福田淳氏の「芸能ムラ」論 日本のテレビは江戸時代の女衒(ぜげん)である
▼「村」には「村」のよさがある。しかし、「ムラ」と表記される時は、たいてい「ムラは悪いものだ」という含意がある。筆者はすべての「ムラ」論に賛成するわけではないが、下記の「芸能ムラ」論には両手をあげて賛成する。
2019年8月14日付の毎日新聞に、スピーディ社長の福田淳氏が登場した。適宜改行。彼の主張はネットでたくさん出ているので、興味のある人は探してみてください。
テーマは「芸能人と芸能事務所」。見出しは、
〈「芸能ムラ」にも健全競争を〉(聞き手・山田夢留記者)
〈3年前から女優・のん(本名・能年玲奈)とエージェント契約しているが、当初から「何かの大きな力が働いてテレビドラマには出られない」と聞かされていた。
健全な競争原理が働く米国のエンタメ産業に身を置いた僕には訳が分からなかったが、現に、国民的人気女優であり、CMには何本も出演する彼女が、この3年、テレビドラマに一本も出ていない。〉
▼ここから福田氏は、アメリカの「常識」を語る。
〈米国ではタレントがエージェント(代理人)を雇い、「私を売り込みなさい」という契約を結ぶ。働きが悪ければエージェントがクビになる。のんとの契約は米国型だ。
のんが社長を務める個人事務所と私の会社との間でクライアント(出演先)との契約金額や配分は明示する。〉
〈契約直後、のんは映画「この世界の片隅に」の主演声優を務めた。この作品では、固定収入プラス、興行収入に応じた歩合でギャラが支払われる画期的な契約内容だった。〉
〈日本は通常、固定ギャラのみで、それがタレント収入の長期低下を招いている。背景にあるのは業界の構造だ。〉
▼ここからが、日本のテレビ業界がどれほど異常かを指摘した重要な部分だ。アメリカのテレビ業界を礼賛するわけではなく、日本の役者がどれほど構造的に虐(しいた)げられているかがわかる。
〈テレビについて言えば、米国はキー局とローカル局が独立しており、キー局で1本のヒット作に出演すれば、他局や他媒体で放映される度に出演者にギャラが支払われる。
さらにインフラ(テレビ局)とコンテンツ制作(ハリウッド)も法律で分離され、著作権は制作側に残る。
日本はキー局中心に系列化され、著作権もテレビ局が持つため、強大な権力だ。そこに食い込んだ芸能事務所が、今度は出演させる「ブッキング力」を元にタレントを支配し、適正なギャラや移籍の自由などの権利すら奪っている。
まるで江戸時代の女衒(ぜげん)ではないか。
なぜいろんな人が自由に出演できないのか。テレビ局は編成権を放棄しているように見える。〉
▼さらに舌鋒鋭く続く。「タレントの育成に金がかかるんだ」という事務所の言い分に対して、細かく経費を算出したうえで、育成費なるものは「CMに1本出たら元が取れる額」であることを指摘。さらに、
〈「好きなことをやっているんだから食えなくて当然だ」と言う人も多いが、日本のエンタメは同好会なのか。2兆円産業で、なぜ普通の競争原理が働かないのだろうか。〉
▼「日本のエンタメは同好会なのか」という一文を読んで、筆者は俳優をしている友人から聞いた話を思い出した。彼はアメリカで活躍した後、日本の現状を知って、「日本の俳優は、まるで奴隷じゃないか」と嘆いていた。
▼福田氏の主張に一から十まで賛成である。筆者は、のん氏が「能年玲奈」として大暴れする日を待ち望んでいる一人だ。あの「あまちゃん」を見たことのある人の多くが、そう思っているだろう。
(2019年8月15日)