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「黒影紳士」season1-短編集🎩第三章 道化師

――第三章 道化師――

 三、道化師

 それは風も穏やかに揺らぐ昼下がりの事だった。黒影は相変わらず何時ものように、白雪が作った珈琲を片手に、本を読んでいた。白雪は何もする事がなく、椅子に座って足をぶらぶらと遊ばせていると、聞きなれない音楽が外から聞こえてきた。白雪はその音楽が何なのか興味を持っていたが、黒影には気に掛かる程のものではなかったらしく、本を読み続けている。
「ねぇ、あれ何の音かしら?」
暇を弄んで痺れをきらせた白雪は思わず、黒影の読書を邪魔するかのように聞く。黒影は本を椅子に置いて目を閉じると、暫し外から流れ込む音に耳を澄ませ、
「ああ…ちんどん屋か。」
と、口にした。
「ちんどん屋?」
白雪は黒影に思わず聞き返す。
「そうか、白雪はちんどん屋を見るのは初めてだったね。ここずっと来ていなかったが…珍しいものだ。」
と、黒影は白雪に言った後、再び本を手にて読書を続けようとしたが、その行動は白雪によって遮られる。白雪は黒影が今さっき手にしたばかりの本をひょいと持ち上げ放り投げると、
「ねぇ、見に行こうよ。」
と、笑顔で黒影に言うではないか。
「私は本を読んでいるから、一人で行ってくればいい。」
と、黒影は素っ気無い返事をするが、白雪は強引に黒影の手を引いて、
「そんなに家ばかりに篭っていたら、早くおじいちゃんになっちゃうでしょ!」
と、言うと黒影を外に連れ出した。

「何あれ。変な格好。」
白雪は家の前に来たちんどん屋を見つけるなり、そう小さな声で言った。黒影は、
「目立つようにあんな格好をしているのだよ。
あの人達はああやって目立つ格好をして音楽を鳴らしながら歩いて宣伝をしているんだ。」
と、何も知らない白雪に父親のようにちんどん屋が如何なるものか教える。そんな間にもちんどん屋の一人が白雪の前に来て、一枚のビラを渡してこう言った。
「お嬢ちゃん、サーカスは好きかい?そのお兄ちゃんと二人で是非おいで。」
と。ちんどん屋はそう言ってにっこり白雪に笑うと、手を振って去って行った。どうやらちんどん屋は二人を兄弟だと思ったらしかったが、そう見られるのも珍しくなかった二人は何も気にはしなかった。白雪は、
「サーカス…。」
と、一言漏らすように言うと、ちんどん屋に手渡されたサーカスのビラをじっと見つめる。
「何だ、サーカスも知らないのか?」
黒影はそんな白雪に思わずそう聞いたが白雪は頬を膨らませると、
「そのくらい知っているわ。象やライオンが芸をしたり、ピエロがいるんでしょ。でも…私、一度も本物を見た事ないの。黒影は見た事あるの?」
と、黒影に聞いてくるではないか。
黒影は昔の記憶を辿って少し沈黙をしたが、
「あるにはあるよ。随分昔で、まだ私も小さい時だからほとんど忘れてしまったがね。」
と、答える。白雪はその答えを待ってましたと言わんばかりに笑顔を作ると、
「じゃ、行くしかないわねっ!黒影だけ見たなんてずるいもの。」
と、言うではないか。黒影は仕方ないと一つ大きな溜息をついたが、結局この日も白雪の気紛れに付き合うはめになったのである。
ビラを見ると、近くの広場でフェスティバル
が行われ、サーカスはその催しの中の一部として紹介されている。特に急ぐ程の距離ではなかったが、サーカス開演の時間は迫っていた。黒影と白雪は早足でフェスティバル会場に向かったが、黒影と白雪の歩幅はやはり歳の差もあってか開いて行く。
「ちょっと黒影、私女の子なんだけど…。」
白雪は先行く黒影の背に、息を切らせながらもそう言った。黒影はその言葉でやっと白雪が少し遅れていた事に気付く。黒影は慌てて白雪の止まった場所に戻ると、
「これは失礼、レディ。パーティ会場へは私めがお連れいたします。」
と、冗談交じりにピエロのように白雪に一礼したかと思うと、いきなり白雪を担いで走り出した。
「何よ!もっと丁寧に扱ってよね。」
と、白雪は足掻いてみたものの黒影は、
「だって見たいんだろ?白馬の王子が真っ黒な悪魔になったと思えばいいさ。」
なんて言って笑うと、そのまま走り続けた。黒影愛用の黒いロングコートがひらひらと舞うように会場に吸い込まれて行く。
沢山の人波を掻き分けて、やがて黒影の姿は更に漆黒に静まり返ったステージの前で止まった。白雪はゆうるりと黒影の腕から滑るように降りる。
「間に合ったみたい…ね。」
白雪がそう黒影と顔を合わせて安堵の笑みを浮かべた瞬間だった。
バンッという大きな音と共に何色もの美しい光がステージを彩る。大きな音楽と共に、三人のピエロが客席に愛嬌よく挨拶をしたかと思うと、ステージの中央に大きな黒い箱が登場した。箱は三分割されたかのように上段と中段と下段に分かれた扉がついていたが、箱の中には仕切りなどはないようだった。
「典型的だな。しかし、こんな小さな街にくるぐらいだから…こんなものか。」
黒影はそう言いながらも、じっと腕を組んだままステージのピエロを見つめている。
「絶対言わないでよ。」
白雪は黒影のトリックを知っているかの口ぶりに、釘を刺した。トリックが分かってしまったら折角の緊張感も台無しだ。
やがて一人のピエロが中に入って、他の二人のピエロが全ての扉を閉めると、外に居たピエロは手に剣を数本持った。そして中に入っていたピエロが上段の扉を開けて、笑顔で手を振る。次の瞬間、それまで陽気だった音楽もぴたりと止まり箱の中のピエロの姿が再び扉で閉ざされ見えなくなると、陽気な調べは緊張感を呷るような太鼓のうねりに変わる。その太鼓の奏でる緊張感が頂点に達したと思われたその時だ。外にいた二人のピエロは手に持っていた剣でピエロが中に入っている筈の箱を次々に串刺しにするではないか。白雪は、思わず怖くなって目を両手で隠した。けれどこればマジック…だから目を開けたら、安心出来るわ…そう思って白雪が目を覆っていた両手を下げようとした時だった。
「妙だな…。」
黒影がそんな言葉を漏らす。白雪は目を開けると同時に黒影の様子を伺ったが、先程と変わらず腕を組んだままじっとステージを見つめている。剣を刺した二人のピエロは再び流れ出した音楽に合わせて踊りながらステージを降りて行くようだった。
ステージには箱だけがぽつりと置き去りにされて、音楽だけが時を無視して鳴り続けているようだ。静まり返った観客…静まり返ったステージ…。一体これからどんな進展があるのか、其処にいた誰もが予測不能だった筈。何時まで引っ張るのかと、客席が少しずつざわめいてきた頃、ピエロが入っている筈の箱の上段がゆっくりと開かれた。それこそ魔法か何かのように、自然にゆっくりと開いていく。そして中にはやはり、ピエロの顔があったが何故だか其処には笑顔が無かった。流れるように中段と下段の扉も開かれると、ピエロは落ちるようにステージ上に無様に転がり、その姿を現したのだ。きゃーという悲鳴が会場を埋め尽くし割れんばかりに響き渡る。真っ赤な鮮血に彩られたピエロの姿に、誰もが恐怖を感じたからだ。黒影と白雪は大パニックになった観客が一斉に会場を出る波に流されながらも、離れて見失わないようにと手を取り合っているだけで必死だった。
「あいつの出番だな…。」
黒影はそう言うと、群衆の流れに逆らって違う方向へと体の向きを変えた。白雪は体が小さい所為もあってか、黒影の手を今にも離しそうになっている。しかし、黒影はその白雪の手をぐいっと引き上げるように引き寄せて、
「大衆の流れとは目標までは直線になっているものだ。横に出れば何て事はない。私は風柳に連絡する。白雪は此処で待っていてくれ。」
と、言うと足早に連絡をしに何処かに向かったようだ。白雪は呆然と…まるでヌーの大群を離れて見ているかのような気分で、目の前で慌てふためく人々の姿を、第三者の視点で見つめていた。

一方の黒影はやっとの事で、風柳との連絡を取る事に成功すると会場で起こった全ての事を簡潔に話す。しかし、風柳はまったく人事のように、
「そうか…。今から変わりの者を送ろう。場所は?」
と、暢気に聞くではないか。黒影は大声で、
「何を暢気な事を言っているんだ。事件が起きたのは風柳さんの管轄なのですよ。広場のフェスティバル会場!」
と、風柳に喝を入れるように話した。
「何!」
風柳は黒影の話を聞いたかと思うと、そう言って即座に電話を切ってしまった。黒影は急に途切れた電話を手に、風柳の何時ものせっかちぶりに思わず頭を抱えて大丈夫だろうかと心配していた。
風柳が会場に到着したのは、それから三十分程経った頃だった。数人は逃げて行ってしまったものの、風柳は早速残った人に事件が起きた時の様子を聞いて廻る。勿論、サーカスの団員や舞台役者等、今回のフェスティバルに参加していた者達も、フェスティバル会場外のテントの中に集められていた。黒影や白雪も同様である。
「今日は楽しめると思ったのに…。」
白雪はぽつんとそんな愚痴を漏らした。
「白雪が事件を呼んでいるんじゃないか?」
黒影は、その言葉を聞くとそんな冗談を言ったが、一方の白雪には冗談が通じないらしく、
「何言ってるのよ。黒影が呼んでるんでしょ。
最近、益々巷の噂も過熱してるんだから。たまにはイメージアップも考えたら?」
と、心なしかむっつりしてそう答えた。元からリアルな死体の影絵を描いていた黒影は、本当は自分が殺して描いているんじゃないかと様々な噂もあったが、この頃続いていた事件のおかげですっかり定着してしまっていた。それに事件を次々解決したのもこの黒影だという事実は、まるでその噂を確信させるようなもので、人々は面白おかしく噂を飾り立てたのだ。まだ、未成年の白雪はマスコミの対象にこそはならないが、このまま成人したら格好の噂の的になってしまうんじゃないかと、心なしか心配していたのである。
「もう、やめたら?こんな事件ばっかりの毎日なんて。黒影は元々絵を描くのが得意なんでしょう?だったら、そ~いう道もあるわ。」
と、白雪は黒影の心の内を案じてかそう言った。こんなに噂に振り回されて…それこそ影のように生きていた黒影を誰よりも心配していたのは、白雪ただ一人かも知れない。
「私は嫌いじゃないが…。私と同じ気持ちの人間を増やしたくないだけだよ。それに…折角授かった能力じゃないか。この為にあったのだと思えば、少し気も落ち着く。…それとも、白雪がモデルさんになってくれるのかい?」
真面目な顔をして話し出したものの、黒影はどうも真面目な話が苦手らしく、後半は白雪にふざけてそう聞いた。白雪がモデルと聞いて何を想像したかは確かではないが、
「じょ、冗談じゃないわよ!私がモデルなんてするわけないでしょ。…でも、他の人に頼んだら、黒影の大事なそのコート燃やしてやりますからねっ!」
と、白雪は言うなり黒影の黒いコートの端を掴み、黒影の顔にばさっと被せた。
「何をそんなに怒ってるんだよ。白雪が違う絵を描けなんて言うから、私はてっきり白雪をモデルに絵を描いて欲しいのかと思ったよ。」
と、慌てて黒影は顔に巻かれたロングコートを解きながらそんな事を言った。丁度そんな会話の後だった。
「ほら、何をいちゃついてるんだ。今回は二人共、関係者なんだから話を聞くからなっ。」
と言いながら風柳はテントの中に入ってくると二人にそう言う。白雪はすっかり機嫌を損ねて黒影の反対の方を見ながらも、風柳に言われたように、椅子に座って黙る。黒影はおろおろと白雪の心配をしているようだったが、事情聴取は始まった。
「後で一人一人に聞きますが、まずは皆さんに聞きたい事があります。」
風柳はそう切り出した。そこにいた一般客以外の舞台関係者は黙ってそれを見届ける。始めに題材になったのが、あのステージの上で剣を持っていた二人のピエロについてだった。
あの二人の剣によって、箱の中に入っていたピエロが死んだのだから、当然だろう。誰かしら知っていても可笑しくはない事実だった筈であるにも関わらず、誰もあの二人のピエロを知らないと言う。その事から、あの二人のピエロはサーカス関係者ではなく、部外者だったとも言えよう。
亡くなった一人のピエロはサーカス団員の一人だった。元から彼は今日のステージの予定が前もってあった事から犯人は彼を初めから狙っていたと言えよう。部外者にしては、随分ステージの進行を知り過ぎている。このサーカスがこの街に来たのは数日前。…そして、この街で初めてのステージがこのフェスティバルだという事を重ねて考えると、内部の者の犯行であろうという考えも捨て切れなかった。
「舞台から逃げていく犯人を誰か見た筈でしょう?」
黒影がふいにそんな事を言った。風柳は、それもそうだとそこにいた全員に聞いてみる。しかし、どうした事か誰もが知らないと首を横に振るではないか。まさか犯人が消えるなんて事はない。誰か共犯者がいて嘘をついているんじゃないかと風柳は思っていた。そんな時に妙なアナウンスが聞こえてきたのだ。
「これより、第二部を開演します。急いで、ステージ前にお越し下さい。」
というアナウンスの後、風柳は咄嗟に、
「我々が行きます。皆さんは必ずここから動かずに待っていて下さい。」
そう言うと、会場へ行こうとする。黒影は、
「私も行きましょう。」
と、風柳に言うと、風柳は返事こそしなかったが、首を縦に振った。

風柳と黒影…それに、黒影の後を付いてきた三人が慌てて会場に入った時だった。開演のブザーが鳴り、ステージ上が多色のライトで彩られる。
「あれだ!」
黒影はステージ上を指差しそう言った。黒影が指差したステージ上を見ると、そこにはいなくなった筈の二人のうちのピエロの一人だけが中央に立っていた。
否、立っているというより、今…まさに首を吊ろうとしている。ピエロはたった一人、薄赤い箱の上に立って首にロープを掛けている。
しかし、何をするわけでもない。首を項垂れたまま、箱の上に立っているだけだ。
痺れを切らした風柳が、動き出そうとした瞬間だった。何も動きがなかったステージ上に異変が起きたのだ。急に音楽が鳴り始めたかと思うと、多色のライトがゆらゆらとステージ上の白いスクリーンに揺らめく。
そして、音楽が止まると同時に多色のライトは消え、その代わりに出てきたのが、大量のドライアイスだった。風柳がステージに向かおうとしたが、ステージの高さはとても人が観客席から届く高さではない。ステージの上に行くには、会場脇の廊下を経由してステージ裏から廻らなくてはならない。
「しまった、また逃げられるぞ!」
風柳は苛立ちながらもそう言葉にしたが、黒影はステージ上をじっと見つめながらこんな事を言った。
「否…死んだみたいだ。ほら…ドライアイスの切れ目から、あのピエロの足元を見てご覧よ。…箱が、赤い箱が消えている。」
と。白雪は思わず両目を手で覆い隠したが、
黒影は白雪のその手をゆっくりと優しく解くとこう言った。
「すまない。…何時も巻き込んでしまうな。」
と…。その言葉の通り、黒影はもう白雪を怖い目に合わせまいと風柳と二人で舞台裏に向かおうとした。
「私も行く。こうなったら自棄よ。」
白雪は黒影の腕を取り、そう言って軽く笑った。黒影は心配そうに白雪の顔を伺ったが、白雪の決意にも似た瞳を確認すると、ほっとしたようだった。風柳は二人より早く走り出す。黒影は白雪の手を取って、その後を急いだ。
間も無く舞台裏から、ステージの上へと辿り着く。やはり、一人のピエロが死んでいた。死因は首についたロープの跡が物語っているように、首吊りだろう。自然に考えても自殺のように思われた。
死んでいたピエロはあの剣を刺した犯人と思われる二人のうちの一人に間違いなかった。ピエロ特有の厚化粧をしていたものの、サーカスを見ていた観客の確認もとれた。二人の犯人の間で何かあったのか…自殺の理由はわからない。若しくは、犯人の仲間割れによる自殺に見せかけた殺人とも思われたが、自殺した瞬間を黒影、白雪、風柳の三人はその目で見ている。
死体や現場を調べてみたものの、他殺に思われるような物は何一つ残されてはいなかった。しいて不思議な点と言えば、自殺したピエロの足を支えていた筈の箱が見当たらなかった事だけだった。サーカス団員に聞いてみたが、元からある箱は白い箱だけだったようだ。赤い箱だが、きっとこの事件の何かを知っているのだと、黒影は気がかりでならない。…が、その日の捜査も終わろうとしていた。
風柳は白雪に、
「今日はもう引き上げだ。」
そう元気なく言うと、白雪の手を取ってステージから降りようとステージの端を歩く。それでも黒影はどうしてもあの赤い箱が気がかりでライトの落ちた真っ暗な客席に目を下ろす。
「おい、行くぞ。」
風柳はそんな黒影の姿を見て急かすようにそう声を掛けて背を向け歩き出す。そんな時だった。真っ暗な客席の辺りからケラケラと、妙な笑い声が聞こえる。風柳は歩いていた足を止め、黒影の方を向き直すと、
「何笑っているんだ、気持ち悪い。」
と声を掛ける。…が、黒影は客席を見つめたまま、
「否、私じゃありませんよ。白雪をちゃんと見ていて下さい。」
そう言ってステージの中央から客席寄りのステージの正面にゆっくりと向かって行く。やがて黒影がステージの上からしゃがんだまま
客席を覗き込んだ瞬間だった。真っ暗な客席の暗がりから、人の手が現れ、黒影の腕を強く掴み下へ引きずり落とそうとするではないか。
そして一人のピエロがむくっと下から顔を出し、ケラケラと笑っているではないか。
風柳と白雪はその光景を見るなり、急いで黒影の元へと走り出したが、二人が間に合う筈もなく、黒影は客席の暗がりへと呑み込まれるように姿を消した。そして、その直後に黒影が落下したであろう、どんっという大きな音が下から聞こえる。
「黒影!」
白雪は、真っ暗な客席目掛けて黒影を呼んだ。
小さいながらも、黒影が痛みに悶え苦しむ声が聞こえる。二人はその声にまだ安心とはいえないものの、黒影が生きている事に少し安堵する。すると、急に客席中央辺りにスポットライトが当てられ、そこに現れたのは犯人の残り一人のピエロだった。
「よくもやってくれたなっ!」
風柳は親友でもあった黒影を怪我させられた所為か、何時もののんびりした口調と裏腹に、怒りを込めて犯人に叫んだ。しかし、ピエロはケラケラと不気味な声を響かせながら、客席の外へと逃げて行く。その後ろから足を庇いながら追いかける黒影の姿が見える。風柳と白雪は慌てて犯人と黒影の後を追った。

黒影は息を切らせながらも犯人を追う。やがて会場を出て街へと出た。白雪と風柳の姿はまだなかった。犯人を見失わないように…それだけを薄れ行く意識の中で考え、黒影は追跡したが犯人との距離は次第に広がるばかりだ。やがて犯人が脇道入って行く姿が見え、黒影も遅れながらにその道に入る。遠くから妙な音楽が聞こえてくる。だが、それに気を止める暇もなく走った。黒影は犯人が曲がった道に入ると思わず足を止める。体の痛みの所為ではない。もう、犯人を追う必要がないのだ。そこには紛れもない犯人が横たわる姿があった。しかも、道化師の姿ではなくちんどん屋の服を着ているではないか。黒影が幾らゆっくりとはいえ、見なかったこんな短時間で着替えられるものだろうか。しかし、犯人の横にはピエロの衣装が脱ぎ捨てられている。犯人が着ているちんどん屋の衣装とピエロの脱ぎ捨てられた衣装の二つの衣装をよく調べてみると簡単に着替えられるように背はマジックテープで止められるようになっている。何故ピエロが死ぬ前に着替えたのか…。
死因は毒物を飲んだからであろう。死んだ犯人の手には薬の瓶があり、倒れた衝撃で零れたであろう薬もある。黒影は小さく、
「そうか…。そうだったのか…。」
そう言うと、その場に力尽きて倒れた。後を追っていた筈の白雪が黒影の名を呼ぶ声が、遠く消え行く意識の中に何時までも響いていた。

どれくらいの時間が過ぎたのか…。黒影は目を覚ました。ゆっくり目を開けると、見慣れた何時もの自分の部屋の天井が見える。下の階からは、遠くて微かだが白雪であろう物音が聞こえる。まだ少し痛む足を庇いながら、黒影は階段をゆうるりと傷に響かないように降りると、白雪の姿を見つけた。
「どれくらい…寝ていたんだ?」
黒影は白雪の後ろ姿にそう聞いた。テーブルを拭いていた白雪の腕がぴくりと止まる。
「黒影!もう、心配したんだから。」
そう振り向いて言うなり、白雪は黒影に抱きついてきたが、黒影は思わずその衝撃に痛みを覚え顔をしかめる。やがて黒影は何時もの台詞を言おうとしたが、それよりも先に白雪が、
「珈琲でしょ?今、作るねっ。」
と、にこやかな笑みを浮かべて珈琲を作りに行ったようだった。黒影は何時もの珈琲の香りを嗅ぎながら、安堵して椅子に腰掛け目を閉じて寛ぐ。本当は珈琲の香りよりも、白雪の変わらない姿に安堵したのかも知れなかった。
変わらない事が、こんなにも幸せだと思った事はない…黒影は彷徨った夢の中から開放され、そう思うのだった。
白雪が入れた珈琲を口にすると黒影は、
「あの事件はどうなった?」
と、白雪に聞く。白雪も椅子に掛けると、
「全然進展はないわ。やっぱり風柳さんだけじゃ駄目みたい。二人の犯人の姿を犯行前後に誰も見かけなかったのは、きっとちんどん屋に化けていたからだろうって。観客の人もちんどん屋が会場から出てくるのを見たって。
何が理由かはわからないけれど、犯人は自殺で事件はまとめられたみたい。死んだ二人の犯人は殺されたピエロと前から上手く行ってなかったみたい。よく大声で喧嘩してたって、この街に来る前の街の人の証言があったの。」
と、その後の事件の行方を説明した。黒影は、
「そうか。…で、夢は見たのかい?私は見なかったから、恐らくこれ以上被害者は出ないようだが…。」
と、白雪の見解を何時ものように聞こうとした。しかし白雪は、
「見てないわ。」
と、一言だけ言うと空いた黒影の珈琲カップにおかわりの珈琲を注ぐ。
黒影はそれを少し妙に思ったが、暫し考えてみるとそうでもない事に気付き、椅子の背に掛けてあった愛用の黒いロングコートを翻し、
「これからその証言をした人に会いに行って来るよ。風柳さんにも話を聞かないとな。あっ…それと…ずっと寝てないんだろう?ゆっくり休むといい。」
そう言って白雪が入れたばかりのおかわりの珈琲を一気に飲むと慌しく玄関に向かった。
黒影は自分を心配してずっと白雪が寝ないでいた事に気付いたのだ。白雪は何時ものように黒影を見送りに玄関に来る。
「ありがとう。」
黒影は白雪の頬に軽いキスをして、何時ものように黒いコートをひらひら舞わせて家を出て行った。何時も置いてけぼりになって機嫌を損ねる白雪ではあったが、今回ばかりは黒影に文句の言いようもなかった。白雪は黒影がキスした頬にそっと手を当て大きな溜息を一つつき、久々の眠りについた。

黒影が心配でとても眠れなかったのも確かだったが、白雪にとって事件の真相を夢で見るんじゃないかという小さい恐怖もあった。けれど、この日の夢は何時も見る怖い夢とは少し違うようだった。幸せそうな家族が仲良く話している…そんな何処にでもありそうな幸せな絵だった。夢の中でも意識の強い白雪はそれを見ながらほっとした。しかし、幸せとは何と一瞬なものだろうか。やがてその幸せに染まった景色は真っ赤な炎に包まれた。それが一体何を意味するのかは、白雪自身にもわからなかったが…。炎で消えた景色はやがて次の光景を生み出す。ちんどん屋の姿がそこにはあった。黒影と生まれて初めて白雪が見たちんどん屋の姿である。白雪の夢に現実的なものが入り込んでくるのは珍しい事だった。白雪はきっと疲れていたからだろうかと不思議に思いながらもその先を待ったが、夢はそこで途切れ真っ黒な眠りの本来の世界に入り込むだけだった。

「ただいま。」
そんな黒影の一言で白雪は目を覚ました。今日は黒影に話せる程の収穫ある夢を見れなかった事に、少しだけがっかりしながらも白雪は帰ってきたばかりの黒影を出迎えた。
「今日は駄目みたい…。」
白雪が首を項垂れてそう言ったが黒影は、
「私は白雪がゆっくり眠れた方が幸せだよ。」
と、何時もと変わらぬ笑顔で白雪の頭を撫でた。けれど、白雪は黒影の力になれない事が少しだけ悔しいのだ。
「そっちはどうだった?」
白雪は黒影に聞いてみた。黒影は、
「証言者の話によるとあの犯人の二人のピエロも昔はあのサーカス団にいたらしい。殺されたあのピエロと三人で小さなサーカス団を作ったらしいんだが、仲間割れして犯人二人だけがそのままサーカス団に残ったらしい。
やっぱりその仲間割れの理由はわからなかったけどね。だから、あの犯人の二人を知る団員が誰もいなかったんだろうな。どうやら随分昔の話らしい。何か三人の間でトラブルがあったのは確かだが、風柳さんによると警察は何らかの恨みで一人のピエロが殺され、後の殺した犯人二人は良心の呵責に耐えかねて自殺したって事でまとまったらしい。」
と、答えたがその顔はまだ何か考えているようにも思える。白雪はそんな黒影に、
「本当にそうだと思う?」
と、聞くと黒影は首を横に振り、
「まだ何とも言えないけれど、私の手を掴んだ犯人の様子が…とても自殺するような人物には見えなかった。これから自殺しようとしている人が、無関係の人を突き落としたりなんかはしないと思うよ。」
と答える。白雪も、
「確かに…不自然よね。」
と頷いた。丁度その直後だっただろうか。聞きなれない音楽が外から二人の耳に届いた。
「ちんどん屋か?」
と、黒影は思わず口にした。白雪は耳を凝らして、
「前のちんどん屋さんと音楽が違うみたいね。」
と、言う。黒影はその言葉にはと、倒れる前の事を思い出していた。黒影が倒れる前に聞いた音楽…あれはちんどん屋の音楽だった。
ちんどん屋に化けて犯人は犯行現場から誰にも気付かれず姿を消した。それでは、何故あの時ちんどん屋の音楽が聞こえたのだろうか。もう、犯人は死んでいるのに…。あの時、真犯人がちんどん屋に化けて逃げたのに気付いたにも関わらず、黒影は倒れてしまったが為に、その事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「そうだ、思い出したぞ!」
そういきなり言うなり、黒影は再び外に出ようとする。白雪は慌てて黒影に何時もの黒いコートを手渡した。黒影はコートを手にしたまま、家の前を過ぎ去ろうとするちんどん屋の姿を追い、やっとの事で辿り着くとその中の一人に、
「今日は人が違うんですね。前に違うちんどん屋を見たけど…何時もこの辺でやっているんですか?」
と聞く。ちんどん屋は音楽を止めて、
「ああ、最近新しいちんどん屋がこの辺にいるって聞いたよ。私らは元からこの辺ばかり歩いているけれど、最近はめっきりこの仕事も減ってねぇ…。」
と、答えるのである。黒影は、
「その最近きたちんどん屋について何でもいいから教えて貰えませんか。」
と言う。ちんどん屋はその変な質問に、初めはちんどん屋同士で顔を見合うだけだったが、やがてまとめ役らしいちんどん屋が口を開いた。
「あんまりこれといって知っているわけじゃないけれど…。そういえば、昔そのちんどん屋に似たちんどん屋を見たけどね。歩いているのを見た時に、あんまりに似ているもんだから、昔やっていたそのちんどん屋がまた始めたのかと思ったよ。」
と、言うのです。黒影は、
「その昔にいたちんどん屋ってどういう人がやっていたか知ってますか?」
と聞く。ちんどん屋は笑いながらも、
「あんたも不思議な事を聞く人だね。ちんどん屋がそんなに好きなのかい?まぁ…いい、教えて上げるよ。ちんどん屋の中でも有名な話でね、そのちんどん屋には若い娘が一人いるんだよ。こんな厚化粧して歩く商売には勿体無い程の美人だったらしい。けれどね、その子は火事で顔を焼いてしまった。それで、その焼けた顔を厚化粧で隠せるこの仕事を始めたらしいんだよ。」
と教えてくれた。黒影は、
「また、何で火事なんか…。」
と、思わず自分の昔に重ねてか、少し悲しそうに聞いた。
「その娘の家族は皆で芝居をやっていたのさ。
そりゃあ人気があったけれど、やがて流行のサーカスに皆、客を取られてしまったらしいんだよ。その所為で一家心中して火の海ってわけさ。それで生き残った娘は頑張ってちんどん屋をやるって健気な話だよ。」
と、ちんどん屋は話した。黒影は最後にもう一つと、その娘が住んでいた場所を聞き出した。ちんどん屋にサーカス…何か関係があるように思えてならなかったのだ。
その足で早速黒影は、ちんどん屋に教えてもらった娘が居たという場所に向かう。今は住んでいないだろうとの事だったが、近所の人に聞けば何かわかるだろうと踏んだのだ。
黒影はちんどん屋に書いてもらったメモを手にその娘が住んでいたという家を探す。見つけるのには苦労はしなかった。近くを通ると、一軒だけ焼け跡が無残にもそのままにしてある。木造の家だったらしく、その焼け跡は今も鮮明に残っている。黒影は微かに残った柱についた煤を確認しているうちにある事に気付く。火元は家の中ではない…家の外壁部分からだった。火災の原因は心中ではなく、何者かの放火によるものかも知れないと黒影は思った。
他に、何か住んでいた人の事がわかるような物を探してみたが、ほぼ燃やされていて何もそれらしき物は見つからなかった。
黒影は一旦、その家の調べを止めて近所の聞き込みに入った。丁度、燃えた家の前に立っていると、隣の家の奥さんが帰ってきたようだった。
「あの、この家の隣の方ですか?」
黒影は、その中年女性にそう話し掛ける。
「ええ、そうよ。そんなところで何をやっているの?其処は焼けてからそのままだから、危ないよ。」
と、中年女性は若い黒影を心配しながらもそう答えた。
「この家のお嬢さんと小さい頃に友達だったんです。遠くから来てみたのですが、まさかこんな事になっていたなんて…。少し、この家の人について教えてもらってもいいですか?」
黒影はそんな嘘をついて、話を聞きだそうとした。中年女性はそんな黒影を疑う素振りもせずに、遠い所から来たのに可哀相にと、中年女性の住む隣の家に招きいれ、お茶を出しながら焼けた家の一家について話を聞かせてくれた。
「もう何年かね…一家心中して皆、お亡くなりになったんだよ。」
と、中年女性は話始めた。黒影は、
「では、せめて花だけでも手向けたいのですが、何処に眠っているのかご存知ですか?」
と、聞いてみたが女性は首を横に振り、
「さぁ…旅をして各地を廻っていたからね。
遺体がどうなったのか、誰も知らないよ。」
と、言っただけだった。
その後はほとんど近所話にちかい話ばかりだったが、黒影は少しでも情報になるかも知れないと話に聞き入る。
女性もそんな黒影が気に入ったのか、話が長く尽きる事がなかった。どうやら娘さんは、それは綺麗な踊りをする一座の看板娘だったらしい。やはり、一家心中の原因はサーカスの到来にあったようだ。サーカス団が欲しかった土地に亡くなられた家族がやっていた芝居小屋があったのが事の始まりだ。
客がいなくなったのは、流行りのサーカスが来たからではなく、大きな原因は規模を大きくしたかったサーカス団からの嫌がらせが要因だったらしい。警察も最初はそのサーカス団の仕業と考えていたが、丁度客がいなくなって八方塞の時に、火事が起きた事からサーカス団の犯行に見せかけた一家心中で話は終ったらしい。その当時、嫌がらせをしていたサーカス団員は三人。写真を見せてみると、あの殺されたピエロと、自殺した犯人と思われる二人に間違いなかった。
この一家心中の火事が、フェスティバルの事件に何らかの関係がありそうだ。一家は全員死んだ事から、逆恨みではない。考えるならば、その心中した一家の関係者による仕業か…若しくは、三人の事件を隠す為に起きた仲間割れ。しかし、中年女性の家を出た時、黒影の頭の中には違う仮説が浮かぶのである。丁度、中年女性の家を出ると、黒影の前に買い物帰りの老婆が現れた。黒影はその老婆にも話を聞いてみる事にした。やはり、一家は火事で死んだ事には間違いがないようだった。しかし、やはりこの老婆も一家の墓を知らない。そしてこんな妙な話までするのだ。
「あの火事の後には幽霊が出るって噂があるんだよ。夜になると、あの家から娘の踊っていた踊りの音楽が聞こえてくるって…この辺では有名な話さ。事件があった当初は近所の人が、顔が焼き爛れた亡霊を何度も見たそうだよ。まぁ…いい死に方はしなかったしね。ただの噂だけれど。」
と。黒影はその言葉を聞いてこれがただの噂話にはどうしても思えなかった。
何故ならば、もしも心中したとされる一家が生きていたとしたならば、フェスティバルで死んだ三人を恨みから殺したとすれば、話は繋がる。まさか呪いなんてものを黒影が信じる事はない。
焼かれた家の廃墟の上で黒影は一人、考えていた。やがて夜が更けていくと、黒影の耳に小さな音が聞こえるではないか。白雪と見たちんどん屋の音楽に似てはいたが、その音色は笛で彩られた美しい音だった。何処から聞こえてくるのか…黒影は家の付近を離れ、辺りを探してみたが、焼けた家から離れようとすればする程音は小さくなる。黒影は背筋に寒気を感じていたが、呪いではない真実がきっとあると自分を奮い立たせて、尚も音のする根源を探す。燃えた家の中央で黒影は暫し、右往左往する。そしてやがて足元の瓦礫に耳を当てた。音が…黒影の真下から聞こえるようなのだ。黒影は無我夢中で瓦礫を掻き分けた。しかし、何処にも地下に続くような道はない。
しかし、たった一つの小さな穴があった。恐らく火災の時に空いたであろう小さな穴を覗くと…黒影の真下に異様な空間があったではないか。その中から音楽が聞こえていたのだ。それよりも驚くべき事は、その下の空間に女性のものらしき白骨遺体が横たわっているではないか。その周りを…顔の見えない誰かが、その遺体になった誰かの死を惜しむように流麗な舞を踊っている。この奇怪な光景はまるでこの世のものではないかのようでもあったが、黒影はこれで一家の誰かが生き残っていたという事実を発見したのだ。出入り口のない空間に人が居る…それは亡霊とも思えるかも知れなかったが、黒影には出入り口の在処が推測出来た。
この心中した筈の一家を哀れむこの界隈の人々の証言が、それを物語っている。死んだ人の事なんて、何とでも言える…しかし、この界隈の人々はまるで一家がまだ生きているかのように、気を遣って話す。この界隈の誰もが知っている筈なんだ…一家の誰かがまだ生きているという事実を。黒影の足元に…沢山の人に愛された、悲しき犯罪者が美しく舞う。黒影には、この事実は解き明かしたくはないものだった。
いずれ…その時が来るまで…。黒影は何もなかったかのようにその場から立ち去った。静かにその音楽を背に…。

「すっかり遅くなってしまった。」
黒影は家に帰るなり白雪にそう言った。黒影は白雪と少し遅い夕食を摂る為、台所に立つ。
「私が作るわ。」
白雪はそう言ったが、白雪はまだ幼い為黒影は皿を出すように言うだけだった。ずっと一人で生きてきた黒影には料理は得意なもので、手際よく料理は出来上がって行く。
「そんなに料理が上手かったら、未来の奥さんが困るに決まってるわ。」
手伝いしかさせてもらえない白雪は、不機嫌そうに黒影にそう言った。
「こんなに評判の悪い男と結婚してくれる奥さんなんていないよ。」
そう笑いながら黒影は答えた。
「いいわ。私、ずっと旦那に料理を作ってもらうから。」
と、白雪は口を尖らせながらそう言った。そして、
「今日はこんなに遅かったんだから、収穫あったんでしょう?」
と、黒影に聞く。黒影は、
「ああ…もう、事件は解決した。」
と、さらりと答えるではないか。黒影のその返事に白雪は慌てて何時ものように警察署の風柳に連絡しようとしたが、黒影がその行動を止めた。
「まだ駄目だ。これは私が解決する事ではない。犯人自身が解決せねばならない事なのだよ。」
と、黒影は白雪を悟すように言うのだ。白雪は不思議そうに黒影を見つめたが何も教えてくれそうにもない。
仕方なく白雪は誘導尋問するのだった。
「やっぱり、あのフェスティバルの事件で自殺したと思われている二人も、殺されたのよね?」
と、白雪が聞くと黒影はこくりと首を縦に振る。
「じゃあ、どうやって殺したの?皆、死んだ時見ていたじゃない。」
と、なかなか詳細を教えてくれない黒影に痺れを切らして聞いた。黒影は造作もない事だと言いたそうに軽く笑うと、
「至って単純明解な茶番だよ。白雪はもう、光の三原則というのを学校で習ったかい?」
と、まるで先生が生徒に聞くように白雪に聞き返した。白雪は、
「まだ知らないわ。何、それ?」
と、首を傾げて黒影に聞く。黒影は、
「赤、青、緑の三色で黒以外のほぼ全ての色を合わせて作れる事を言うんだ。その三色の光を合わせるとどんな色になると思う?」
と、白雪に問題を出してきた。白雪は暫し負けまいと考えてみたものの、まったく検討がつかず、
「色が混ざって黒っぽくなるんじゃないの?」
と、当てずっぽうに言ってみる。黒影は、
「残念。答えは白、若しくは白に近い色になるんだ。だから、この三色の光をスクリーンのような白い光を発している物に映すと消えたようにも見えたりする。ピエロが一人、僕らは首吊り自殺をしたように見えていたが、実際は元から白い箱に赤い照明を当てていただけなんだ。そしてドライアイスの出現と共に照明が消されたように思われたが、実際はピエロの足元の箱が三色の光を当てられ白く映り、後ろの白いスクリーンと混ざり消えたように見えただけなんだ。箱状の物を使うと必ず光を当てると影が出来る。
そこで影を上手くカモフラージュする為にドライアイスという演出で誤魔化したってわけさ。」
と、白雪に教えた。白雪は成程と言う様に手をぽんと叩き納得したようだった。しかし、その後にはと何かに気付いたようにこう黒影に問いただした。
「だけど、私達がステージに上がった時にはちゃんとピエロの死体はあったわ。それに最後に黒影が追っていたピエロだって…。」
その質問にも黒影は、
「僕らがステージに辿り着くまで誰もステージの上がどうなっていたのか見ていないんだ。
あのステージは裏から廻らないと行けないようになっている。犯人はそれを知っていて皆がステージに向かった事を確かめた後、ステージ上の偽の生きたままのピエロの姿をした共犯者と予め殺しておいた被害者の死体と摩り替えただけ。服毒死したピエロも同様に、
犯人がピエロの姿に化けて事件を調べていた邪魔な私をステージから引きずり落とした後、
わざと姿を見せて追わせる。…そして、角を曲がり一瞬目を離した隙に元から用意していた死体と摩り替えたんだ。単純な犯行でも、まずこれだけの事をするならば共犯者がいる事は間違いないだろう。ましてや、女性一人の力では素早く死体と共犯者のすり替えが出来る筈もない。」
と答える。白雪は、
「じゃあ、男の人が犯人なの?何でこんな事を…。」
と、悲しそうな顔で言った。黒影は、
「二人…否、それよりも多いかも知れない。私が思うに、犯人は女性だけではなく、男女含んだ一家で犯行に及んだのだろう。大胆な犯行のわりに目撃者がいない。…私の推測だと、ピエロの化粧にも似ているちんどん屋の一座の仕業だ。ちんどん屋ならば化粧をいちいちする暇がなくても然程外見の差は衣装さえ変えてしまえば分かりはしない。事件前後にちんどん屋が目撃されていたのは確認済みだ。」
そこまで話をしたが、急に押し黙ってしまった。白雪はどうかしたのかと黒影の顔を伺いながら、
「やっぱり…全部、分かっているんでしょう?風柳さん、呼ばなくていいの?」
と、聞いてみる。しかし、黒影は首を横に振り、
「まだ…。まだ、どうしても知りたい事がある。それは明日までの秘密だよ。」
と、白雪に優しい笑みを浮かべて言うのだ。白雪は黒影にまだ聞きたい事が山程あった。けれど、黒影が一度秘密にしてしまった事を聞きだす事なんて無理だと知っている。仕方なく珈琲を出しながら黒影の様子を伺う事しか出来なかった。黒影は蓄音機にレコードを掛けて珍しく目を閉じて曲に聞き入っているようだ。何処か悲しそうに…けれど、口元は微笑むように弧を描いたままだった。大人になれば…こんな顔をして何かを想う事もあるのだろう。…そう、思いながら白雪はその大人びた黒影の横顔をずっと眺めていた。
丁度その頃、一人の舞姫に手紙が届けられる。舞姫は何時ものように隣の家から、我が家とは言いがたい地下の巣へと戻ろうとする。
隣の奥さんがその少女に声を掛けた。
「今日ね、変な人が来たのよ。貴方の古い知り合いだとかで…。これ、渡してくれって。」
と、隣の奥さんは彼女に手紙を渡す。少女は慌てるように走って地下にある我が家に下りて手紙を開く。そこには一人の迷う男の心が書かれていた。少女と同じ境遇の誰かが、少女の心に問うていた。
『悪と正義はけして人の手だけでは測れず、だからこそ己の心だけが裁く事が出来る。もしもそれが叶わぬものならば、私は人を捨てて悪にでもならぬ限り貴方を裁く事は出来ず。
また弱くも私は悪には成りきれない。だから真実は…貴方の心にあるものなのです。』
と、真実を長い闇で過ごした彼女に委ねていたのです。少女はただ止まらぬ涙をそのままに、何とも言いがたい柵から解けてゆく己を感じておりました。手紙を閉じて封筒に再び収めようとした時、一枚の招待状がひらりひらりと彼女の崩れ落ちた膝に舞い降りた。
“道化師の仮面を外しにお越し下さい。風柳という私の古い親友がきっと貴方の力になる筈です。 黒影”
と書かれ、裏には場所と時間が記されてあった。少女はその招待状を手に、暗い地下に隠れるように待っていた兄と父にこう言った。
「もう…終わりにしましょう。」
と。そして隣近所の一家を守ってきてくれた人々に感謝と別れを告げると、疲れきった少女は焼き焦げた母の死体の膝に包まれるように眠りについた。

「まぁ、いいじゃないですか。」
次の日の朝、黒影は風柳を呼びつけ、そういいながら風柳をある場所に行くように告げた。
風柳は黒影があまりに熱心に勧めるものだから断り切れずに渋々と指定された場所に行く事になった。黒影は風柳を見送ると安心したようで、何時ものように家で白雪の作った珈琲を味わっているようだった。やがて、白雪は何時か聞いた音に体を強張らせ、
「黒影!あの日と同じちんどん屋!」
と、血相を変えて黒影を呼んだが、黒影は別段驚いた様子もなく、
「心配する必要はない。…あのちんどん屋はもう一度生きる為に歩いているのだから。そうだ、見送ってやりなさい。きっと舞姫がいいものを見せてくれるよ。」
と、白雪に言うのである。白雪はまだ少し躊躇いながらも、黒影が言うなら心配はないのだと思い、外に出てちんどん屋を出迎えた。
ちんどん屋の一人の女が不思議な音に包まれながら舞い上がる花のように弧を描いて踊っている。そして流れて通り過ぎる様は美しく…吹き抜ける風に同化しているよう。その姿を見た白雪に、もう恐怖など何処にもなかった。“きっとまた咲くよね?”…枯れてしまった花を見て黒影に昔の白雪自身が言った言葉を思い出していた。黒影はその時、こう言っていた。“大丈夫…咲かない花はない。”
と。まるで窓越しの黒影の真っ黒な影がそう昔のように言っているようだった。

風柳が黒影に指定された場所に行くと、そこには何もない簡素な舞台が用意されていた。
其処で一体何が始まるのかと待っていたが特に何も起こらないようだった。やがて痺れを切らせた風柳が立ち去ろうとした時、ピエロの姿をしたちんどん屋がやってきた。ちんどん屋は風柳を気にも留めず、舞台へ上がると静かに笛や鼓を取り出し音色を変える。やがてピエロの姿を脱ぎ捨てた一人の少女が和服に身を包み舞い踊るではないか。火傷の跡が痛々しい少女の顔に安らぎに似た微笑が溢れていた。
「黒影の奴…洒落た真似なんかしやがって…。」
そう、言いながらも風柳はその少女が踊る舞を最後まで見届けた。世に隠れ仮面を被り生きた道化師が、地上の光を手に入れる姿を夢に見ながら。


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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。