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1ミリの行動の記事を見て「やりたくない。頑張る気も無い。」と感じた時。


先日、友人の何人かに「このブログを読んで感想が欲しい」とお願いした。そのうちの一人が、感想をくれたときに、こう伝えてくれた。


「私は、やりたくない時はもうやってない。頑張る気が無いんだよね。」


この答えを聞いて、ハッとした。

こういう事を書いていると「やらなければならないから、やろう」と取られるんだなあと。
そうじゃない事は、しっかりと伝えていきたい。




1ミリの行動は、「やろうと思った時」。

その、やろうと思った動機はなんでもいいのだ。

「やろうと思ったけど、ハードルが高すぎるから出来ない」

それを少なくしたいのだ。




頑張ろうと思った時に

「あれして、これして、こうして・・・・」と考えると辛くなる。
「あれしたいけど、コレが出来ないから出来ない・・・」と感じると手が止まる。
「自分の為にはコレした方がいいのはわかってる。わかってるけど前段階のアレが倒せない・・・」と諦める。

それじゃ、いつまでも辛い。




例えば、私の場合、掃除はそこそこ好きな人。
少々辛い時でも掃除は出来る。
むしろ掃除が出来ない時は全て諦める程度には好きだ。

また、足の裏がベタベタするのがキライだったり、アレルギー的に埃が天敵だったりするので、自分の心地よさの為にはした方が良いタイプ。

だけど、埃も天敵だけど、片付けも天敵なのだ

お片付けを学んで理論は学んでかなりやりやすくはなったが、やっぱり天敵は天敵なのだ。





天敵だからこそ、ハードルをとことん下げてやる、と思って書いたのが、こちら。


私にとって、書類と洗濯物が一番の天敵。
その天敵を倒さずに、掃除をやれるという、私にとっては素晴らしい方法なのだ。



でも、
そのやり方が合わない人もいる。
そのやり方は、今はやりたくない人もいる。


だったら別に、やらなくて良いのだ。
私はあなたではないし、あなたは私ではない。
違うやり方があって当たり前なのだ。




じゃあ私がなぜ書いているかというと、

・これくらいハードルを下げてもやってる事にはかわらない
・出来る事例を見て、ちょっと出来るかも、と思ってくれるかも
・1ミリの行動の記事に書いてある事はやる気ないけど、1ミリの行動の考え方を使って出来る事を探せる

この考え方から、「やろうと思ってもハードルが高すぎて辛くなる」事が少なくなるのではないかなあという思いで、書いています。




自分の為だって、家族の為だって、誰の為だって、罪悪感からだって、なんとなくだって

「やろう」と思える事は、私にとってはとても貴重で、この記事を見てくれる人にも貴重な事だと思う。

その、「やろう」と言う気持ちから「出来た」に繋げる事ができれば、もう少しだけ出来るかもしれない。

やろう、も、出来た、も、とても大切な気持ち。
どこか誇らしいような、嬉しい気持ち。

そんな気持ちを味わって欲しいなって思うのです。




だから、やろう、と思ってないのにやっても、そんな気持ちにはなれない。
だから、行動はやろうと思った時で良いのです。

記事を読むだけで大丈夫です。
やろうと思った時の選択肢の1つになるのです。

タイミングも選択も、あなただけのものなのです。




最後まで読んで下さってありがとうございました。
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