「天気予報は平和の象徴」の件
▼「8月15日」前後は、新聞記事に「戦争の歴史」関連の話題が増える。
以下は、投稿から出来上がった記事なので、その流れとは別だと思うが、2019年7月24日付の東京新聞メトロポリタン(首都圏)面に、「天気予報と戦争」について考えさせられるいい記事が載っていた。
〈天気予報は平和の象徴/軍事機密化に心苦しさ/元気象庁職員 増田善信さん(95)/「爆弾低気圧に違和感」と投書〉
「天気予報と戦争」は、知っている人は知っているが、知らない人は知らないテーマなので、何度でも取り上げるべきだと思う。適宜改行。
〈「お空のみかた」(三月二十六日付、メトロポリタン面)で、「急速に発達する低気圧」は「爆弾低気圧」と呼ばれると解説したところ、
「戦争を想起させる呼び名には違和感がある。『スーパー低気圧』としたらどうでしょうか」という投書が寄せられた。
差出人は元気象庁職員の理学博士、増田善信さん(95)=東京都狛江市。話を聞くと「天気予報は平和のためにある」という強い信念が伝わってきた。(布施谷航)〉
▼筆者は、この増田氏の「言葉に関するセンス」「言語感覚」に唸(うな)らされた。リアルタイムで日本がアメリカに空襲された経験を持っている世代なのだと、納得した。
〈太平洋戦争開戦当日の一九四一年十二月八日、増田さんは京都府北部の宮津測候所で当番勤務にあたっていた。午後六時、受信機からは数字の羅列が流れてきた。
所長に報告すると、「おう、来たか」。金庫から乱数解読表を取り出してきた。この時初めて、気象情報が暗号化されたと知らされた。同日未明、日本軍はハワイ真珠湾を攻撃。暗号による情報伝達は戦争の始まりを受けたものだった。
爆撃や戦闘機の発進の可否を左右する風向や風速などの気象情報は、軍事情報として使われる。天気予報はこの日を境に、終戦後の四五年八月二十一日まで新聞やラジオ放送から姿を消した。〉
▼天気予報は、戦争の武器なのである。
ときに「盾(たて)」になり、ときに「矛(ほこ)」になり、戦局を左右する。
〈宮津には漁港もあり、漁師の命を守る情報として個別の問い合わせにも応じていた。しかし、軍事機密になり、それもできなくなる。
「今日は晴れているけど、あしたはどうかなぁ」。そんな言葉をかけるのが精いっぱい。天候悪化を察してくれるよう祈った。
「心苦しかった。『しけが起きる』と分かっているのに、みすみす出港させるのですから」
(中略)増田さん自身も海軍予備少尉として大社航空基地(島根県出雲市)で、敵艦に突っ込む特攻に出発する操縦士たちに気象予報を伝えた。「送り出した人を無駄死にさせてしまった」との自責の念は今も絶えない。〉
▼記事には昭和20年=1945年8月22日に再開された、東京新聞の天気予報の紙面写真が載っていた。
〈今晩、明日は北の風弱く晴れたり曇つたり〉
この記事を読むと、天気予報は平和の象徴である、ということが、しみじみと胸に沁(し)みる。
「今週は連日35度以上の暑さが続くでしょう」とか、天気予報が身近に聞こえて、天気予報に一喜一憂できる社会は、平和な社会だ。
この暑さには、閉口するけれど。
(2019年7月31日)