栗原心愛さんの死(8) 上間陽子氏の寄稿

栗原心愛さんの死については、全国紙だけでなく、ブロック紙、県紙にも優れた記事が載っている。その1では徳島新聞のコラムを紹介した。

▼今回は、2019年2月10日付の西日本新聞に載っていた、琉球大学教授の上間陽子氏の寄稿文を紹介したい。

▼その1で紹介した徳島新聞のコラムと、今回紹介する上間氏の寄稿とには共通点がある。それは、文中で一度も「虐待」という言葉を使っていない、という点である。

▼寄稿の冒頭で上間氏は、「風(かじ)かたか」という言葉に触れる。それは「暴風を防ぐ風よけ」という意味の、沖縄の言葉である。

そして、「どうか私が風よけとなりますように。生まれてきたこの子の花を咲かせてあげられますように」という意味の、沖縄の子守歌を紹介する。

あの子の家で暴風を受けていたのは、まず母親である。暴力を受けながら次女を産み落としたあと、繰り返される暴力が今度は娘に及ぶかもしれないと、自分の母親や医師に、彼女は何度も訴えている。このときまでは、母親は娘の風かたかになろうとしたのだろう。でも彼女自身の声を聞き取るものはその母親、つまり祖母以外は誰もいない。

 娘の訴えを聞いた祖母は、学校に市役所に、何度も訴えている。娘が夫に暴力を受けている、娘は今度は子どもが暴力を受けないか怯(おび)えている、と。祖母もまた、娘と孫娘の風かたかになろうとしたのだろう。行政という後ろ盾を持っている人間にさえ恐怖を与え、要求に応じさせてしまうような男の暴力から。でも祖母の声を聞き取るものは誰もいない。

 沖縄県糸満市の小学校では、父親と祖父母があの子を挟みどちらが連れて帰るかもめた日に、父親が親権者だという理由で、教師たちは父親にあの子を渡す結果になった。そこには、女と子どもの声を聞き取るものは誰もいない。そしてそれが、祖母の前から、孫娘が消えたその日となったという。〉

▼父親が親権者だという主張は、法律にのっとったものであり、小学校は、父親に心愛さんを引き取らせたことによって、法律上の責任が問われることはない。なにしろそれは「合法」なのだから。

心愛さんの祖母は、いま、どんな思いを持っているのだろうか。

父が逮捕され、母も逮捕された次女は、どこにいるのだろうか。

〈誰があの子の声を聞いたのだろうか? 声を聞き取ることができたのは、転居先の千葉県野田市の小学校の教師である。匿名でも出すことのできるアンケートにあの子が名前を書いたのは、この先生ならば聞き取ってくれると思ったからだ。事実、その教師は、家の中で起こり続けてきたことを、あの子の口から聞き取った。

 「頭なぐられる 10回(こぶし)」「口をふさいで息がとまらないゆかにおしつける」「自分の体だいじょうぶかな?」「おきなわでは、お母さんがやられていた」

 あの子は帰りたかったのではないだろうか。かつては、風かたかになろうとした母のいる場所へ。あるいは灼熱の街を必死で歩き、風かたかになろうとした祖母のいる場所へ。あるいはまた、母を守り、祖母を支え、自らもまた風かたかになろうとして、幾重にも手のひらを重ね合わす大人たちがいる場所へ。

 こんなことを、いつまで繰り返すのだろうか。私たちは今度もまた、風かたかになれなかった。〉

▼心愛さんは、おそらく、父親のことも慕っていた。どんなに殴る親でも、子は慕う場合がある。

▼父親が家庭内暴力を振るい、母親がその支配下に置かれた場合、暴力に抵抗できなくなる。だから子どもが暴力にさらされても、どうしようもできなくなる。この被害者の心を、「学習性絶望感」とか「学習性無力感」という。そのことについて指摘する新聞記事も出てきた。

(2019年2月13日)

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