2003年の夏の出来事 2
2003年の夏の出来事 1の続きです。
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①(長女)の出産の時はに予定日を1週間過ぎても陣痛がなく、これ以上待つと赤ちゃんによくないということで陣痛促進剤を打たれた。陣痛の痛みに丸1日耐えたのだが結局子宮口が開かなかったので、緊急帝王切開になったという経験があり、②(次女)の時に主治医から、帝王切開を1度経験している人は2度目もそうなることが多いし、予定日に陣痛が来なかったらその時に帝王切開の日時を決めてしまいましょう、そしたら私が赤ちゃんを取り上げるようにスケジュールを組んであげるから。と言われていた。①の時は手術後の傷から感染症にかかって高熱に侵かされ、えらい目にあった経験があった私は、できれば自然分娩で産めたらという希望があったが、案の定予定日には陣痛がなく、主治医のスケジュールがあいている8月2日に帝王切開をするということで話が決まった。今は亡き母が出産時に手伝いに日本から来てくれることになっていたし、出産予定が決まってかえってよかったかも、なんて思ったりもしていた。
母は7月の終わりごろにカナダに到着したのだが、ちょうどその数日前に、市の職員による賃上げ要求のストライキが起こってしまい、ゴミが回収されないという事態が発生していたのだった。なので市民が自分たちでおのおの車にごみを積んで、収集所に持っていかざるを得ない状況になっていた。(市の職員たちは賢いもので、匂いが即ひどくなる夏にストライキをやったのだ。) 母は、いわゆる公務員がストライキをやるということ自体理解できなかった。こちらでは病院関係の人もストライキをやるし、学校の先生だってしかり。カナダでは小学校4年生時に全州でテストをやるのだが、②が4年生の時にストライキでテストは中止になったし、①②③とも通知表はストのおかげで何度かなかったこともある。今月だってミドルスクールの③は、先生のストですでに5日学校にお休みになっている。結局、ごみ収集ワーカーのストライキは約2か月続き、夏の間ずっとごみ収集所通いをしたのだが(たまにご近所さんのものも一緒にもっていってあげたり、ご近所さんがもっていってくれたりしたけど) 母はこのことでカナダの印象がかなり悪くなったようだった。
・・そしてあれよあれよという間に帝王切開の日に。お世話になる病院はカナダ国内で当時一番SARS患者が多かった病院で、病院内で隔離病棟もあったらしい。このことは事前にわかっていたので、母は、そんなことがわかっているのに違う病院で産めないのかとしつこく言っていたが、執刀してくれる主治医がそこの所属だったので変えられるはずもなく、①を母にお願いし、当日夫と朝6時に病院に出向く。(SARSのため、一般患者へのビジターは不可。出産時と危篤時のみ親族一人だけの立ち合いが許されていた。) 病院に入る際、いろんな質問をされ、検問を受けているような感じだった。
そこで待つこと1時間。
受付の人が、あなたの執刀ドクターですが、今緊急の出産があってそこに立ち会ってます。終わり次第あなたの番だから、もう少し待ってくれと言いに来てくれた。
そして、そこから待つこと数時間。
同じ受付の人が、さっき話した緊急の出産の立ち合いが今終わったのだけど、
「あなたのドクターはすでに時間外になってしまっていて、今帰ったところ。ひとことあなたにごめんね、GOOD LUCKと言いたかったのだけど、このあとバケーションに行く飛行機に乗り遅れそうなので慌てて出て行ったのよ。そうそう、違うドクターが執刀しますから心配しないでね、今そのアレンジしてますからもう少しまってくださいね。」
え・・・。😭😭😭自分が赤ちゃんを取り上げるっていうてたやん、それで自分の都合のいい今日という日を選んだのはあなたやん、私の主治医・・・私の子を取り上げてから、バケーションに行く予定だったのね・・・
と一瞬固まったが仕方ない。これぐらいのことは完全に想定内の北米暮らし。結局執刀してくれたドクターも経験豊富な素晴らしいドクターで無事に出産、恐れていた感染症も今回は全くなく、病院では1泊しただけで退院。無事自宅に無事戻ってきたのだが・・・まだまだ話は続きます。
ニューヨークあるある・21
抹茶(グリーンティー)味というだけで、売れるものが沢山ある。
Have an awesome day!
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