医学生700人集めました!
皮膚科医 Ousei です!
簡単に今に至るまでの活動を書きます!
~学生偏~
医学生700人集めました!
渋谷のクラブを貸切って医学生・医師・看護師など700人を集めました!
大学4年生の頃でした。
当時の私は邦楽、もっぱらアイドルが大好きで、洋楽なんて聴かないし、男子校12年間の自分にはクラブやDJなんて無縁な世界で生きてきました。
きっかけは親友との台湾旅行
そもそもDJを始めたきっかけは、大学3年生のクリスマス、親友との台湾旅行に遡ります。
台湾のbarでDJが回しているのを見て、
「DJカッコ良いよね」
って話をしている時に、親友から
「おうせいDJやってみたら?」
っていう何気ない一言がきっかけでした。
たまたま親友もDJをやっていたもので、今思えば、別に会話の中のワンフレーズとして聞き流しても良さそうな一言でしたが、ちょうどその前の会話で【コロンビア語を学ぶために、思い立った翌日からコロンビアに旅立った行動力のあり過ぎる友人】の話をしており、きっと少し感化されていたのだと思います。気付いたら
「本当に始めるわ」
と返してました。
医療業界の閉鎖的な環境を打破したい
そして、この当時から
【医学部や医療業界の閉鎖的な環境を打破したい】という想いを秘めておりました。
部活動中心の医学部では学校や学部の隔たりを超えるようなサークル活動が全くなく、
「これで果たしてチーム医療は出来るのか?」
と漠然と思っており、いつか自分の手で打破しようと考えておりました。
9ヵ月で3000曲
台湾から成田に帰り、そのまま親友の家に行って使っていないDJセットを借りてその日から練習を始めました。
自分は洋楽もEDMも興味なくて、「まじでEd Sheeranって誰?」レベルだったので、最初はめちゃくちゃ苦労しました。
ノート一冊に有名なアーティストと曲名を書き込んでひたすら聴きまくる事から始めました。
それでやっと今は人並み位には洋楽、EDMに詳しくなれました。
初!交流会主催へ
せっかく始めたDJを形にしたいと思い、イベントを企画しました。
「趣味はDJです」
というと必ず
「どんな時回すんですか?」
と尋ねられます。
当時の自分は家でやっているだけなので、この手の質問に答えられませんでした。そこで
【DJという趣味は客観的な事実があるか無いかで説得力が違う】
と思いました。だから人前でちゃんと回す場が欲しかったです。
そして前述の想いもあり、【医学部や医療業界が閉鎖的な環境】を打破する一助となれるかもと思い、交流会の開催へ踏み切りました。
主催した友人3人で医学生を中心に200人を集めました!
学校や学部の枠を超えた交流、ならびに久しぶりの友人と再会、素敵な時間でした!
次なる目標へ
半年後に渋谷の【TK】というクラブを貸し切り、医学生中心に700人を集客しました。
この頃、一瞬だけ武道館の背中が見えた気がします。
「おじいちゃん、昔武道館埋めてなの?」
なんて孫に言われたらカッコよいな。なんてことを考えながら開催準備に励んでおりました。
しかし、新型コロナウィルスが到来し、開催を断念しました。
正直とても悔しかったです。でも正しい判断でした。
ただ、このまま新型コロナにやられっぱなしも嫌なので、
「コロナだから○○が出来なかった。」
ではなく
「コロナだから○○が出来た!」
と言いたい。
DJの開催を断念した日から大きく方向転嫁して次の目標に向かいました。
これは~研修医~編で書きます。
フットサル部
これも、親友が誘ってくれて大学3年生からフットサル部に入りました。
素敵な先輩・同期・後輩に恵まれ充実した部活動でした。
東医体10連覇は恐らくこれから破られる事はないんじゃないでしょうか?
写真見返すと懐かしいですね!戻りたい!
オーケストラ部
これまた友人の誘いで大学からオーケストラを始めました。
ピアノは習っていたものの小中高と運動部だったので文化部とは無縁でしたが、新しい世界が広がっていてとても楽しかったです。
オーケストラで得た物は、「オーケストラを寝ずに聞ける忍耐力」
真面目に話すと、一音一音妥協無く作りこむ姿勢を学びました。
今の自分の仕事観にとても生きています。
【細部まで妥協しない精神】
これを学生自体の内に学べて本当に良かったです。
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