「黒影紳士」season3-2幕〜その彼方へ向かえよ〜 🎩第二章 現実に向かえよ
――第二章 現実に向かえよ――
黒影が意識を取り戻したのは、倒れてから半日も過ぎた頃だった。
「……お帰りなさい、先輩」
サダノブは、ほっとして微笑んで迎えた。
「すまない……心配を掛けてしまったな。……此処は……部屋まで占領してしまっていた様だ」
黒影は辺りを見渡し、自分が使っていたのがサダノブが普段使っているゲストルームだと知るとそう言う。
「構いませんよ。何時も先輩の部屋で酔っ払って、お気に入りの席を占領させて貰っていますから」
と、サダノブは微笑む。
「それもそうだった……」
そう言うなり、黒影は直ぐに動こうとする。
「未だ横になっていた方が良いですよっ!半日も魘されていたんですからっ!」
サダノブは慌てて制止した。
「半日?……そんなにか。ならば、余計にこうしてはいられん」
そう言ってゆっくりと起き上がると、白雪が用意した硝子製のピッチャーの中の水をコップに入れて一気に飲み干した。
「先輩!……大事な話があるんだ」
サダノブは急ぐ黒影に、言う。
「其れは、今で無くてはいけない事か?」
と、何時もの調子で黒影が聞くものだから、
「いいえ。でも出来るだけ早い方が……」
サダノブはそう言葉を濁らせた。
「そうか。では後で時間を取るから其の時に聞こう。先に急ぎの用事が出来た」
黒影は言ってベッドから立ち上がり、リビングへ向かおうとする。
「……また、事件ですか……」
サダノブは少し悲しそうに聞いた。
「ああ、事件は時を選ばない。急がなくては……」
そう何時もの様に、当たり前に黒影は云う。
……きっと、あの恐怖の記憶を彷徨った後、其の儘予知の絵を見に行ったんだ。
……なんて、無謀な生き方をする人なのだろうとサダノブは思う。けれど、事件とあれば誰も黒影を止められはしない。呼吸をする様に事件と向き合う此の黒影と言う人物の運命なのかも知れなかった。
「走らないで下さいよ!」
慌てて作戦会議をリビングでするであろう黒影は、何時もの様に慌てて走り出そうとしたので、サダノブはせめて其れだけ伝える。
「……あっ、それもそうだな。サダノブ、有難う」
と、サダノブの言葉に、何時もの調子では無かったのだと思い出した黒影は、そう言った。
「全く……事件に夢中になり過ぎですよ」
と、サダノブは言って笑う。
――――――――――
「風柳さん!事件だっ!」
茶を啜って黒影が意識を取り戻すのは何時か何時かと心配し乍ら待っていた風柳に、黒影はリビングに行くなり突然言った。
「おい、何を言っているんだ。体調はもう大丈夫なのか?」
何時もならば事件を最優先させる風柳も、流石に驚いた顔でそう聞いた。
「半日も寝ていたなら、元気ですよ。其れより予知の絵だ」
と、予知夢の方が大事だと黒影が言うものだから、
「其れよりお前の体だ。体が資本!犯人を取り逃すぞ」
風柳はそう言って注意する。
「だから、僕はほら何時も通りになりましたよ。事件は待ってはくれないんだ」
黒影がそう急かして言っていると、白雪が黒影の声を聞いてパタパタと可愛いスリッパの音を立て乍ら部屋から出て来る。
「……黒影っ!良かった……!」
そう言うなり、黒影に涙目で獅み付いた。
「心配掛けたな。……珈琲が飲みたくなった。作ってくれるか?」
黒影は白雪に珈琲をねだると微笑む。
「うん!今作るねっ!」
そう言って白雪がキッチンに行ってる間に、黒影は自分の席にゆっくり座った。
「此れから事件の会議だと知ったら怒るんじゃないかー?」
と、風柳が白雪を見乍ら黒影に聞く。
「多分……。でも仕方無いですから」
黒影は苦笑した。
暫くすると、サダノブも作戦会議が始まると分かっていたので、タブレットを持って自席に座る。
三人急に揃って集まり、サダノブがタブレットを持っている事も確認した白雪は、黒影に珈琲を出し乍ら、
「もう少し休んでも良いのに……」
と、愚痴をこぼした。
「落ち着いてうかうか寝ていられなくなる。御免な」
黒影は白雪の頭を撫でて、申し訳なさそうに言うと微笑んだ。
「仕方無いわね。体調には気を付けるのよ」
と、一言忠告する。
「分かっているよ、有難う」
黒影はそう答え、ほころんだ笑顔から座り直すと真面目な表情に切り替えた。
――――――――――
「本件は、連続殺人と思われる。既に一名死亡。申し訳無い……予知の影絵を見るのが遅れてしまった。第一の殺人は時夢来で確認します。……白雪……」
黒影が呼んだ時には、既に白雪は時夢来の本を手に部屋から出て来ていた。作戦会議に無くてはならない物だからだ。
「有難う。順番が錯誤しない様に、先に時夢来で確認しましょう」
黒影は時夢来の本に懐中時計を嵌め込んだ。
浮き上がる挿絵への念写が第一の事件を映し出す。
ゆっくり炙り出された其れを、全員が息を殺して完成を待った。
「……手が、ありませんね」
黒影は一言目にそう言った。左の手首が切断され、掌の無いご遺体だった。
他の手足の地面への接着加減からしてうつ伏せだろう。
「場所は特定出来そうか?」
と、風柳が黒影に聞いた。
「情報は少ないけれど、良く見てみましょう。此れは屋内のオフィスの様だ。窓の外の景色にヒントがあるかも知れない」
あくまでも黒影の影絵を反映した物なので、時夢来も影絵だ。小さな光と影の中から場所を見付けなくてはご遺体を発見出来ない。
「サダノブ、画像を読み込んで拡大しよう」
黒影はそう提案した。
サダノブはタブレットでスキャンし、拡大対応出来る様に読み込んだ。
黒影はコートのポケットから金の装飾の付いた、アンティークルーペを出し、タブレットの気になる箇所をタップし拡大すると、更にルーペで見落とさない様に確認している。
「……窓の外の西側に看板が光っている。……文字は、白川産業と、其の上が大徳グループ株式会社……だな。周りの景色と縮尺で考えると三階。白川産業の看板は途中で途切れているから、同じ三階だが此の現場より少し高い位置にあるみたいだ。大徳グループ株式会社は四階で上が切れている。此の二つの会社を検索して、東側のビル三階で間違い無いだろう。サダノブ、特定の方は頼むよ」
黒影がそう言うとサダノブは検索をし、大徳グループが所持する大徳ビルを見付け、衛星画像から西側のビルを回転させ見た。
「行平ビルの三階ですね」
サダノブは場所を特定し、検索結果を言った。
「風柳さん、第二の事件の方が心配だ。行平ビル三階の捜索は其方に任せます」
と、黒影は風柳に言う。
「ああ、分かった」
そう言うなり、風柳は署にスマホから連絡を入れて、急いで捜査する様に伝えた。
「第一の事件が解決しない限り時夢来は此の儘でしょう。後は、予知夢の影絵の話をします」
黒影は時夢来から懐中時計を取り出し本を閉じると、サダノブがタブレットでメモを取れる様に待ってから、話を続ける。
「第二の被害者ですが、此方も左手を切断されています。現場に切られた左手は見当たりません。予知夢の影絵の方が大きいので、恐らく左手は何処かで捨てられたか、犯人が持ち去ったと思われます。第二の殺害現場予定地は、ビル群の間の暗がりの様です。今夜……間に合うかどうか……。ゴミの集積所が見えました。見るからに溢れたゴミから推測するに、繁華街か飲食店の多い場所の様です。切れた街灯が有りました。あまり良い環境では無さそうです。……恐らく明日か夜明け前に生ゴミの回収業者が周る筈です。都内、若しくは駅周辺、南三丁目という文字が集積所の所に薄ら見えたので、其処から探すしかありません。……衛星画像と監視カメラで該当する場所が絞れたら見に行きましょう」
と、黒影は提案した。
「了解でーす。探しますね」
サダノブは、夢探偵社が誇る衛星画像と「たすかーる」の監視カメラを網羅したソフトで検索に掛かった。
「どのくらい掛かりそうだ?」
黒影はサダノブに聞いた。
「10分」
サダノブは答える。
「良し、まあまあだ。風柳さん、出掛ける準備をしましょう。白雪も一人は詰まらないだろう、来るか?」
黒影は紅茶を飲み乍ら聞いていた白雪を誘ってみる。
「そうね……一人じゃ物騒だし。其方も物騒だけれど、未だ黒影がいるだけマシだわ」
と、笑って部屋に戻り、出掛ける準備を早速始めた様だ。
黒影は鞄を自室から持って来ると帽子を被り、左手をヒラヒラさせ乍ら見ていた。
「左手以外は、ゴミ……か」
と、呟いた。
風柳は車のキーを取って先にエンジンを掛けて待っている。
「特定、完了!」
サダノブが言った。
「行くぞ!」
黒影は朗らかに笑い軽快に外出する。此れから殺人事件が起きるかも知れないと言うのに、黒影の知的好奇心は人知を超えたところにあるのかも知れない。将又緊張と言う糸を張る瞬間が犯人と対峙した時のみで、其の他は緩みっ放しなのではないかと、サダノブは時々思うのだ。
「はーい」
自然に付いて行く事に何も違和感を感じなくなった自分も、きっと能力者の生き方ってやつに少しずつ慣れて来たのだろうと思う。
――――――――――――――
「しまった。一足遅かったな」
黒影は現場に行き、ご遺体を見て言った。
「……半日、僕が使えなかったが為に……」
黒影は申し訳ない気持ちで被害者を見て言う。
「先輩の所為じゃありませんよ」
サダノブが被害者の写真を撮り乍ら、黒影に自分を責めてほしく無くて、そう言った。
自分の所為で予知夢を回避出来なかったと考えてしまう黒影は、時々悲しみに囚われてしまう危うさがある。
「犯人が悪いのは分かっているんだ。……それでも、何か出来たんじゃないかと思えてならない」
黒影は、被害者から目を背ける事無くそう言った。そして静かに手を合わせ、
「犯人を見付けてやらねばな」
と、瞳の奥に業火の赤い影を写し、静かに炎が燻る様な殺気を纏う。悲しみから、怒りに変わる瞬間があまりにも早過ぎて、何がそうさせるのかは誰にも分からない。ただ、犯罪を憎むと言う単純さでは語れない何かがある様に思えた。
黒影は臆する事無く手袋をし、被害者の切られた左手の切断面や其の周りを観た。
「思っていたのとは違うな……。切断面が美しく無い。雑過ぎる仕事だ。先に背中から一尽き……此れは身動きを封じる為に刺した。手じゃないのならば狙いは何だろう……」
そう言ったかと思うと、黒影はゴミを漁り始めた。
「ちょっと、黒影本気?」
白雪は服が汚れると、言いたいらしい。
「ああ、そうだった」
そう言うと黒影は、帽子とコートを白雪に預けて腕捲りをするなり、
「おい、サダノブも手伝え。多分失くなった左手は此の中だ」
と、言うでは無いか。
「えー、マジっすかぁー」
大量の悪臭がするゴミに思わず言った。
「俺も手伝おう。夜明けには回収車が来る。白雪、悪いが第一現場から連絡が来るかも知れん。汚れた手で触りたくないのでな。連絡が来たら通話を押して耳に当ててくれないか」
と、風柳もジャケットを脱いでシャツを腕捲りし、白雪にスマホを渡した。
「帰りの車内が最悪になりそう」
白雪は覚悟をしつつも、スマホを預かった。
「さて、宝探しだ」
そう言うなり黒影は、勢い良くゴミを掴み左手を探し始めた。
「あー!もう、やけくそだっ!」
と、怪訝していたサダノブも探し始める。
探し始めて数分後に、風柳のスマホが鳴った。白雪は通話を押し、風柳の耳に当てる。
「……風柳だ。……そうか、あったか。此方も間に合わなかった。今、左手を探してゴミ漁りだよ。多分其方もゴミみたいに捨ててあるんじゃないか。捨てられそうな場所を探した方が良い。……ああ、早く風呂に入って寝たいよ。……見付けたら、連絡する。じゃあ」
と、第一の被害者が出た殺人現場の同僚と話して、白雪に通話を切って貰う。
其の時だった。
「うわっ!先輩!」
と、サダノブが震える指で袋を指差して驚愕した。
「あったのかっ!」
黒影は即座に反応し、サダノブの指差した袋を持ってコンクリートの上に乗せ、中を掻き出した。
「此れか……」
黒影は見付かった左手を掴んで取り出した。びっくりするでも無く、其の左手をマジマジと角度を変えて観察している。
「薬指が無い……。切断面が美しい……。此れは何で切ったんだろう。後で調べて貰って下さいよ」
と、風柳に掌をポイッと渡し乍ら、黒影は言った。
「はぁー、此れで終わりだ。病み上がりで激務にならなくて良かったよ。切ってから未だそんなに時間が経っていない様だ。比較的ゴミの集積所の上の方にあったみたいだしね。多分薬指は出て来ませんが、後は警察にお任せします。……早くシャワーを浴びたい。帰りましょう」
と、黒影は風柳に言う。
「薬指が無いって犯人が持って帰ったのか?」
風柳が聞くので、
「ええ、勿論。だから手首と違って、こんなに綺麗に切断したのですよ。薬指と言えば、結婚指輪をするんでしたね。単なる結婚詐欺の逆恨み、婚約者の裏切り。……薬を塗るから薬指、何かの愛情欠落か。連続殺人で、もし第一被害者の手の薬指も無かったら、薬指に何らかの拘りか執着があるのが共通点になりますが、今は未だ何とも。明日には第一殺害現場の情報も纏まるでしょう。……今日は其の前に一休みさせて貰いますよ。……未だ続くと思いますから」
と、最後に重要な事を告げた。
「未だ続くだって?何てこった」
風柳は手袋を外し乍ら、早く止めなくてはならない事態に忙しくなるのを覚悟してそう嘆く。
一同は初動捜査を終え風柳に警察への報告をして貰うと、次の被害を止めるには予知夢は必要不可欠であったので、早々に帰路へ向かう。
「サダノブ、早くシャワーを浴びたいから、話は其の後で構わないか?」
黒影はサダノブに聞いた。
「でも、先輩早く寝ないと……」
サダノブは予知夢と事件を気にした。
「構わないよ。出来れば早い方が良いんだろう?気になって寝れなくなっても困るからな」
と、黒影は言った。
「……聞いても、気になる内容だったら如何します?」
サダノブは気にならない筈は無いし、下手したらまた発作を起こし兼ねないと心配になって聞いてみる。
「ん?……何を話そうとしているか分からないが、そんなに気になる内容と聞いただけで、何だろうと既に気になっている。……考えても仕方ない時もあると、其の時は諦めるよ。……其れに……きっと大事な事ならば、何時か知らなくてはいけない時が必ず来る。今日か少し後も、同じ事だ」
と、黒影は言って笑った。
話しても……黒影はまたこんな風に笑ってくれるだろうか?サダノブは一抹の不安を感じ乍ら、其の笑顔を見ていた。
白雪は二人の其の会話を聞いて少し不安になり、窓から見える過ぎゆく夜景をぼんやり眺めていた。
……もう家族の様に親しくなったサダノブは、風柳と黒影の過去を受け止められるだろうか……。きっと黒影が発作を起こした時、気付いたに違いない。
此の優しかった日々が消えてしまわない様に、願う事しか今は出来ない。
風柳もきっと、運転をし乍ら似た様な気持ちで願っているに違いない。
何も知らずに笑い合う方が、本当はぎこちない物だったのだ。
幸せは小さい頃に頑張って築いた砂城の様。
長い時間を掛けて築くのに
たった一度の波で全て壊れてしまう
出来ればそう……
私達の砂城を石で囲って、何からも見えなくして……
貴方と言う波に知られたくはなかった
嘘を吐くつもりは無かった
皆、話すのが怖かっただけ
だからどうか、変わらずにいて欲しい
――――――――――――――
黒影はさっさと風呂を沸かしてシャワーを浴びると、サダノブも続いてそうした。
「あー、ずるいぞ」
風柳も早く汗や匂いを落としたくて仕方ない様だ。
「今日はサダノブと話があるので、お先ですみませんね」
と、黒影は頭を拭き乍ら言った。
「そうだったな……。なら、仕方無い」
風柳は態と思い出したかの様に言う。
「?……風柳さん、何か知っているんですか?」
黒影は珍しく何の話か聞かない風柳を怪しんで聞いた。
「な、何も知らんよ」
そう言うなり、風柳は逃げる様に自室へ行ってしまった。
「何だ、あれ?」
黒影は思わずそう言ってアイス珈琲を飲んだ。季節に関係無く風呂上がりはアイス珈琲と決めている。
白雪は黒影の膝にちょこんと座ると、
「ねぇ……今日、発作を起こしていた時、やっぱり昔の事を考えてしまったの?」
突然白雪は黒影のアイス珈琲を一口貰うなりそう聞いた。
「……如何だったかな。あまり覚えていないんだ」
と、少し考えたが黒影はやはり思い出せずにそう答える。
「如何してそんな事を聞くんだ?」
と、更に白雪に聞くと白雪は、
「サダノブ……ずっと心配して横にいてくれたのよ」
と、黒影に言う。
「……そうか、そう言う事か」
黒影は、風柳と黒影の過去をサダノブが知ってしまったのだと気付いた。
「……もう、慕ってはくれないかもな」
黒影は珈琲を飲み乍ら諦めた様に言った。
「良いの?」
白雪は心配そうに振り向いて、黒影の頬を撫でて聞く。
「……仕方無い。罪人には罰が下る。当然の事だ。今迄幸せ過ぎただけだよ」
と、儚く微笑んだ。
「何時になったら……其の罪は消えて貴方は許されるのかしらん。私は其れでも信じるわ、今の貴方を。だからサダノブにも、そうであって欲しいと願ってしまう。……人って、勝手で我儘なものよね」
白雪はそう言うと、サダノブがリビングに戻って来る音を聞いて立ち上がり、黒影の頬に軽くキスをして部屋に戻って行く。
……有難う……。
黒影は声にはせず、心で白雪にそう言った。
「如何だ、スッキリしたか?」
黒影は出来るだけ何時もの様に振る舞おうと決めた。
「ええ、匂いも消えてサッパリですよ。マジで落ちなかったら如何しようって思いました」
サダノブは笑った。
「風柳さんには出たって言ったか?」
と聞くと、
「ええ、もう入ってると思いますよ。……あれ?白雪さんは?」
と、白雪がいなくなっていたのに気付いて見渡している。
「ああ、皆臭いから嫌だって部屋に逃げ込んだよ」
黒影は苦笑いし乍ら言う。
「白雪さんなら、言いそうだなぁー」
と、想像してサダノブも苦笑う。
「……あっ、で、話って何だ?」
丁度サダノブが風呂上がりに何時も飲む緑茶を持って来たタイミングを見計らって、此れ以上話を逸らしても仕方無いと腹を括り、黒影はぎこちなく聞いた。
「今日、先輩が発作起こした時の事ですよー」
と、サダノブは席に座り乍ら言う。……やはり其の話か。……黒影は、黙っていた。
「また勝手に思考読んでしまったから謝らなきゃと思って。……なんか、しんどそうだったから何か出来ないかなって、思ったんですよ」
サダノブは申し訳なさそうに話し始めた。
「謝る?サダノブがか?……もう知っているんだろう?僕なんかに謝る必要は無いよ」
と、黒影は苦笑して珈琲を飲む。
「はあ?先輩、如何したんですか?……急にそんなに謙虚になって」
怒られると思っていたサダノブは、驚いた。
「え?……其れは冗談で言っているのか?それとも憐れんでいるつもりか?」
黒影はサダノブが余りにも何時もと変わらないので、分からなくなる。
「思考を読んだんだろう?」
「ええ」
「軽蔑しないのか?」
「へっ?……何ですか、其れ?何か話しが食い違ってません?」
と、サダノブが言うのだ。黒影は少し考えて、
「火事の時の事じゃないのか?」
「まぁ、そうでしたけど」
「風柳さんと僕が何をしたか見なかったのか?」
「先輩が何していたかは観ましたよ。でも、風柳さんは出て来なかったです」
……何を言ってるんだ、サダノブは。風柳さんがいない……だと?丁度一度外に出て、僕がいないと再び助けに来た間の話をしているのか?
「何を見たんだ」
もう、其れを聞くしかない。
「先輩に早く言わないとって思って。先輩は刺してませんよ」
と、サダノブは言った。だって其れは風柳さんじゃないのか?……何を言っている?
「火事の時に先輩が持っていたんです。何か綺麗な装飾品の付いた護身用のナイフ。確か昔は護身用のナイフの制限もあまり無かったから、結構長めの。先輩は其れを両手で持っていて、自分の手が真っ赤になって怖くて、其の時倒れて気を失ったんです。……でも、先輩が刺したなら自分で刺しておいてびっくりして倒れるなんて変なんですよ。……で、其の先輩が倒れ掛けている時に誰かが走って近付く気配がしていました。きっと、其の人に助けられたんでしょう?もし、未だ先輩が自分が刺したのだと後悔していたらいけないと思って……其れで発作を起こしているなら、尚更早く言いたかったんです。でも急な事件が入って……もっと早く言うべきだった。すみません」
と、サダノブは謝る。
「……其れは本当なのか?」
黒影は耳を疑った。
「ええ、ちゃんと先輩の見た記憶です。発作起こす程、思い出したくは無かったと思いますけど」
と、サダノブは答えた。
「僕は……そんな大事な事を忘れていたのか……」
黒影は目が見えない程テーブルに前髪を垂らし、落胆しているのか泣いているのかも分からないぐらい、ゆっくりと頭を下げた。
「……じゃあ、僕が記憶を失ったのは其処からだったんだ。全部……思い出せたつもりでいたのに……。風柳さんは、僕を庇って……」
黒影はテーブルの上にあった手を強く握り締めた。
自分の気付けなかった愚かさと、風柳が其の後如何したか分かったからだ。
前髪で自分にしか見えないが、ぽとぽとと落ちる涙が止まらない。血の滴った跡の様に止めどもなく、ぽたりぽたりと消せない傷を嘲笑うかの様だ。
……何故、あの時気付いてやれなかったんだ!なんで最後まで時次を信じてやれなかったんだ!
悔しくて……苦しくて……涙が止まらない。
「せっ、先輩?……だから、謝ってるじゃないですか」
オドオドし乍らサダノブが言った。
「違う、違うんだっ。サダノブ……お前に何と感謝すれば良いのか分からないよ。……僕は一番解決したかった大事な事件を、ずっと見誤っていた。未だ終わってなんかいない!兄さんを信じていなかったのは僕の方だった。……馬鹿だ……愚かだ。余りに……僕は愚かだった」
黒影は肩とテーブルの上の拳を震わせ言う。
「……先輩……」
サダノブは黒影が泣いていた事に今頃気付いた。
「兄さんって?」
初耳だったサダノブはやはりそう聞いた。
「あの日僕の罪を全部背負って守ろうとしてくれた刑事だよ。僕は調書も全ての資料を燃やし、其れで良いと思っていた。……でも、間違っていた。あの人の無実を僕が証明しなくてはっ!」
黒影は其の名も言わず、そう言う。
「まさか……」
サダノブは風呂場の方をチラッと見た。
「老けて見えるだけだ。……サダノブ、僕の大事な人なんだ。協力してくれるか?」
黒影は顔を上げてそう聞いた。未だ長めの睫毛にキラキラと涙の粒が光っているが、其の顔は長い疲れから覚めた様に、スッキリとした笑顔を浮かべていた。
「勿論です!そー言う事なら全面協力しますよ!」
と、サダノブは黒影に言った。
あの日をもう一度、正しい僕らの時間に戻そう。
遅くなってしまったけれど、今なら……出来ると信じられるんだ。あの頃とは違うんだ。あれから……それでも僕らは生きていたのだら。ただ生きていたと言う其れだけかも知れない。だけど其れだけで、前より多くの物が見える気がするではないか。
間違いは何時か正す為にある。
未来への謎解きなのだ。
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この記事が参加している募集
お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。