終戦記念日の新聞を読む2019(5)「虫の目」と子ども
▼今号は、2019年8月15日付の各紙コラムから、三つの「虫の目」を紹介したい。
一つめは、父親が娘を見つめる「虫の目」。あとの二つは、子どもをめぐる「虫の目」。どちらの「虫の目」も、戦争というものの実像に正確にピントを絞(しぼ)り得ている。
▼まず、2019年8月15日付の新潟日報「日報抄」から。
〈向田邦子の小説「あ・うん」は、2人の男の友情を軸に周囲の人々の心模様を描く。日中戦争の発端となった1937年の盧溝橋事件が起きた頃の東京が舞台だ
▼戦争へとひた走る時代だが、登場人物の暮らしはどことなくのんびりしている。主人公の1人が経営する工場は軍需景気で業績は好調。男たちはバイオリンを習ったり、芸者遊びをしたりする
▼戦争の影も、さほど気にするそぶりは感じられない。さすがに盧溝橋事件のあたりからは「世の中どんどん悪くなる」とつぶやくものの、目下の大事は娘の恋愛沙汰である〉
▼盧溝橋事件と、娘の恋愛沙汰と。この落差に、戦争の実像が浮かぶ。
▼次は、佐賀新聞の「有明抄」。
〈夕焼小焼(ゆうやけこやけ)で日が暮れて/山のお寺の鐘が鳴る…童謡「夕焼小焼」は戦時中、子どもたちにこう歌われた。〈夕焼小焼で日が暮れない/山のお寺の鐘鳴らない/戦争なかなか終わらない/烏からすもおうちへ帰れない〉
◆当時、お寺の鐘はいや応なく供出させられ、武器に作り変えられた。時を刻む鐘の音が地域から消え、ひもじくてつらい毎日が続く。「烏」は疎開先から帰れない自分自身だろうか、戦地に行ったきりの父や兄だろうか
◆この歌を『子どもの替え歌傑作集』に紹介した児童文学者の鳥越信さんは〈「日が暮れない」「なかなか終わらない」、永遠に続くかと思われた時の長さは、今思い出しても鳥肌が立つ〉と振り返る。そんなやりきれない心情を、替え歌に託すしか語るすべがない時代でもあった〉
▼この替え歌からは、子どものたくましさをよみとる人もいるだろう。替え歌をつくらざるをえない環境の過酷さを思う人もいるだろう。
「山のお寺の鐘が鳴る」と、騒音だ! とクレームがうるさいほど届くこともある昨今のご時世では、戦争によって、日常の「時のリズム」が消されたり、失われたりした時の不安は、ちょっと想像しづらい。
そもそも地域で共有された時のリズムなど、極めて存在しにくいからだ。
▼三つめに、山陽新聞「滴一滴」。
〈戦時中の日本では、国威発揚などのため、さまざまなプロパガンダ(政治宣伝)が行われた。靖国神社にまつられた戦没兵士の遺児たちも「誉れの子」と呼ばれ愛国プロパガンダに利用されたという。斉藤利彦学習院大教授の近著「『誉れの子』と戦争」に詳しい
▼毎年3千~5千人の遺児が全国各地から選ばれ靖国神社に一斉参拝。「神霊」の父と対面し、尽忠報国を誓う大規模な式典が催された。式典の様子はラジオで実況放送され、国民全体が見守るような演出もされた
▼参加対象を当初、10代初めの国民学校高学年に限定したことにも明確な意図があった。「感激性強く而(しか)も指導者の指導を無批判に受(うけ)入れる年配を選んだ」と当時の責任者は論文に記す。最大効果を上げるための冷徹な計算が恐ろしい〉
▼国家運営のマーケティング戦略。靖国神社は、その絶好の舞台になった。
今は、どうだろうか。
(2019年8月25日)