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「黒影紳士 ZERO 03:00」ー八重幕ー第一章 寒桜咲ク
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第一章 寒桜咲ク
そぞろ寒さに肩をすくめ
漆黒の紳士、現る。
甲高い硬い靴音を鳴らし
家族や仲間の為へと
鮮血よりも深き紅の
大輪の冬薔薇を慈しむ様に抱き締めて
ちらりと寒椿の垣根に目を移した。
「……早く、帰ろう」
浮つく華心、再び薔薇を見詰め正し……
長い長い垣根の横をシルクハットを目深に下げ
足早に通り過ぎ様とする。
薄っすら白い煉瓦の歩道。
其の冷ややかさは、触らずとも浮立つ白さに垣間見えた。
『……こっ……此処にいる……。僕は……貴方だけを待っている……』
空からか、将又脳裏に降って来た、聞き覚えのある声。
「おい!如何したんだ!?」
黒影は寒さにすくめた身体を伸ばし、美しい青く澄んだ冬空を仰ぎ叫んだ。
何年も聞き慣れた、創世神の声だったからだ。
然し、創世神は舞い降りもせず、返事も無い。
……気の所為か……?
そう思われた時、横から吹く冷たい風に立て襟が揺れた。
寒さに一度、長い睫毛を下ろし、風が和らぐとゆっくりと再び上げた。
鳳凰の魂を宿した其の美しい赤い瞳の上を、流れる様に淡紅の桜の花弁が、通り過ぎて行くではないか。
「何故……こんな所に寒桜が……」
思わず黒影は我が目を疑った。
青空を通過して行く桜の花弁は、寒ささえ感じなければ、まるで春其の物。
日本でも温かい地域には此の時期に咲いてもおかしくは無い。
然し、幾ら何でも黒影の住まう付近には、寒桜が在るとは思えない。
何処から飛んで来たのだろう……。
そう思い、辺りを見渡そうとするのが当然である。
其れ程に珍しい物が、花弁が舞い上がる程の大輪の花となっていると想像しただけで、見に行きたくなるのが人の常。
黒影に至っては、探偵なのだから余計に好奇心には勝てない。
だが……黒影は桜の流れて来た先へ、帽子の鍔先を向けると微動だにしない。
先程迄は漆黒のロングコートを靡かせ踊らせた風も、止まったかの様に見える。
黒影は其の視界に映った物に驚き、身の回りを確かめようと、足元を確認した。
「何だ……此処は……?」
自らを見てみても異変は無かったが、足元から静脈の様に、燻し銀の固い大地に、青と赤の光が遺伝子配列の様に絡み合い、広がっては消えるを繰り返す。
「まさか近未来でもあるまい」
黒影は苦笑したが、其の光の流れは、黒影が一歩一歩と踏み出す度に、振動か生命反応をして発せられている様に見えた。
夢では無いかと手元を見ても、真紅の薔薇が変わらずに在る。
黒影は状況を飲み込めないだけに、息が上がり少しだけ揺れて見えた。
「落ち着こう……。此れはきっと、また新しい「世界」に飛ばされたに違いないんだ。だから、創世神が書き上げて驚かせようと、先程の様な変な言葉を言ったに違いない!……もし、もしもそうじゃなくても……たかが、違う世界等……そんな線引きは今更僕には何とも無い。どんな世界でも、僕は僕として……生きる以外に他は無い」
そう自分に言い聞かせたが、再び薔薇を見れば刹那そうに微笑む。
「待っているんだろうな……。また厄介事に巻き込まれてしまった。心配さていなきゃ良いけど……」
其処迄呟き、家族や仲間を想った後、ふと……先程の言葉が頭を過った。
「此処に……いる。貴方を……待っている」
創世神の言葉を反復したのは、其の気持ちに気付いたからだ。
創世神が誰を待っていたのか、気付いたから。
……家族……だ。
黒影は其の時、絶望の様な物を感じた。
何時も一人、書く時間の長い創世神に何かあった事だけは分かる。創世神の大切な人が……いないのだと。其の状況すら分かってしまった。
「だから……僕なのか……」
黒影は静かに言った。
だから……書いたのだと気付いた時、早く向かわなければと思った。
其れなのに!
「一体、何だ此処は!」
当て付ける様に、此の見た事もない世界で、黒影は叫んだ。
戻り方も分からない、創世神の身に何かがあれば二度と、家族や仲間のいる「黒影紳士」の世界にすら戻れない。
何をするべきかも分からぬまま、残酷にも其の叫びだけが、得体も知れぬ涙すらない、鉄の様な大地に共鳴する。
「……さ……くら?」
不慣れな地を足元や辺りへと、キョロキョロと視点を変えては進んでいると、こんな無機質な大地から捻り出される様に、銀の幹から大輪に咲く桜を見付けたのだ。
根は銀色の大地から、黒影が歩く度に出現した物と同じ、静脈の様な赤と青の交差する光が、花へと伸びては消えて行く。
其れを見た黒影は突然、響く程の足音を立て、大地を思いっ切り片足を上げたと思うと、踏み付けたのだ。
「やはり……そうか……」
思わず黒影は生唾を呑み、帽子の先を下ろした。
此の大地は……生命反応で光っているのではない。
生命力を吸い、他の生命力へ流す。
詰まり、此の世界は……生命力の奪い合いで成り立つ。
「共存と言う……生優しい物でも無さそうだな……」
黒影がそう悟って口にした直後だった。
「誰だ!」
何者かが走り近付いて来る音に、黒影はコートをバサッと鳥の羽ばたきの様に鳴らし、振り返る。
息を切らして走って来る一人の女……。
ブロンドの髪が長く美しい、ヨーロッパ系の女性に見える。
成人ぐらいには見えるが、日本人よりかは大人びて見えるのが普通なので、実際はもう幾許か若いかも知れなかった。
「タスケ……テ……」
……あれ?日本語か?
黒影は其の女が慌ててそう言い、黒影の後ろに逃げたので、辺りを見渡す。
「貴方、何人?」
と、聞いてみるが、其れに関しては答えもせず、何故か人を盾にしていると言うのに、未だ怯え切っている。
……まぁ、日本語は難しいと言うから、そんなには話せないのだろう……と、悠長に考え様と思った時だ。
強い殺気を感じ、思わず黒影は漆黒のコートを広げ、背後に隠れた女を包み、殺気から避ける。
ほんの僅かな一瞬……真っ黒な黒い手が伸びて消えた様に見えた。
「あれは何だ!?」
黒影は直ぐに消えた其の腕が何かと、匿った女に未だ警戒も崩さずに尋ねる。
「貴方も……見えるの?」
其の女は驚いたかのか、目を見開き黒影に言った。
「ああ……さっきの黒い手だろう?」
と、黒影は答えた。……少し考えて……、
「貴方……も?と、言ったか?……創世神の相変わらずの誤字脱字じゃなければ、もう一人はさっきの奴が見える人がいたと言う事だ。何故……其奴に助けを求めずに、また助けられる人物を探していたんだ?……誰だ!先に君を助けようとしたのは?!死んだんじゃないだろうなぁ。助けてやるから、先に案内しろ!」
黒影は同じ目に遭ってたまるかと、先に助けたであろう誰かの安否も気にしつつ聞いた。
「私……一回、死んだの。だから、覚えていない。見ていないから」
「えっ……」
其の言葉に、黒影は焦りも何もかもの戸惑いも消え、一瞬止まった。
「……一回……死んだと……言ったのか?」
黒影は真っ白になりそうな頭を、何とかフル回転させた。
大地が生命力を奪い続ける……だが、コンテニューの様に生命力が無くなった方へ循環させている世界……。
「……まさかっ!」
黒影は青褪め、其の女から一瞬離れた。
……此の世界の中は其れで循環しているが、余所者が入った時は違う。
循環が補えなくなる。だから、余所の世界から来た者からは、生命力を奪い続けている。
大地が僕の生命力に反応していたのは、吸っていたから。
其れを此の地に元から生えていた桜が吸い上げた。
此の女も……あの桜と同じなんだ……。
女は黒影が此の世界の事を知ってしまったと悟り、少し悲しそうな顔をした。
「……それで?解ったからと言って何になる」
黒影はコートのポケットに軽く指を掛け、桜を見上げて言った。
「……えっ?怖く……無いの?」
女が、小声で黒影の背に聞いた。
「……勘違いしないでくれ。怖がっていたのは君の方じゃないか。僕は何処にいても探偵。……困っているなら話を聞くし、何とかしてみせる。……否、しないと気が済まないたちでね」
と、黒影は言った。
苦笑にもならない。笑えない……現実の中。
八重の桜から一匹の小鳥が羽ばたいた。
風切り羽は機械的に銀色に光り、生命力を受信しているのか、羽周りに赤と青の光の線が交互に揺れる。
送信と受信の切り替えで、光の色が変わっている様だ。
黒影が飛んだとて、膨大なエネルギーを放つ鳳凰の力すら、吸われてしまう。
一歩歩く事でさえ、躊躇する此の世界で……。
僕は未だ……無謀にも、走ろうと言うのか。
此の世界で唯一、美しいと思えた花に、黒影は心で問うた。
目を落とせば、手元には愛しい日々への薔薇の花束。
此の薔薇を……守ろうと思えば良いのだ。
肌身離さず、何よりの御守りになる。
何故ならば……此の薔薇が枯れ行く時、己の生命力も枯れると、気付く時だろう。
命の期限……動ける時間は……時でも無く、此の世界では此の薔薇のみが知る。
――――――
「あー……先輩!ねぇ、先輩ってば!」
黒い大型バイクのエンジンを切り、サダノブがバイクを引いて、遠くの寒椿の垣根の横を歩いている黒影に声を掛けた。
黒影はサダノブの声にも気付かず、何か空をずっと凝視し、見上げているではないか。
「……何しているんだ?」
サダノブは何かあったのかと、黒影に更に近付こうとした時だ。
「何だ?」
冷たい風が吹いたかと思うと、こんな時期に桜に似た何か(サダノブだから分からないんですね、残念ですby著者)を見て不思議そうにぽかーんと口を開けた。
……ああ、先輩に聞けば分かるか。
と、何時もの調子でサダノブは思い、一枚の桜の花弁をひょいとジャンプし掴まえると、黒影の方へ走り出そうとした。
「あれ?先輩?!」
だが、今迄目の前に在った筈の黒影の姿が無いのだ。
黒影がいた辺りを見渡しても能力者どころか、人一人歩いていない。
とても、黒影が誘拐など素直にされるタイプでは無いのは分かる。
能力者による、見えない攻撃か何かとも考えた時だ。
悩み歩道を見下ろすと、今度は一枚の薔薇の花弁(そのくらいは分かるようだね。良かったby著者)が、ひらりひらりと舞い降りて来たではないか。
「先輩…………?」
黒影が持っていた真紅の薔薇。思わず、上を見上げた。
「はぁ?えー、何これ、何だこれ!?」
突然サダノブは両手を空にパタパタ振り、馬鹿みたいに慌てて……そう、多分後ろから見ると、阿波踊りの様な状態だ。
サダノブの目に映ったのは、銀色の赤と青い線の光が交差して光る何か……。
ある意味、「未確認に飛行する物体」である事から、「UFO」と言っても過言では無い、大きな大地が通過するのだ。
其処に何故か、鳳凰の翼も出さずに吸い込まれる様に上がって行く、黒影を目撃したのだ!
「先輩!何やってるんすかーー!先ぱぁあーーい!」
サダノブは精一杯ジャンプするが届く筈もない。
……影でも使って上がったのかな……。
そう思って、其の「UFO」が行く先の方角を見る事しか出来なかった。
慌ててバイクへ戻り、エンジンを掛け走り出す。
飛べないサダノブにとって、今は此の事態を他に知らせる事しか出来ない。
悔しさに下唇を噛めば、吹き込んだ冷たい風が、当たった。
――――――
「風柳さん!白雪さん!」
サダノブは一目散に、風柳邸にズカズカ上がると、息を切らして、のんびりお茶の時間を楽しんでいた二人に言った。
「何よー、忙しない。黒影なら、お花を買いに行ったわよ?」
と、白雪はロイヤルミルクティーを飲んで言った。
「事件か?今日は何の予知夢も、黒影からは聞かされていないぞ?兎に角、事務所じゃないのだから、靴を脱ぎなさい」
風柳にそう言われて、サダノブは慌て過ぎて土足だった事に気付き、スニーカーを脱ぐ。
「だって、こーんなでっかいUFOに、先輩がすぅーーって、吸い込まれて行ったんですよ!」
と、サダノブは横いっぱいに手を広げて説明するのだ。
「危ないよ」
風柳が屋内だからと、注意する。
「ええ、危ないわ。いーい、サダノブ。夢でも見ていたんじゃないの?其れとも何?私の旦那さんが牛にでも成ったと言いたい訳?」
白雪に至っては、眉を顰める始末だ。
「ええ?!何で信じてくれないんですか?緊急事態でしょうよ?」
と、サダノブは見て来た儘を言っているのに、上手く伝わらない事がもどかしく、ダイニングテーブルにバンッと、両手を置いた。
「今度はUFOと闘うのか……」
風柳は「黒影紳士」ならば、無くもないかと半ば諦めムードで、天井を見上げた。
「キャトルミューティレーション?」
白雪が、紅茶を飲む手を止め、思わず呟く。
「キャト……キャトル……何ですか、其れ?」
と、サダノブは白雪に聞き返した。
「キャトルミューティレーションよ。UFOに牛が誘拐されちゃうって話しよ。実際は家畜がアメリカで大量死した事件で、UFOとの関連性は如何だかねぇ。誘拐される事をキャトるとも言うわ。後はそうね……女からなら、誘惑としても使うわ。詰まり……サダノブが言いたいのは、黒影がキャトられたって事でしょう?」
と、白雪がサダノブに説明する。
「そ、そうなんですよ。キャトられるのを、見とるってたんすよ!」
と、サダノブは其れだ!と、言いたかったらしい。
「日本語変よ、サダノブ。先ず其のUFOの報告なら私、聞きませんから。探偵なら、先ず其れが何かを調べるものでしょう?未確認なんて報告は要らないわ。黒影だって、同じ事を言うわよ」
白雪は、黒影の事は心配なものの、黒影が自分に一つ一つからだと言い聞かせていたのを思い出す。
ある日、白雪が裁縫で絡まってしまった縫い糸を、黒影が器用に解いていた時に話していたのだ。
「一気に解こうとすると、余計に絡まってしまう。糸と言う物を一本にするには、一つずつの小さな絡まりを先ず解して、其れから一気にストーンと……ほら、出来た。……何事も、コツコツと一つずつが、遠い様で一番の近道さ」
と、解いた糸を見せ、白雪に微笑んだ。
……神経質な人と何時も言ったけれど、私が近道を探して転んでも、きっと大丈夫にしてくれる気がした。
全然似合わないぐらい、貴方に追い付けない。
だけど、気付いたら何時もの立ち姿で待っていてくれる。
どんな日も、微笑んで。
「……サダノブ。……仕方ないわね。今、白梟に成るから、黒影に聞けば良いのね?」
白雪は、時計を見て確かに少し遅いと、黒影を心配した。
「そう、其れ!俺、飛べないんで助かります!」
と、サダノブが言うでは無いか。
白雪は其れを聞いて、
「ねぇ、其のUFOって本気?悪魔とか天使とか飛行機じゃなくて?」
真面目にサダノブが言っていたのだと気付き、思わず聞き返した。
「そんな風に見える……何かですよ、何か」
と、サダノブは思い返して答えるのだ。
「……じゃあ……今の所……」
風柳が思わず言う。
「未確認な飛行……物体」
と、思わず白雪も、想像するのであった。
ーーー
「君は何に追われて、僕は如何君を救えば良い?いずれ僕も力尽きる。其れ迄に出来る事は在るか?」
黒影は女に振り返り、ストレートに先ずは知っている事だけでもと、聞く。
「あれは、此の世界が吸った、他の世界の人の屍。此の世界を恨んでいる。だから、此の世界に住んでいる私達を襲う。死んで埋葬した時、一部の外の世界の人だけが、此の大地から生命力を吸い出し始めたの。けれど、其れでは此の世界の大地はバランスを失う。だから人に戻り掛けの影に見えるの」
と、女が答えるのだ。
「ならば、何故他の世界からの侵入をもっと防がないんだ。先程から見る限り、此の世界の人には未だ君以外に会っていない。随分と住人は少ない様だ。
大地に対して此の人口ではエネルギー効率が悪すぎる。此れは僕の知り得る世界では、移動型の小さな世界……「領域」に酷似している。死に絶え易く、此のシステムにしたのだろうが、考え方が逆だ。先ず死に絶える状況を改善するのが先なんだ。僕が守ると言ったからには、次にコンテニュー等無いと思え。死んだら最後だと思って、逃げて闘うんだ。必死にならない限り無駄に何度でも死ぬ。ただの人生の暇つぶしならば、僕に助けを求める必要も無かった筈だ。変えたいと……願っているんだな?」
黒影は最後に意思を確認する。
守るにも選ぶ権利はある。
同じ、行き倒れでも……違う結果を出せなくては、足掻く意味も無くなる。
大事なのは……後どのくらい時間があるか無いかでは無い。足掻く程の価値ある道であったか、否かであると。
最後に笑うって言うのはな……足掻ききった奴程笑うんだ。
「……願っても良いのでしょうか?変えたいと……願わなければ、他の世界の人を早く動けなくさせる事も無かった。私は知らない。何時だって……。どれだけ長く此の世界にいても、他の世界から来た人がどんな風に亡くなって行ったかも、見た事が無い。其れが当たり前だと聞いたし、侵入者の生命力が無ければ、もう此の世界古来の生命力維持は不可能だとも聞きました。だから、部外者をあえて受け入れて来たのだと思います」
と、女は思い返す様に言ったのだ。
「……其の、「聞いた」とは、誰から?どのくらい前に?そんなに詳しい人がいるならば、先に話を伺いたいところですが」
黒影は、何故先に会わせないのかと言わんばかりである。
「彼此……三年前です。他の人と会ったのは。嬉しくて、お互いに知っている事を話し、暫くは一緒にいました」
女は困惑気味にそう答えるではないか。
「そんなに同類と会う方が難しいのか……。詰まり、生命力の供給が逆転しつつある」
黒影はある事に気付いた。
「逆転?」
其の女の言葉に黒影は深く頷いて、
「此の世界は、既に生命エネルギーの供給バランスが取れないと見定め、古来の人類を捨てた。僕が此処に来た時と同じ様に、他人種を一旦殺し、最小限のエネルギーで動かす……そう、まるでゴーストを産み出した。此の世界は、既に貴方方の物では無い。生命力を与えられた屍の為の世界にシフトチェンジしようとしているのですよ。……此の世界自体が、世界を守る為に……」
と、辛いであろう現実を伝える。
「……時に……世界もまた……人を選ぶのです……」
そう黒影が付け足した時、まるで此の浮遊世界が騒めき立つ様に、一陣の風を吹き込んだ。
黒影は滑る大地に足に力を入れ、帽子を取り女の後ろに立つと、コートをバサバサと広げ鳴らす。
女の身体は後方に流れ、黒影に当たり止まる。
世界が……私を……殺そうとしている。
其の恐怖に顔は青褪めた。
黒影の言葉は其の突風にも消えず、深く恐怖として刻まれて行く。
「失礼。……驚かせてしまった。君にも名前ぐらいはあるのだろう?僕は、黒影だ」
黒影は一歩引いて、何もしないと両手を軽く上げ言った。
「……セナ。……黒影ならば、私を違う世界に連れて行ってくれる?此の世界に来て、此の世界を知る前に、皆んな消えた。もう其処迄分かっているならっ……!」
セナは黒影の顔を見上げ、両腕を掴み揺らす。
「……すみませんが、過度な期待はしない方が良い。其れとも其れが探偵の僕への依頼ですか?生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。依頼書が如何とまでは僕は言わない。……だが、セナさんは先程、同類を見たと証言した。他の僅かとは言え、残った同類は此の際、関係者ないとでも?」
其の言葉に、セナは両手を離し息を呑む。
「でも……また会えるかすら……生きているかも分からない」
俯いたセナに、黒影はこう言った。
「僕はこう思います。死にそうな瀬戸際にこそ、己に「生きろ!」と、強く……。こう言う駄目な時と言うものは、誰にでも平等にある。偶然……脱出する回数は同じでも、一人でも複数でもまた同じ事。此れから僕は、出来るだけ此の世界を死ぬ迄の個人的趣味で調査させて頂く。其の途中で出会ったセナさんの同胞には、其れに付き合って頂きましょう。
もしも僕が突破口である、脱出経路を見付けられず力尽きた場合は、即座に出来るだけ散り散りに逃げて下さい。集まっていると、今後後から出現した人種……即ち、ゴーストと仮に呼ばせてもらいます。其のゴーストが一斉に狙って来る可能性が高くなる。
……もしも、一本の真実の道が見付かったならば、其の出来るだけ多くで此の世界から脱出しましょう。此れが集団避難の基本です。
セナさんにとっては、僕より長い人生が此処には在るかも知れないが、現時点で僕の残りは僅かだ。残り僅かでセナさんと出会い、僕は此の世界を知り尽くしたい。序でに脱出出来たらラッキー程度に思って、最後の調査ぐらいは好きにさせて頂きたいものだが?……其れでは何かご不満かな?」
厳しい様で、黒影はそうは言ったが、セナが顔を黒影に向けると微かに笑った。
「……其れでも良いわ。もう逃げ惑わなくて済むのなら」
今迄、何人の外界の人を盾に生きて来ただろう。
永遠に続くと思っていた。
消えゆく外界の人達に、何も思わなくなったのは……何時からだっただろうか。
消えた悲しさも、恐怖も無く……盾にしてしまえば良いと、物の様に見えていた。
だから……此の世界の事すら、自分の事さえも……何も知って貰いたいとも思わなくなった。
瀬戸際にこそ……生きろ……
そんな言葉が、消え行く時間に呑まれつつある、目の前の偶然居合わせた男が変えて行く……。
諦めばかりを知り尽くした私には、其の消えゆく生命力の姿が、輝かしく見えた。
足掻いても……此の黒影と言う男が力尽きてしまったならば、私は久々に人を悼む気持ちに涙するだろう。
其れでも構わないと思えたのは、黒影が最後迄諦めないと、こんな世界で伝えてくれたからだ。
名残惜しや……人の……心……。
「僕に課せられた、動ける時間は後……どのくらいだ?」
黒影はセナに残された時間を問うた。
「此処に来てから約一日。……翌日には……消えてしまうわ」
セナは、小さな声で後半は怯え乍らも、答えた。
「一日で事件解決……。容易いな、僕には。其の代わり、忙しなく動くぞ。見失わない様に……行こう」
黒影はセナの怯えを見て、そう言って笑う。
「行くって、何処へ?」
セナは気を取り直し、黒影に聞いた。
「そんなの……」
黒影は其処迄言って、空を見上げた。
「そんなの?」
セナは不思議そうに首を傾げて聞く。
「新世界に来たら、先ずは冒険に決まっているじゃあないか」
黒影はそう言い切ると、少年の様に目を輝かせ、セナの手を引いて走り出す。
立つ者の生命力を奪うだけだった大地が、黒影を讃える様に光り、足跡の軌跡を刻んで行く。
絶望的な世界だからこそ、輝く物がある。
其れはまるで……光と影の様に……。
――――――
「……黒……影……」
……此処は!?
夢から覚めると、僕は何時もの天井を見上げて横になっていた。
身体中に酷い倦怠感と、四肢にジリジリと小さく焼け付く痺れを感じる。
夢の中では書いたのだ。
だが、現実に目覚めてみれば手に筆も紙も無い。
起き上がる事も出来ない僕は、大切な人の名を……声を振り絞って出す様に、二回程呼んだ。
もしも、隣の部屋にいたとしても届きはしない程、掠れた僅かな声。
辺りの物音を確認して行く……。
……そうだった。こんな時に……。
大切な人が、今日は買い出しに行くと言っていた事を思い出したのだ。
何たる事か。
此の儘何かの間違いでぽっくりいってしまうかも知れないと言う時に限って、紙と筆が無いなんてっ!!
創世神、一生の不覚!
ああ、失礼。脱線してしまった。
それにしても、変な夢を見ていた。
「もしかして、貴方……あの影が見えているんですか?」
と、外国の人か異星人にも見えなくも無い女が話し掛けてきた。
夢であるから、勝手な物で日本語ペラペラである。
「確かに影は見えるが……」
と、黒影とは全く別人の影が見えた事から、全ては始まるのだ。
黒影が何時も見えるぐらいなのだから、そんな「影属性?」の、何かも見える事もあるのだなぁ〜と、不思議ながらにも思った。
其の女は何故か、影共に追われているらしい。
此処は乗り掛かった沈没船……否、タイタニック……否、船。
夢だからして、乗っかるしかないのだが、其の迫り来る影の腕や足の強さと言ったら、とんでも無い!
僕の書く腕が、へし折れてしまいそうな程、剥がすだけでパンチの連打に、回し蹴り、跳び蹴り数回に、仕舞いには噛み付いてやっと……一時退散したのか、消える程なのだ。
女と逃げに逃げ、来る度に其の見知らぬ影と闘っていた。
軈て気付き始めたのだ。
夢なのに……何だ?……此の強い疲労感は……と。
ーーー🔶目次🔶
第一章 此の頁
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第三章
第四章
第五章
第五章🔗黒影紳士の世界「winter伯爵の忘れ物」より連鎖発動‼️
ー冬のほんわか系短編冒険ファンタジーー
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