栗原心愛さんの死(2) 加害者の実存
▼栗原心愛(みあ)さんが父親による虐待死に至った事件について、きのう引用した2019年2月1日付の徳島新聞「鳴潮」をもとに考えたい。
〈千葉県野田市立小4年、栗原心愛さん。私は大人の一人として、謝らなければなりません。周りの大人がしっかりしていれば、あなたは今も元気でいられたはずなのです
沖縄県糸満市にいたころ、友達に打ち明けましたね。「お母さんがいないと、お父さんにパーでたたかれ、とっても痛い」。体には多くの古いあざがありました。お父さんをかばって「パー」と言ったのですか
引っ越してからは、さらにひどくなったのですね。児童相談所の人はこう聞いたと話します。「父に背中や首をたたかれ、顔をグーで殴られた」。弱い者への暴力は、誰かが本気で止めないと、どんどん激しくなります〉
▼今回のように、たくさんの記事が配信される事件について考える時は、年表があったほうが便利だ。そういう視点でながめてみると、2019年2月1日付の毎日新聞に載った「栗原心愛さん一家と、関係機関の動き」が比較的よくまとまっていた。
▼この年表によると、まず2017年の7月上旬、父親の栗原勇一郎容疑者が沖縄県の児相に「祖母が(心愛さんを)返してくれない」と相談している。しかし、「児相が来所を求めるも勇一郎容疑者は来所せず」。
同じ時期に、親族が沖縄県糸満市に「心愛さんが恫喝(どうかつ)されている。母がDV受けている」と相談している。しかし、「市は当時の通学先と児相に連絡。児相は「少ない情報で判断できない」」。
▼ここで思うのは、こどもの前で、父が母に暴力をふるうのは(母が父に暴力をふるうのも)、「面前DV」といって、立派な「虐待」の一種である、ということだ。
心愛さんは「恫喝」されているだけでなく、面前DVというかたちの虐待を受けていたわけで、糸満市の児相はもう一歩強く、介入できなかったのか。
この点は、友田明美氏の名著『子どもの脳を傷つける親たち』(NHK出版新書)をのちほど紹介したい。
▼さて、糸満市で親族が訴えた翌月の8月、一家は千葉県野田市に引っ越してしまう。
▼ここで、毎日新聞の年表を眺めていると、気になる「パターン」があった。
一家が千葉県野田市に引っ越した翌年の、2018年1月15日、千葉県野田市の教育委員会は、心愛さんが小学校で「父からいじめを受けている」と書いたアンケートを、なんと、虐待の当事者である父親に渡す。これが、心愛さんの死をめぐって、最も大きく報道されている話だ。
そして、そのわずか3日後の1月18日、心愛さんは野田市内の別の小学校に転校している。
この間、心愛さんは一時保護され、解除されている。一時保護は、心愛さんがアンケートを書いたことがきっかけだった。こうした時系列を確かめる時に、年表はとても役に立つ。
▼さて、今、「2018年の野田市での動き」をメモしたが、「2017年の糸満市での動き」を見返してみよう。
2017年の糸満市では、親族から行政に対して虐待の訴えがあった「直後」に、他県に引っ越ししている。そして2018年の野田市では、父がアンケートを入手した「直後」の3日後、心愛さんは転校している。
悪事がばれたら、いま住んでいる社会から去ることを繰り返す。この時の、父親の実存や心の動きは、どういうものなのだろうか。何から逃げようとして、何を守ろうとしたのか。マスメディアにはここを掘り下げてほしい。
加害者を治療する、という可能性について、実際の医療現場での動きについて、伝えるマスメディアはとても少ない。
(2019年2月5日)