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「文化盗用」騒ぎをバカバカしいと感じる件

▼町山智浩氏が2019年2月28日号の週刊文春コラムで、アメリカで騒ぎになっている「文化盗用」について紹介していた。以下、適宜改行。

▼歌手のアリアナ・グランデ氏が「7リングス」という歌を歌い、自分の手に「七輪」の入れ墨を入れたのだが、

〈「アリアナが日本語使うのはカルチュラル・アプロプリエーションだ」という批判が沸き起こった。アプロプリエーションとは「歳出」とか「支出」の意味で使われることが多いが、「私的な占有」「盗用」の意味もあり、カルチュラル・アプロプリエーションは「文化盗用」と訳される。

アリアナは日本語を使ったオフィシャル・グッズも売っていたから、異文化を利用して商売していると言われたのだ。

「文化盗用」では、ポップ・スターのケイティ・ベリーも叩かれた。2013年に日本の着物とチャイナ・ドレスをミックスした衣装でステージに出たことを「アジアの文化を利用している」と批判された。

「文化盗用」でいちばん問題になっているのはクリーブランド・インディアンズやワシントン・レッドスキンズなど、先住民を名前にしたスポーツ・チーム。先住民は勝手に使うな、と抗議し、チーム側は「尊敬の念を表現している」と反論し、議論が続いている。〉

▼最初に「七輪」の入れ墨云々のニュースを知ったのはラジオだったが、筆者は「アリアナちゃん、気の毒に」と思った。しかし、この「文化盗用」批判はとても深刻なようだ。

〈「何も手につかない」と言うほど、この炎上で疲れたアリアナはとうとう心が折れた。

「日本語を使った商品はオフィシャルのショップからすべて取り下げました」

日本にはデタラメな英語が書かれた商品が山ほどあるのにねえ。それもみんな文化盗用なの?〉

▼アリアナちゃん、ほんとにお気の毒に。

ここからが町山氏の本領発揮である。

憧れや尊敬と盗用は違う/最近はジャスティン・ビーバーがドレッドヘアにしても「黒人文化を盗んでいる」と言われた。でも、オイラがガキだった70年代は、子門真人も松鶴家千とせもアフロヘア―だった。それは黒人への憧れや尊敬であって、盗んでるわけじゃない。

そういうこと言い出すとロックンロールだって黒人音楽の盗用になってしまう。ゴッホやセザンヌは日本の浮世絵をマネしたし、ピカソはアフリカの民芸品からキュビズムを発想したし、挙げたらキリがない。

世界のすべての文化は模倣で進化してきたのだ。

▼完全に同意。町山氏が丁寧に書いているのは「あまりにも当たり前」のことであり、「文化盗用」騒ぎを知れば知るほど不思議に感じる。引用元が、縁もゆかりもないから、面白い。

▼この問題を考えるためのひとつの基準は、盗用は、ネタ元を隠したがる、憧れや尊敬は、ネタ元を知らせたがる、というところにあると思うが、「文化盗用」cultural appropriationには、そうではない民族差別の文脈や文化的背景があるのだろう。とても政治的で、経済的な理由もあるのだろう。

▼きょうの日本は3月3日の「桃の節句」だったが、総合人形専門店「こうげつ人形」のウェブサイトによると、ひな祭りの起源は中国である。

3月3日 上巳の節句→桃の節句→雛祭り/桃の節句 古代中国には、三月の初めの巳の日(上巳・じょうし)を悪日として、川辺に出て不浄を除くため水で祓(はらい)を行うという風習がありました。

上巳の日を忌むべき日とされた始まりは、 漢の時代のエピソ-ドからとされています。その時代の「徐肇」という人に女の三つ子が生まれましたが、三日後に三人とも死亡してしまいました。

人々はこれはきっと何かのたたりだと、水浴をして忌み汚れを流し禊(みそぎ)をおこないました。この日がちょうど初の巳の日であったのだそうです。

これが上巳の祓(はらい)の行事が生まれた始まりと言われています。

日本にも古来より、人形(ひとがた)に不浄を託して川や海に流して、災厄を祓うという風習がありましたので、この二つが合体して「上巳の節句」となりました。〉

▼ということで、「桃の節句」は「反中」や「嫌韓」の思想の持ち主たちに言わせると、立派な「文化盗用」になるかもしれない。もしも「炎上」すれば、ひな祭りのお雛様がさらし首になって、六条河原とか三条河原とかにズラリと並べられてしまいかねない。

▼「オリジナル」に執着しすぎる愚かさは、町山氏が指摘するとおり、挙げていけばキリがない。

桃の節句を突き詰めれば、そもそも「節句」のオリジナルが中国である。こういうことは書いててバカバカしくなるが、バカバカしすぎて面白くなることもある。

▼「桃」にせよ、「節句」にせよ、漢字だが、「漢字」について。大修館書店のウェブサイト「漢字文化資料館」によると、漢字の起源は中国である。

〈Q 漢字はいつごろ日本に伝わったのですか?

A 日本の古代の遺跡からは、漢字が刻印された中国の貨幣が発見されることがあります。それらのうち最も古いものは、紀元前1世紀ころに造られた貨幣です。ここから考えますと、日本列島に住んでいた人たちが初めて漢字を目にしたのは、貨幣が中国から渡来してくるのにかかる時間を考慮にいれて、遅くとも紀元後1世紀ごろであろうと思われます。

しかし、その漢字を目にした人たちが、それを文字だと認識していたかどうかについては、また別の問題です。わたしたちがたとえばアラビア文字を見るときのように、おそらく当時の人々にも、漢字は模様のようにしか映らなかったのではないでしょうか。

では、日本列島に住んでいた人たちは、いつごろから漢字を文字として理解し始めたのでしょうか。詳しいことはわかりませんが、確実なのはやはり邪馬台国(やまたいこく)の時代、紀元3世紀ごろです。『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』で有名なように、このころには、日本と中国との間に使節の往来があったことは確かです。外交文書を扱うことができなければ、使節としては体を成しません。おそらく邪馬台国やそれに先立つ国々には、漢字を理解し、文書を扱うことのできる人々がいたに違いないと考えられています。〉

▼ということで、「反中」の思想の持ち主たちに言わせると、以下略。

▼もう一つメモしておくと、日本の神社には赤い「鳥居」があるが、「神社本庁」のウェブサイトによると、鳥居は「外国からの渡来説」があると明示されている。

渡来説の有力候補には、「朝鮮の紅箭門(こうせんもん)」説がある。

ということで、「嫌韓」の思想の持主たちに言わせると、以下略。

(2019年3月3日)

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