そしたら この痛みから ようやく解放される」ということのみ。
帝王切開したら、後が大変とは つゆ知らず、今この瞬間の痛みから解放されることしか頭にありませんでした。
6月25日 21:00頃(陣痛開始から42時間)
この病院では立ち会いはできないため、救急車の中が夫と過ごした最後の時間になりました。
病院へ到着し モニターをつけたところ胎児心拍は回復。しばらく様子を見ることに。え、まだ解放されないんですか……?と絶望。
「もう切ってください……」と助産師さんに伝えるも、簡単に切ることはできないの、赤ちゃん頑張ってるからね、もうすぐだからね、と。
いま思えば、最大限のリスク管理をしつつ、できるだけ自然分娩で産めるようギリギリまで粘ってくれた病院に心から感謝です。
まだ この痛みから解放されないのか……と絶望していたところに 「痛み止め打ちましょうか?」と助産師さんから声かけが。
痛み止め? え、この陣痛が止まるんですか?
「お願いします!!!」
それが何で、どういうデメリットがあるのかも聞かないまま、速攻 返答する私。
その後、一応「それって陣痛も弱くなったりしないんですか?」と聞くと『弱くはなるけれど、しっかり休んで 体力を蓄えることも大事だからね』とのこと。なるほど。じゃぁ、お願いします。
痛み止めとやらを打ってもらってから気絶するように眠る私。
しかし、やはり陣痛の痛みを完全に消すことはできず、陣痛のたびに起こされます……
6月26日 01:00頃(陣痛開始から46時間)
2~3時間は気絶できていた模様。しかし 陣痛もさらに強くなり、 いよいよ眠れなくなっていきます。
「病院に着いたら もう終わりだと思っていたのになぁ……」
「6月25日に生まれたら結婚記念日と重なって めでたかったのになぁ。日付越えちゃったなぁ……」なんてことを考えていました。
6月26日 03:00頃(陣痛開始から48時間)
ついに48時間が経過。陣痛開始から丸2日…..。いつまで続くのこれ。
容赦ない陣痛にベッドに横になって耐えることもままならず、病室にあった椅子にまたがります。
いよいよ、いきまずに陣痛の痛みを逃すのが難しくなり、力が入った拍子に、パシャっと。完全に破水しました。
ひとまず、ナースコール。助産師さんに着替えと掃除を手伝ってもらいました。これで何か進むかと思いきや 特に何も言われることなく 助産師さんは帰ってしまいます。まだまだ陣痛に耐えろってことですね……
6月26日 05:18(陣痛開始から50時間18分)
助産院では、夫と信頼できる助産師さんが常にそばにいてくれましたが、病院に到着してからは 基本的に1人。もちろん何かあれば医師や看護師、助産師がすぐに きてくれますが、異常がないことを確認すると帰ってしまいます。
孤独感が強くなったので、スマホを手に取りTwitterを開きます。陣痛が始まってから 夫がこまめにツイートしてくれていたので、多くの友人たちから応援メッセージが届いていました。
陣痛の合間をぬって、以下をツイート。
緊急帝王切開と、同時に進めますよ
6月26日 06:00頃(陣痛開始から51時間)
分娩室に ゾロゾロと 医師と助産師さんがやってきます。
モニターを凝視したのち、ついに宣言。
「胎児心拍 また下がってますね。緊急帝王切開します」
ついに終わりだ……。ようやくゴールが近づいてきました。最後の力を振り絞り、手術着に着替えます。その間にも迫り来る陣痛の波。
コウノドリでは なかなか産声をあげなくて、さすさすしたり、管をさしたりしてるシーンが多かったので、ものすごくほっとしました。
6月26日 06:30(陣痛開始から51時間30分)ついに、誕生。
ふと右に目をやると、机の上には 電源のついていないGoPro。
あぁ、カメラ起動しておくんだったな。夫、見たかったろうな……と申し訳ない気持ちになりました。(ピントや向きの調整は難しいけれど、頑張れば起動してONにするくらいはできた気がする)
意識朦朧としてる中で、臍帯血ドナーの意思を伝えた私、えらい。できなかったけど。
その後、小児科の先生がやってきて「こんにちは、小児科医のオオタケです。赤ちゃん様子見るために連れていきますね」とのこと。
もう少し元気が残ってたら、「わたしもオウタケです〜〜〜」って返せたのですが、疲れ果てて「はい…..」が限界でした。笑
極々わずかな可能性で同じ「應武」を期待しましたが、あとで確認したところ「大竹」先生でした。そりゃそうですよね。
そういえば この後、胎盤を出す、後陣痛?なるものがくるんだったよな、、、と思い出します。また いきむのかと思っていたのですが、助産師さんがシュルシュル引っ張ってくれたようで、気づいた時には体の外に排出されていました。
6月26日 06:37(陣痛開始から51時間37分) 胎盤排出完了
すかさず「あとでいいので、胎盤 みたいです……」と伝えておきます。1人の妊娠・出産のためだけに作られる第6の臓器、胎盤。 せっかくだからこの目で見ておかなくちゃ…!と「人生ネタ作り!なんでも経験!」の精神が働きます。
諸々落ち着いた様子だったので、夫に連絡しよう、とスマホを手に取り発信。
夫の個人携帯、繋がらず。
夫の会社携帯、繋がらず。
夫の実家の固定電話、繋がらず。
夫も私と同じだけ寝てないもんな。きっと疲れて寝てるんだろうな。
すると「会陰切開の傷を縫うから麻酔の注射打ちますね〜」と医師から声が。出産が終わると嘘のように陣痛が消えるから すごいな〜〜〜なんてことを考えながら チクチク縫われていきます。
♪♪♪〜〜〜〜
折り返しが かかってきました。
夫に無事 生まれたことを報告。 この時、何を話したかは 覚えていません。電話越しに会陰切開の縫合手術のハサミの音?が聞こえていたそう。
赤ちゃんと対面
6月26日 07:20(出生から0時間40分)
助産師さんがベビーを連れてきてくれました。ということは緊急でやばい状態ではないということか、と一安心。
ずっとお腹にいたから初めましてではないはずなのに、ベビーへの最初の一言は「はじめまして。よくがんばりました」でした。
その後、朝ごはんと共に(笑)胎盤が運ばれてきました。
「食事の前になっちゃってすみません……」と気を遣われますが、大丈夫です、大学の授業で生きた鶏さばいた後のランチでチキン南蛮食べれちゃうタイプの人間なので、と心の中で返します。
胎盤は「ザ、臓器!!!」って感じでした。ふにふにの触り心地。鉄分豊富そうだな〜〜〜 動物は 産後胎盤食べるもんな。栄養価、高いんだろうな……なんてことを考えます。
朝ごはんを食べた後は「今は休んで」とのことだったので、眠りにつきます。陣痛のない睡眠なんて、いつぶりでしょう……。
その後、トイレをしようとしても 痛みに下半身がバグったのかうまく出せず、管で出してもらいます。(これ、結構気持ちよかった)
出血量が840mlとそこそこ多かったようで、極度の貧血。脈拍もはやく、立ち上がるとクラッとしたので、点滴を3本くらいうってもらいます。(点滴がじゅわ〜って入ってくる時も気持ちよかった)
私たちを救った一言
この病院では立ち会いも面会もNG。夫と顔をあわせていたのは救急車が最後。私たちが最も望んでいた一緒に入院して同時に育児をスタートする、はここでは できません。
元助産師の会社の先輩(兼 人生の先輩、兼 育児の先輩)に生まれた報告とその旨をLINEをしていたところ……こんな一言が。
え、まじですか!?!?!?!?
「ちょっと、きくだけきいてみます」
戻るなんて まったく頭になかった私。
助産院では 転院してしまったら もう戻れない と聞いていたので、まさかまさかの一言でした。
すぐさま、夫に報告。「一緒に入院は完全に諦めていたけれど、それができるなら何よりだね。その分お金は多くかかるだろうけど そんなのいまは関係ないよね」と意見が一致。夫も 助産院に戻るという発想は全くなかったようでした。
夫から助産院へ 戻りたい旨を連絡。
生まれた状況的に黄疸のリスクは他のベビーよりも高い、とのことでしたが、夫と話して「可能性にかけよう……!」と助産院へ戻る決断をします。(正直、この時 黄疸が何たるか、母子分離になるとどうなるか をちゃんと理解していたかというと怪しい)
病院にも「助産院に戻りたい」と伝えたところ、お母さんと赤ちゃんの状態が良ければ 転院できることに…….!!!!!!
まじか!!!!!!!!
聞いてはみるけど 結局ダメだろうな…… と思っていたので、まさか希望がとおるなんて…と驚きました。
もし、あの時 先輩に連絡をしていなかったら、「助産院に戻る」なんて発想はなく、1人寂しく 入院生活を送っていたことでしょう。
ほんとうに、ほんとうに、なんとお礼をいっていいのやら。心から ありがとうございます。
夫の日記
夫婦で書き進めていた ベルメゾンのおしどり手帳という冊子。
「出産直後のママにメッセージをどうぞ」というコーナーにこんなことが書かれていました。
夫がいてくれたからこそ、あの陣痛に耐えられた気がします。
一緒に歩いてくれて、水分補給を促してくれて、呼吸が早くなったら「もっとゆっくり」と声かけてくれて、陣痛がきたら「しんどいね」「つらいね」と共感の言葉をくれて。
正直、子宮口が10cmになるまでが何よりしんどくて、10cmになってからは 急展開であっというま。
もし、陣痛の51時間は別々で 出産の瞬間(最後の30分)だけ立ち会い、とかだったら「おいしいとこだけ見て 立ち会った!とか思うなよ。それは出産のたった1%だ」と毒づいていたと思います。笑
最終的に産まれる瞬間の立ち会いは叶いませんでしたが、42時間の陣痛を一緒に耐えてくれた、それが本当に嬉しかったです。ありがとう。
産後0日目は、貧血と暇
産後、十分に睡眠をとって、起きてからは 暇になり たびたびツイートをしていました。どうやら今日は お母さんの回復のために母子分離DAYらしく、ベビーとは基本的に離れ離れ。
ふたたび助産院へ 同時に育児スタート
そうして出産翌日の昼12時頃に無事退院!
まさか母子ともに 出産翌日に外にでることになるとは。笑
面会NGなので 荷物もベビーも自力で4階から1階まで運び、夫と合流。義母の運転で助産院へ向かいます。出産の傷が痛むので 椅子にまっすぐ座ることができず 不自然な体勢で車に乗る私。
助産院へ戻れるという喜びで気づかないふりをしていましたが、今振り返ると この移動はとても疲れましたね。笑
助産院についてお昼ご飯。それが美味しくて、美味しくて。
私は 陣痛中 こんな美味しいご飯を食べ損ねていたのか……と悔しい気持ちになりました。
それからの入院生活は 陣痛のしんどさとは裏腹に、非常に穏やかな日々でした。
しっかり3食たべて、しっかり休んだ結果、みるみる回復。それほど叫ぶことなく痛みを逃すことができたので 喉をつぶすこともなく、いきみ方がうまかったのか全身筋肉痛ということもなく。
「出産は全治2ヶ月の怪我をしたのと一緒」「産後はメンタルが急降下」と聞いていたので、もっとズタボロになっているかと思いきや、身体的にも精神的にも ゆとりを持って過ごすことができました。
もちろん初めての授乳、初めてのおむつ替え、初めての沐浴、と慣れないことばかりでしたが、夫がそばにいて 一緒にやってくれるので 共有と共感がリアルタイム。ひとりじゃないということが、多くの安心をくれました。
「泣いたらすぐ授乳」「泣きかけてもすぐ授乳」を頑張っていたら、助産師さんにも褒められました。
初めての授乳。確かに乳首がヒリヒリしましたが、陣痛と比べたらかわいいものです。30分から1時間おきの頻回授乳も、陣痛の2~7分おきにという頻度に比べたら まとまって睡眠が取れます。
あの陣痛は私を強くしてくれたようです。今後、「陣痛と比べれば」と考えれば たいていのことは乗り越えられるでしょう。
入院中、ベビーが泣き止まないときは深夜でも助産師さんがきてフォローしてくれていましたが、退院前夜は一度も見にくることなく朝を迎えることに成功。夫と成長を感じることができました。
先輩の一言のおかげで 運よく助産院に戻ることができたわけですが、あらためて助産院に戻って 本当によかったです。
面会時間も授乳時間も決められてるわけじゃなく、自分達のペースで。「もうちょっと寝ててね」と言いながらご飯を食べたり、おくるみにくるんで「巻き寿司〜〜〜」と笑ったり、3人川の字でお昼寝したり。普通の家みたいなところで生活するので 帰ってからの生活のイメージもつきやすかったです。
病院のように次から次へと看護師・助産師が変わるということはなく、1人の助産師さんに ずっとフォローしていただいたので、気軽に質問もでき(& 複数の情報に右往左往させられることもなく)いつの間にか夫婦2人とも育児の不安はなくなり、前向きな気持ちになっていました。
「立ち会いができる」だけで選んだ助産院。 入院期間のことは頭になかった私たちですが、あらためて助産院にして本当によかったなと思います。
退院してから まだ5日ですが、今のところ困ったこともなく(1つあるとすれば暑くてベビーが健やかに眠れないこと。笑)2人で楽しく育児をできているのは 助産院のおかげだと思います。
出産を振り返って
思い出して全てを書き出していたら、すごい分量になってしまいました。でもね、忘れちゃうので。
書いてるそばから「あれ、陣痛の痛みってどんなんだっけ」とか言い出しているので。笑
今回の出産を一言でいうと「振り返ればすべてがありがたい」です。
望んだ助産院での立ち会い出産とはなりませんでしたが、
信頼できる助産師さんに出会えて
予定日を超過しないよう私に危機感を持たせるアドバイスをしてもらえて
おかげでウォーキングを本気でがんばれて予定日どおりに陣痛が来て入院をスタートできて
子宮口7cmになるまでの42時間の陣痛を夫が一緒に耐えてくれて(生まれる瞬間よりこっちの方がありがたかった)
NSTは6時間に1回しかしないのに運よく計測しているときに胎児の心拍低下を確認できたからリスクを見逃さずに済んで
助産院さんが緊急搬送の判断をしてくれたから、病院でリスクを最小限に抑えて 万全の体制でギリギリまで粘れるようになって
病院側も 緊急帝王切開のオペ室の準備も完了してたのに、ギリギリまで自然分娩で行けるよう粘ってくれて
病院へ移ったからこそ 吸引分娩という医療行為に助けてもらえて(あの時はもう 自分で産みきる体力はもう残ってなかった気がします。吸引機サマサマ)
そうして なんとか切らずに自然分娩できたおかげで産後の回復も順調で(お腹 切ったら産後がとても大変だそうな)
長く時間がかかったのにベビーも産まれてすぐに泣いてくれて、その後の経過も良好で
先輩が「母子ともに元気なら助産院に戻れることも」と教えてくれたから、ダメもとで かけあってみようと声をかけることができて、その結果、完全に諦めていた「同時に育児スタート」が実現できて
黄疸になれば再転院・母子分離のリスクがあったけれど、ベビーもなんとか頑張って耐えてくれて
入院中も退院後も ベビーはよく飲み、よく寝る子で、今こうして とても穏やかな時間を過ごせています。
振り返ればすべてがありがたい、です。
反面、、、反省も多々。
それは「自分で産む」という覚悟が足らなかったこと。
ずっと 助産師さんに言われていたウォーキング等の体づくりを本気で取り組めたのは 予定日前の たった1週間だけ。それも夫のコーチがあったからこそ できたこと。誰から言われるでもなく自主的にやるべきことでした。
陣痛が来てからも「待っていたら自然と産めるもの」だと思っていましたし、助産師さんが なんとかしてくれるだろうと他人任せな部分がありました。「しんどい」と口にすれば、何かしら お産が進む手助けをしてくれるはず、そう思って 何度も助産師さんの顔色を伺う自分がいました。
あの長い長い陣痛は、私に覚悟を持たせるために必要な時間だったのだと今振り返ると思います。
妊娠がわかった当初は「無痛分娩にしよう」そう思っていた私ですが、もう一度 選び直すとしても自然分娩を選ぶでしょう。もし無痛分娩にしていたら、いま感じていることも考えていることも全部なかった、そう思うと、それは非常に寂しく感じられます。(もちろん無痛分娩でもまた違った体験、感情を得られたのでしょうが)
それだけこの出産は 私にとって貴重で、大切で、かけがえのない経験になりました。
陣痛中「次は絶対無痛にする」と宣言した私ですが、もし 2人目を出産することがあれば、ついつい また助産院での自然分娩を選んで 今回やり損ねたことを回収しに行ってしまうかとしれません。
とか言いつつ「比較するのだ!」と、いさぎよく無痛を選んでいるかも。笑
その時の自分が何を大切にして、どんな選択をするのか楽しみです。
さあて、明日からも育児たのしむぞ〜〜〜!!!
最後までお読みいただきありがとうございました!
夫目線の出産体験記もよければ、ご覧くださいな