見出し画像

糞尿の香りのする高級ワイン?!

ワインとの出会い

ワインと私の歴史は、フランス留学時代に始まる。

私が渡仏した1984年は、ちょうど日本でバブル景気が始まる頃。それ以前、ワインというアルコール飲料は、日本では、ごく特殊な、おそらく非常に裕福な家庭でしか(ですら)飲まれていない、ごく特殊な飲み物だった。当時の若者たちは(若者以外もだろうが)、少なくとも東京(近郊)では、「飲み」の席の飲料はふた通りのパターンしかなかった。ビール→日本酒か、ビール→ウイスキー(大概は水割り)である。焼酎は、少なくとも東京(近郊)では、ごく特殊な飲み物で、九州の郷土料理の店などにしか置いていなかったと思う。ふつうの居酒屋にあったとしても、「クサイ」といって飲む人はほとんどいなかった。

私は、渡仏前は大学(院)生であったが、父の酒癖が悪かったためもあり、両親と一緒に住んでいた家ではいっさい飲まず、年に数度、親しい友人たちと飲むのがせいぜいだった。

そして、生まれて初めての、フランスでの生活、しかもホームステイ。

日本在住のフランス人に紹介してもらったあるフランス人女性(当時70歳くらいだったろうか)が犬と一人暮らししている、パリの南東の郊外(オルリー空港の滑走路のすぐそばだった)の、おそらくは18世紀に「別荘」として建てられた広壮な3階建てのお屋敷の一部屋に住むことになった。

その家で、おばあさん、そして近くに住んでいた娘や息子とともに、一年に満たない期間とはいえ、私は一生を大きくも小さくも変えた数多くの出来事を経験した。その一つが、ワインとの出会いである。

それまで私はワインを、指で数えられるほどしか飲んでいなかった。もちろん、赤と白があること以外、知識はまるでなかった。ところが、この家に住み始めると、(当時のフランスの一般家庭同様)当然のように、毎夜毎夜(休日は昼も)水のピッチャー(「カラフ」という)とともに、ワイン、それも必ず赤ワインが出てくる。

おばあさんのかなり前に亡くなった旦那さんは著名な外科医だったとかで、それにおばあさん自身も陶芸の修復家で、家や生活も文化的に洗練されていたが、年金暮らしなのか経済的にはいたって質素で、ワインもスーパーで売っている一番安いペットボトル入りのものが多かった。

前述のように、私は日本ではごくたまにしかアルコールを口にしなかったが、両親ともに新潟の出身のためか「飲める」方であり、この家でも知らず知らずのうちに毎晩おばあさんに付き合い飲むようになっていった。

ワイン問屋に住む

そして、その次にお世話になったフランス人一家。パリの南の郊外のアルクイユArcueilという町で、代々ワイン問屋を営んでいる家だった。その家の一角に私は間借りした。18世紀には、すぐ目の前にかのサド公爵が別荘を構え、そこから近くを流れていたビエーヴル川(現在は地下を流れている)で半裸で洗濯する女たちを覗き見、猟奇的事件を起こし(「アルクイユ事件」として知られている)、20世紀になると、やはりすぐ近くに住んでいた音楽家エリック・サティがよくこの問屋を訪れ、中庭兼作業場で飲んだくれていたという。

ワイン問屋ゆえか、単に気前が良かったのか、倉庫にある安めのワイン(たとえばボージョレとかムスカデとか)は24時間いつでも勝手にとって飲んでいいことになっていた。そこで私はよくカフェやバーに卸す、1.5リットルの瓶をとってきて、夜な夜な飲む習慣を身につけることになった。

そのお礼でもないが、大学が長期休みの時には、ワインの配達の手伝いをした。アルジェリア人やチュニジア人の運転手とともに、1日に3軒くらい配達するのだが、一軒あたり750ccが1ダース入った木のケースを多いと100ケース以上、たいていは店の地下にある薄暗い倉庫に収め、代わりに空き瓶のケースをやはり同数くらい引き取る。2〜3週間も経つと、ふだんペンより重いものをもたないような私の腕にもみるみる筋肉がついてくる。

配達先はアジア系のレストランが多く、ヴェトナム、タイ、中国など。当時まだチップの文化だったので、作業が終わると店主から何がしかのチップをもらった。チップをもらいながら、店主からよく「なぜ日本人は金持ちだろうに、こんな仕事をしてるのか?」ときかれた。

糞尿の匂い

そう、時代はバブル真っ只中。1984年〜91年、バブル時代にまるまるフランスに滞在していた私は、しばしば日本からやってくる家族や友人やその知り合いをアテンドし、やれルイ=ヴィトンやエルメスの本店、やれミシュランの星つきレストランへと通訳がわりに付き添い、ふだんお目にかかれない美食の粋のお零れにあずかった。

それこそ、その「粋」が曼荼羅のように交響曲のように、口の中、そして全身の中で奏でられる傍らで、金に糸目をつけない彼らが注文する、グラン・クリュのうちに、時折「糞尿」の匂いが入り混じることを感じないわけにはいかなかった。

その匂いは主に二系統。一つ目の系統は、ソーヴィニヨン・ブランの白ワインで時折お目(鼻)にかかる「猫のおしっこ」と形容されもする匂い。その匂いは、通常は、過度に不快な匂いではないが、一度こういうことがあった。サン・ミッシェル界隈で、たまに通っていたレストランがあった。『ゴー・エ・ミヨー』で当時16点くらいのレストランだったと思う。そこで注文した白ワイン(30年以上前ゆえ銘柄は忘れてしまった)の「猫のおしっこ」があまりに強烈で、ちょうど当時飼っていた雄猫が発情期にマーキングする時に出す高濃度の尿の臭いを彷彿とさせるほどだったので、いくらなんでもこれは飲めないとソムリエに言い、ソムリエも改めて味見して納得し、では、同じ銘柄の違うボトルを持ってくるからと、2本目を開けてテイスティングしてもやはり同じ強烈な臭い。結局、全く違う銘柄に変えてもらい一件落着した。

もう一系統は、「尿」ではなく「糞」の方である。この匂いは、赤ワイン、しかもグラン・クリュのブルゴーニュにしか感じたことのない匂いである。ブルゴーニュ用の、胴が独特の丸みを帯びたグラスに、凛と透き通る赤みを目に、グラスを口元に近づけた瞬間、最初に立ち昇るのが、この「匂い」である。その肥やし様の立ち昇りがほんの一瞬あったあと、その向こうからえも言われぬ芳しくも複雑に繰り広げられる繊細かつ芳醇な香りと潤いが口腔を、そして全身を満たしていく。

この「匂い」の原因は何なのか。調べてみても確たる原因が特定できない。単にワインが製造・醸造された環境が不潔という解釈もあるが、一番説得力があるのは、これだ――「自然派ワイン」の一つビオディナミック・ワインの葡萄を作るビオディナミ農法は、プレパラシオンという独特の調剤を農薬の代わりに散布するが、そのプレパラシオンの一つに、牛の角に牛糞を詰め、土中で発酵したものを、水で薄めて土に散布する。

私が当時「糞」の匂いを嗅いだワインの葡萄がはたしてこの農法(ないし類似の農法)で作られていたかどうか定かではない。いずれにしても、この強烈な動物臭と限りなく洗練された芳香。この組み合わせ、マリアージュは、奇しくもフランス人がエクスタシーを覚えるエロティシズムのマリアージュそのものではないか。

フランス人のエロティシズム

中世のペストの蔓延以来(ペストは当時水を通して伝染すると思われた)、ヨーロッパ人は湯船に浸かることが稀になり――有名な話だがルイ14世は生涯1回か2回しか風呂に入らなかったという――、加えて肉中心の食生活が否が応でも体臭を動物的に増幅するその強度に、元々は麝香猫などの動物の分泌物をベースにした香水を「マリアージュ」し、その「臭い」と「香り」が激突する眩暈に恍惚となる…。それが、フランスのエロティシズムの(臭覚的)核心なのだが、このグランクリュの糞の匂いと芳香のマリアージュも、まさにそのワイン的ヴァリエーションといえよう。

ところで、アメリカ・ニューヨークに住んでワインに関し驚いたことがある。ワインの置いてあるレストランに入り(ワインのないレストランももちろんアメリカにはある)、給仕する人がまず客に尋ねるのが、「メルロー?」なのだ。初めてそう尋ねられた時、私はキョトンとした。なぜなら、フランスでは、ワインを頼む時、地方や銘柄を指定するが、葡萄の品種のような「大雑把な」頼み方は決してしないからだ。しかも、そうした問いに、私の好きな品種「ピノ・ノワールは?」と尋ねても、逆に向こうがキョトンとするのがオチだ。あたりを見回すと、たいてい皆「メルロー」と答えている。私が最も苦手な品種、メルローだ。

いいなと思ったら応援しよう!