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「平成31年」雑感15 日本はオウム真理教の「大臣」から順番に殺した件

▼きのうは死刑執行の手続きについてメモした。

▼きょうはオウム真理教の死刑囚13人の、「誰から殺すか」の順番の理由がよくわかる記事があったので、メモしておく。

2018年7月7日付の東京新聞がわかりやすかった。

〈(7人に)共通するのは、元代表の麻原死刑囚をはじめ、7人とも教団内で高い立場にあった点だ。(中略)全員が「大臣」クラス以上だった。〉

▼具体的には、麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚を頂点にして、新実智光死刑囚が自治省大臣、中川智正死刑囚が法皇内庁長官、井上嘉浩死刑囚が諜報省長官、早川紀代秀死刑囚が建設省大臣、遠藤誠一死刑囚が第一厚生省大臣、土谷正実死刑囚が第二厚生省大臣だった。

村井秀夫・科学技術省大臣は、すでに刺殺されたので死刑囚にならなかった。地下鉄サリン事件の後、1995年4月のことだ。こうしてメモしていると、あの時のニュースの衝撃も、リアルタイムで知らない人にはなかなかうまく伝えられないことに気づく。

先に処刑された7人は、全員「大臣以上」で、後で処刑された6人は、それ以下の役職である。とてもわかりやすい基準で、これ以外に二手に分けた際の基準はないと思うのだが、上川法相をはじめ、誰も公の記者会見では「誰から先に殺すのか」の基準について答えられなかった。

▼いわば、国家の中に、その国家そのものを転覆しようとする、国家の体裁をとったテロ組織が生まれたのだった。

そして、オウム真理教の「宗教」的な動機はすべて無視した日本国家だったが、彼らが構成した、自らと同じ「国家」の序列には忠実に従い、集団処刑に踏み切った。強い国家としてのとても強い意志を感じる。

▼ちなみに戦前には、1911年に12人が処刑された「大逆(たいぎゃく)事件」という事件があった。これは、明治天皇の暗殺を数人が計画したと推定されることを使って、当時の国家にとって気に入らない人々を(暗殺計画とは無関係だったにもかかわらず)根絶やしにしようとした事件で、壮大なフレームアップが行われ、幸徳秋水らが処刑された。大逆とは、天皇を殺そうとする罪である。

近年日本社会に定着した言葉でいえば、オウム真理教は「ガチ」で国家転覆を企てた。日本国家は、その犯行を許すという大失態を犯した。改元を機に執行された集団処刑は、日本国家にとっては一種の「大逆事件」の後始末だったのかもしれない。

7月6日に7人が処刑された後、7月26日には残りの6人が処刑された。

(2019年4月25日)

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