「黒影紳士」season1-短編集🎩第一章 黒影
これが、総ての伝説と奇跡、長い長い物語の一番初め。
season2より約20年前に産まれたこの黒影紳士は、ネット小説ランキングで常にミステリー上位を走り続けた。当時、ミステリが少ないと言うのもあったかも知れないな。
まだ一人称が若いのだよ。笑ってしまうよ。
まぁ、それも総て20年の歩み。
そのままに残すので、そのまんまお楽しみ下さい。
🔸大連鎖発動‼️🔸
🔗3-1幕にて最終章が奇跡のコラボ連鎖。約20年後に事件がスッキリ解決❓
🔗season6と全体夏の大連鎖
ーseason6更新🆙までお待ち下さい。頑張って不定期ですが、ダッシュで移動中。
――第一章 黒影――
一、黒影
世は西洋の新しい文明が瞬く間に侵食してゆく中、古き日本の文化は妙な奇形を成し、共存していた。
街を見渡せば、着物と斬新な洋装が相成り…洋間に畳…一見不自然に感じられるが、戦後を向かえ、時代は急速に変化へ向け流れるのであった。
そんな街に一人の絵描きがいた。
名前は黒田勲(くろだ いさお)。特に目立つでもなく、その名の通りひっそりと、影のように暮らしていた。
彼の描く絵は決まって人影だけ。そのシンプルでいてそこはかとなく陰を思わせる画風には、誰も関心する者もおらず、それどころか変り者だと近寄る者も少なかった。しかし、彼はある事でその名を広げる事となる。
彼は数々の事件を自らの頭脳で解明し、その被害者の死体を影絵として描く。
誰もが気味悪がって、そのあまりにリアルな影絵を欲しがりこそはしなかったが、その類まれなる才能から彼は“黒影”と呼ばれた。
その黒影たる人物の姿もまた、影のように真っ黒な紳士の衣装を纏い、まるで犯罪者のようでもある。
噂には、彼自身が犯罪を侵し、それをさも自らが解決したように思わせ、それを影絵にしているという悪評もたった。
しかし、彼はまだ数えで二十三。それ相応の若さと美貌と優れた頭脳を持っていた事もあり、多少のやっかみもあったと言えよう。
彼はある日、影絵を仕上げた。
黒影が一心不乱に描き上げると、その枚数は全部で五枚。生きているかのようにも見える、奇怪な死体像が五体そこにはあった。
黒影は一人…この己の描いた絵の前で立ち尽くし考えていた。
これは一部の者しか知らなかった話ではあるが、黒影の描く絵には、これから起こる事件の被害者が描かれていた。彼は事件の預言者ともいえよう。しかし、それを隠していたのは、当然の如く、黒影自身が犯人だという誤解を避ける為だった。黒影は犯罪捜査に協力するために、影絵を描くと何時もそれを警察に届け、影絵が浮かんだ時のビジョンを鮮明に伝えた。
彼の傍らには小学生程の小さな女の子が何時もいて、その少女が黒影の影絵を警察に運ぶ。
その少女もまた、黒影と同じくして妙な能力を持っていた。
その少女は眠りにつくと、犯罪行為そのものを夢として見る事は出来たが、黒影のように犯人像までは見る事が出来ない。
勿論、幼いその身を庇ってか、警察も少女の能力については内密にしている。
一部の警察の者は、少女の事を眠る白雪姫に例えて、“白雪”と呼んでいた。
白雪は物心がついた頃、警察署の前に捨てられていた。恐らく白雪の能力を知った両親が気味悪がったのだろう。
人と違う事によって、懸念されていた黒影と白雪は、自然と兄弟のように心を打ち解け合い、今では共に暮らしているというわけだ。
勿論、その日も白雪は黒影の描き上げた五枚の影絵を警察署に持って行った。白雪の小さな体では少しばかり多い荷物だった。
まだ薄っすら道に霜が白く残る、冬の寒い夜…白雪は両手で影絵をしかと抱きしめ、何時もの道を急いだ。暫く走ると、白雪を呼ぶ声が白雪の後ろから聞こえてきた。
白雪が振り向くと、そこには夜に溶け込みそうな黒い影。
「悪かった…。私が行こう…。」
そこにいたのは、他でもない黒影だった。
何気なく奪うように、白雪から黒影は影絵を取り上げ、白雪の前をつかつかと進んで行く。
白雪は慌ててそんな黒影の後を追って共に歩いた。
黒影が肩で息をしているのを感じながら。
黒影が心配して慌てて来てくれた事を悟った白雪は少しだけ嬉しくて…、何も言わずに微笑んでいた。
そんな時だった…。黒影が突然歩みを止め、白雪も急な事だったので少し前を歩いていた黒影の背中に顔を沈める。
「どうしたの?」
白雪が黒影を見上げると、黒影の目線のずっと先には、まるで黒影のように闇に溶け込む何者かの姿があり、白雪は黒影に聞いた。黒影は、
「あの影…。何処かで見たような…。」
そう、溢すように言うと、
「気のせいだ。先を急ごう。」
そう、白雪に言った。
警察署前に二人が到着すると、一人の男が出迎えた。
風柳(かざやなぎ)警部だ。警部と言っても、その手柄は殆ど黒影でもあったのだから、彼は特段黒影にとっては低の低い人物である。
「今日は連続殺人。そっちに情報はもう入っているのか?」
風柳は黒影の質問に、
「いや…それかどうかはわからないが…。丁度一時間前ほどに死体があがっている。連続かぁ~…こりゃあ、厄介な事になりそうだ。
…で、今日は幾らだ?」
と、言った。風柳が幾らというのは、影絵の事だ。当然、黒影と白雪も生活する以上は金が入りようだ。しかし、黒影の影絵はその薄気味悪さから売れないわけだ。
そこで、情報を渡すかわりに黒影はこの風柳を通じて警察に影絵を売るという仕組みだ。
風柳もおかげで事件を解決出来るのだから、お互いに悪い話ではない。
風柳は、何時ものように黒影の影絵を買い取ると、その影絵を早速しかと見てこう呟いた。
「なんだ、こりゃ。随分綺麗な仏さんだなぁ~。これでは、どれが何番目の被害者かもわからんじゃないか。」
と、言って風柳が肩を落とす姿を見た黒影は、
「確かに、綺麗な死体に違いないがどれも同じ殺され方とは限らない。水死体若しくは、絞殺か毒殺…このやせ細ったのは、多分焼死体だろう…。…で、一時間前の仏は、どんな殺され方したんだ?」
と風柳に言ったが、風柳はその返事をするわけでもなく、
「まぁ…兎に角、ここではまずい。中(警察署)に入って話そう。」
そう言うなり、なにやらコソコソと人に見つからないように、二人を中へ招いた。
「今日は随分、警戒してるのね。」
白雪は風柳の案内で、警察署内の廊下を歩く最中、何気なく聞いた。
風柳は、
「言いにくいのだが…一時間前の事件だがな…」
そこまで言いかけたのに、言葉を濁すではないか。そこで黒影は、
「何だ、言えよ。…犯人像が私とそっくりとでも言いたそうだな。」
と、風柳に言うとにやりと笑った。
「何で…見たのか?」
風柳は図星をつかれたようで、驚きながらもそう言った。そして、
「俺は信じてなんかいないさ。けど、犯人を見た目撃者の言う犯人の風貌がお前そっくりだからな。この署内でも、とうとうお前がやっちまったんだと噂する輩も出てきた。」
と付け足した。
「悪評には慣れているよ。…それより、ここに来る途中で私そっくりの人影を見た。しかしながら、こんな夜中。実際に私のように黒い服を纏っていたかは定かではない。
大体、こんな視界の悪い時間に、誰だってシルクハットを被った背の近い紳士風情の男を見たら、私だと思うものだ。特に私は、如何にも疑わしい人物だと悪名高いからな。それよりもっと詳しい話を聞かせてくれないか。」
黒影は何時もの自分の悪評に特に気を悪くする事もなく、淡々とそう言うと本題に入ろうとした。
「黒影は、悪い人じゃないわ。」
白雪が黒影の気を察してか、そう言って風柳を睨む。風柳は、そんな白雪の頭を軽く撫でると、
「俺だってそのくらいは知っているよ。」
そう言って笑った。そして、
「ここが一番安全なんでな。気を悪くしないでくれ。さて…早速、さっきの事件の話しだ。」
そう言いながら風柳は、黒影と白雪を取り調べ室に招き入れるなり言い出した。
黒影と白雪が椅子に座った事を確認するなり風柳は、
「現場はここから遠くはない。害者は二丁目の武田十蔵(だけだ じゅうぞう)。六十九歳のじいさまだ。殺された場所は、同じ二丁目にある十蔵の所有する二つの持ち家のうちの一つ。普段はそこには帰らず、趣味のコレクションを飾るのに使っていたらしい。
家族によると、十蔵は何時も別宅に寄る際は、絶対と言っていい程家族に伝えたらしいが、この日は別宅に帰る事は誰にも言わなかったらしい。
死因は恐らく溺死…だろうな。元から十蔵は歳の所為もあって痩せていたが、異常な程の水分を体内に含んで、かなり体が膨張していた。」
と、説明をすると黒影は先程風柳に売った五枚の影絵を再び自分の手に取り、まじまじと見つめ、
「では、どれが十蔵かわからないのか。大量の水を含んでいるならば、腹の出具合がわかればいいんだが、この影絵はどれも仰向けだ。
しかし…どの影絵を描いている時も、水のビジョンなど見なかった。今回は私よりも、白雪に頼んだ方がよさそうだな。」
と言った。確かに今回のこの殺風景にも思える、何のヒントも見られない五枚の影絵からは、特に前もって得られる知識は限りなく少ないようにも思える。
風柳は、
「そうだな…。しかし、十蔵の体内の水は何だろうか?海水や川の水でもなさそうだ。家の中で風呂か何処かで溺れさせられたのだろうか?
それにしても、お前に水のビジョンが読めなかったなんて…この事件と、お前の指す五人の連続殺人は違う事件なのか?」
と、頭を掻きながら黒影に聞いたが、黒影は、
「多分、同じ事件だとは思うのだが…。
兎に角、考えても仕方ない。百聞は一見にしかずだ。白雪の今夜の夢を楽しみに待とうではないか。」
と、気楽そうに言うだけであった。
黒影が何時もと違って、妙に機嫌が良さそうだと思いながら、風柳は白雪を見ると、そこには既に何時の間にかうとうとと眠り扱けている白雪の愛らしい寝顔があった。
風柳が時計を見ると既に針が夜中の一時を差していた。まだ幼い白雪には、随分長い夜だったに違いない。
風柳は急いで、黒影と白雪の二人を帰した。
警察署の前でこれから起こるであろう事件の事を思いながら、白雪をおぶり揺れる影が闇に溶け込むまで見送った。
家に帰った黒影は、白雪を横に寝かせ、何時もより多めの毛布を白雪に掛けた。
白雪は夢の中で、犯人になる。犯人の視界で犯行を見届けるからこそ、犯人の姿だけは見る事が出来なかったのだ。
目撃者の話によると恐らく犯行時間は夜九時から十時の間。
黒影は白雪が、寒い想いをするのではないかとそうしたのだ。
まだ幼い白雪が、残酷にも人を殺す夢を見る。
白雪が黒影と住み始めた頃は、そんな悪夢に何度か夜中に目を覚ましては、震えて泣いていた。黒影にとっては、白雪は黒影自身の幼かった頃の姿そのものだったのかも知れない。
黒影は何時ものようにテーブルに黒のシルクハットとロングコートを置くと、ソファーで眠りについた。
白雪に気を遣っているわけでもないが、黒影は元から睡眠時間が少なかった。影絵が浮かぶと、夜中だろうと起きて、黒一色で染まった筆を持ち影絵を描いていた。黒影なりに、白雪の浅い眠りを妨げない為の配慮だった。
翌朝、白雪が目覚めると指先が冷たい感覚に襲われた。
昨晩見た夢を黒影に話そうと、何時も黒影の眠っているソファーに足を運んだが黒影の姿はない。白雪は、体を温める為に慣れた手つきで珈琲を入れる。
「私にも、一杯作って欲しいんだが…。」
白雪が、振り向くと帰宅した黒影の姿があった。
「お帰りなさい。」
白雪は、黒影が何処に行っていたのか聞く事もなく、黒影の分の珈琲を入れた。黒影が出掛ける時は、決まって事件の用事だった。
白雪も同行したいのが本音だったが、黒影は白雪がついて行くとあまりいい顔をしない。
白雪にはその理由を知っていた。
犯罪に巻き込みたくない…そう、昔に言っていた。
黒影には、元から身寄りなんてない。幼い時に、黒影の両親は家ごと放火魔に焼かれ、外出していた黒影だけが生き残った。
黒影が影絵を描くようになったのは、その時に両親が黒い灰のようになった姿を見てからだった。
しかし、白雪にはどんな親だろうときっと何処かに両親がいる。だから黒影は、何時か白雪の両親が見つかったら、何時でも戻れるようにと白雪には言って聞かせていた。だからこそ、黒影は白雪を誰よりも大事に育てている。
その気持ちが白雪にも痛い程分かるから…白雪はあえて、黒影が何処に行っていたのか聞かないでいたのだ。
「見たのか…?」
黒影は、白雪の作った珈琲を一口口にすると、白雪に聞いた。白雪は小さく、一つ頷いた。
「…今日、犯人が残した面白いものが見つかった。何だと思う?」
黒影が出掛けていた事について口にするのは珍しい。だから、白雪はその言葉を聞くなり、目を輝かせて次の言葉を待った。
「影絵だよ。」
黒影は、再び珈琲を口にすると楽しそうにそう、白雪に答えを教えた。
「影絵?」
白雪は思わず聞き返した。
「そう…。次の犯行予告。次の被害者の死ぬ姿が影絵に描かれている。私の描いた影絵とそっくりだった。」
黒影は楽しそうにそう言ったが、白雪は黒影が心配だった。
「じゃあ…黒影が、疑われちゃうの?」
白雪が、心配そうに俯いてそう言うと、黒影は
「心配するな。これは挑戦状だ。黒影の偽者探し…実に面白そうじゃないか。それとも、白雪は私が犯人の方が楽しいか?」
と冗談を言う。白雪は慌てて首を横に何度も振った。黒影は、その姿を見て笑っている。
黒影は、白雪が夢の話をする前に、何時も話を逸らせる。黒影自身、本当は白雪に悪い夢を見せている事に気が引けていたようだ。
「あのね…。水じゃなかった。」
白雪が夢の話を始めると黒影は、
「やっぱり…。氷だろう?そのぎこちない指先を見れば一目瞭然だ。」
と言った。白雪は夢を見ると、犯人とまったく同じ感覚を受ける。
白雪が珈琲カップを持つ手が何時もよりぎこちなかった事に黒影は気づいていた。
「尋常じゃないな…。遺体の両手両足には縛られた跡があった。生きたまま氷をたらふく食わせて殺したのか。…恐らく窒息死した後も強引に氷を詰めたんだろう。口の周りには凍傷らしきものも見つかった。」
黒影はそう言うと、また暫し考えているようだった。白雪は、
「次の犯行の事、考えているの?」
と、そんな黒影に聞いた。
黒影は、ああと答えただけで沈黙を続けて考えているようだった。
「次はどの影絵?」
白雪は、黙っている黒影に痺れを切らしてそう聞く。
「痩せこけた死体だ。流石に、あんな骨と皮のような遺体だ…何時見つかるかもわかったものじゃない。次の犯行を阻止するのは至難の技だな…。」
黒影のその言葉を聞くと、白雪はがっかりして首を項垂れた。幾ら未来が見えても、それを止められなければ結果は変らないのだ。
黒影は、さり気なく珈琲カップを片手に窓から外を見た。そして、白雪に、
「一人、邪魔者をここに入れてやっても良いか。」
と、唐突に言った。白雪が黒影の顔を覗き込むと、その表情は少し怒っているようにも伺えた。
黒影は急に、窓をがらんと開けたかと思うと、外に向かってこう怒鳴った。
「おいっ!下手な尾行してないで、さっさと上がれっ!」
と。すると、窓から見て向かいの家の影から風柳が申し訳なさそうに、ひょっこりと顔を出したではないか。
風柳は家に上がり、白雪が持ってきた珈琲を片手にこう切り出した。
「悪かった。只、影絵といい…お前が犯人の事に触れない事といい、お前を容疑者から外す事は出来ないんだ。こっちの立場ってやつもあるんだ。」
その言い訳じみた説明を聞くと、流石に黒影も気を悪くしたかと思ったが、そうでもなかった。
「犯人像は影で見たよ。君の予想しているであろう通り、私とよく似ている。確かに、目撃者の言った通りだが、変装の恐れも有る。シルクハットまで被っていたから男か女かすらも定かではない。だが、君が疑う理由もわからなくもない。しかし、言っておくが多分これは、私への挑戦状だ。これからあと四件の事件の間、君がいれば逆に私のアリバイが立証される。寒い所にずっと立っているのでは辛かろう。ここは協力という事にしようじゃないか。」
と、逆に黒影が提案する始末だ。
風柳が申し訳なさそうに珈琲を口にしたのも束の間だった。一人の男が勝手に家に上がり込んで風柳にこう言った。
「また、死体が出ましたっ!」
風柳はその男の言葉にえらく動揺していたが、直ぐに気を落ち着かせて、
「馬鹿っ!勝手に上がり込むんじゃないっ!それより、ここにいた事は秘密だぞ…。」
と、その男に注意した。そして風柳は、
「いや、悪かった。平岡巡査だ。この近辺の巡回をしていて詳しいから、今回の事件にも参加させているんだ。」
と、黒影に平岡を紹介した。
「あっ…失礼しました。貴方が…あの…」
平岡の言葉に、黒影はにっこりと笑みを浮かべて、
「黒影…と、言った方が早そうですねっ。」
と、言う。
平岡は黒影に一礼すると、事件の起きた場所に黒影と風柳を案内した。
事件現場は昨日の武田十蔵氏が殺された場所からは二十キロ程西に離れた場所にあった。
殺害は見るからに、その現場にあるゴミ焼却炉で行われたであろう事は発見された焼死体が物語っていた。
黒影や十蔵殺しの犯人が描いたであろう影絵のように、その姿は黒く、骨と皮そのもので、横たわっている体勢も影絵そのものだった。
「予告通り…か…。」
風柳はその遺体を見るなり、そう小さく口から漏らしたかと思うと、防げなかった悔しさからか、焼却炉を足蹴にした。しかし、そんな風柳とは裏腹に、黒影は自分への疑いが更に増したというのに冷静そのもので、遺体をまじまじと見つめ、腕を組んだまま何やら考えているようだ。
「お前、このまま黙ってていいのかっ!」
八つ当たるかのように、風柳が黒影に言ったが、黒影は、
「何か…この遺体、違う気がする。」
そう、ぼそりと言うだけだった。その言葉に風柳も遺体をじっと観察したものの、何の事だか皆目検討がつかない。
「これでは犯行時刻も身元もわからないな。」
風柳が、残念そうに遺体を見つめながら言った。すると、それを聞いていた平岡が、
「犯行時刻なら、わかりました。」
と風柳に遠慮がちに言う。風柳は、ここぞとばかりに食いついて、平岡から詳しい話を聞き出した。
平岡が言うには、普段使われていなかったこの殺害現場にある焼却炉が、昨晩の9時頃煙を上げていたのを近所の老婆が目撃したという。
そして焼却炉の裏には、被害者の物であろう荷物があり、荷物の中身から加賀谷次郎(かがや じろう)という名の人物の物だと特定された。
8時過ぎに、加賀谷次郎がこの焼却炉に向かっているのを、平岡自身も巡回中に目撃している。
この事から、被害者は加賀谷次郎であり、犯行時刻は9時前後と言って間違いはないだろう。
「では、加賀谷次郎と武田十蔵はほぼ同じ時間に殺害されたという事か?」
風柳が、平岡の言葉を聞くなり平岡にそう聞いた。それもその筈、武田十蔵と加賀谷次郎の犯行現場は、約二十キロも離れている。
これが確かだとすれば、同一犯の犯行とはとても思えない。
「君は昨日の夜、武田十蔵の捜査には関わっていなかったのかね?」
黒影が平岡に聞いた。平岡は、
「ええ、確かに捜査には加わりましたが、私が呼びつけられたのは武田十蔵の死体が見つかった9時少し前で…その前は何時ものようにこの近辺の巡回をしていました。」
と答える。黒影は、平岡にありがとうと一言言うと無言のまま、白い大きな布を被せられた、加賀谷次郎の遺体を凝視していた。
「本当に、連続犯の仕業なのかね?」
風柳は思わず黒影にそう聞いたが、黒影はそれには答えず、
「何故…犯人は、被害者の身元が分かるものをわざわざここに残したんだろうか。大体、犯人が燃やす理由があったとすれば、身元を隠す為というケースが多いものだが…。」
風柳も、黒影の言葉に思わず加賀谷次郎の死体を見つめた。
事件は益々謎が深まるばかりである。
「また、見つかりましたっ!」
考え込む黒影と風柳の背後からそんな言葉が突然響いた。黒影が振り向くと、その声の主は十人程いた鑑識の中の一人のものだった。
黒影は速やかに風柳と共に、その声がした方向へと向かった。
「何が出たんだ。」
風柳はその人物のところへ辿りつくと、すぐさまそう聞いた。その鑑識の人物は何も答えなかったが、そろりと焼却炉の中から一枚の紙を拾い上げ、それを風柳に見せた。
「何だ?」
風柳の後ろにいた黒影にはそれが何か見えなかったようで、黒影は風柳にそう聞いたが、返事が返ってこない。仕方なく、黒影は風柳の肩を押し除けその紙を確認した。そこには、武田十蔵の時と同じく影絵が描かれている。
和服を着た男性の影絵だった。
風柳と平岡は思わず、黒影の顔を伺った。
「妙だな…。私に罪を擦り付けているようにも思えたが、もし私が犯人ならばわざと犯行時間をずらすものだが…。」
と黒影は言ったが、その場にいた誰もが心の中で逆に黒影を疑っていた。
黒影は今まで多くの事件に携わってきた。だからこそ、同時殺人も可能ではないだろうか…そう思ったからだ。
黒影は、思っている事が素直に顔に出る風柳の表情から、自分に更に疑いがかかっている事を悟る。
「そうか…。いいじゃないか、この挑戦…受けて立とう。」
そう言うなり、黒影は手にしていた帽子を頭に被り、黒いロングコートを翻すとその場を去った。
「何処へ行くんだ。」
黒影が去って行く後ろ姿に、風柳が聞いた。
「白雪の入れた珈琲が飲みたくなってな。…お前も来るんだろう?」
黒影はそう言って、風柳に笑みを浮かべるだけだった。
黒影が家路に着くと、帰りを待っていた白雪が慌てて二人を出迎えた。
「遅かったじゃない。」
と、少しだけ怒っている様子も伺えた。
居間で三人は珈琲を片手に、今日の話をする。
ご立腹な白雪を宥めたと言った方が良いだろうか。
「殺された二人の共通点はまだ見つからないの?」
白雪は風柳にそう聞いた。風柳は無言で首を横に振る。
「夜が明けたら、武田十蔵が殺害された日に、犯人を見たという目撃者に会いたいんだが…。」
それまでずっと、一人黙って珈琲を飲みながら風柳と白雪のやりとりを聞いていた黒影が提案した。風柳は、
「会わせてやりたいところだか…。今は動かない方が良いんじゃないのか?」
と警戒して色良い返事を出さない。そして、
「それにまだ詳しい事はあまり話していない。丁度今頃、二度目の事情聴取を受けている頃だろう…」
とも言った。
黒影はそうかと言ったきりで、特にがっかりした様子でもなかった。それよりも、何かに思考を奪われているのだろう。風柳は、ふと気がついたように手を軽く叩いて、
「まだ、加賀谷次郎の死体の事を考えてるのか?」
と、黒影に聞いたが返事は返ってこない。
しかし、黒影は事件の事を考えてる時、何も話さなくなる事がしばしばあったものだから風柳は気にしなかった。
白雪もそんな黒影の事は承知していたので、風柳に二杯目の珈琲を無言で差し出す。
…丁度、その二杯目の珈琲に風柳が口を付けようとしたその時だった。
黒影が急に思い立ったようにソファーから立ち上がった。その唐突さに、風柳も思わず珈琲を零し、白雪も目を丸くする。
「しまった…私とした事が!」
黒影は立ち上がると血相をかいてそう言った。
「なっ、何?」
白雪は何時もと違う黒影の慌てぶりに思わず反応して聞く。
「着物だっ!…風柳さん、着物を来た人物だよっ!」
と、黒影は白雪の問いには答えず風柳に質問をしたが、風柳は何の事だか検討もつかず、ただ押し迫る黒影の顔を漠然と見上げる。
「ゆっくりしている場合ではないよ。犯人はきっと白雪の能力を知っている。武田十蔵といい、加賀谷次郎といい、同時に殺害したのは僕への挑戦だと思っていた。しかし、犯人は影絵を現場に置いて連続殺人を予告している。連続殺人であるのに、わざわざ武田十蔵と加賀谷次郎は一見同一犯の仕業ではないように思わせたその理由…。
それは只一つ。別人の犯行だと思わせたのではない…犯人には時間がないのだ。白雪が今夜眠れば2つの事件の真相が明らかになる。
加賀谷と武田が何で繋がっていたか…それを気付かれるのを避けていると推測した方が自然だ。
だからこそ、今日中に第三の事件は起きる。
被害者は和服を着た、既に死んだ二人をよく知る人物だ!」
黒影が一気にそう言い終えた時、既に黒影は帽子とコートを身に纏っていた。
「…私?」
白雪は自分を知る人物が犯人だと知って、よほど驚いたのかそう呟くと、呆然と遠い目をして立ち尽くす。黒影は急ぎながらも、そんな白雪を心配してか白雪の頭を撫でながら、
「白雪は大人しく家にいなさい。何時も眠る時間には必ず戻ってくる。…大丈夫だ。」
と、言い残して風柳と共に家を後にした。
白雪はまだ呆然とした頭で、何時ものように黒影にいってらっしゃいと小さな声で言った。
ずっと一人でほとんど誰にも知られず、黒影よりももっと影のように生きてきた白雪を知っている人物がいるとは意外だった。
白雪はずっと思っていた。
もし、そんな人がいたのならきっと…。
白雪はその人物がどうしても知りたくて、何時も急な事件の時で黒影が許さない限りは飲む事のなかった睡眠薬を飲み、深い眠りについたのだった。
「しかし、和服だけでは手がかりが少なすぎる…。それに今日中になんて到底無理という話だ。今はこんな御時世だ。洋装を着る人ばかりで、和装する者など、年寄りか役者ぐらいだろう…。」
風柳は、そんな愚痴と取れる意見を黒影に言った。
「何を情けない…。だからこそ、見つかりやすいんだろう。」
黒影は呆れ半分に、武田十蔵と加賀谷次郎の資料を広げた。二人既に、警察署に着いていた。二人が頭を抱えながら、資料と戦っている時だ。
「あの…。」
平岡が軽いノックをすると、二人のいた部屋に入ってきた。
「何だ。こっちはこれでも忙しいんだ。お前も少しでも手伝う気があるんだったら、さっさと目撃者から情報を少しでも聞き出してこいっ!」
相変わらずおどおどしていた平岡の態度に、風柳は一括するように言う。
「それが…まだ来ないんですよ。」
平岡は小さく体を縮ませながらも答える。
「何…目撃者の桜木隆(さくらぎ りゅう)がか?」
風柳は思わず平岡に聞いたが、その返事を待つ間もなく突然、
「あぁ~っ!!いたっ!いたよ、黒影君っ!!」
と、思い立ったように叫んだ。そして、何事かと思わずシルクハットをぎゅっと握った黒影に、こう付け足した。
「武田十蔵の事件の目撃者…桜木隆は日本舞踊を教えているっ!」
そう風柳が言い終わると間もなく黒影は、
「何処だっ!案内したまえっ!」
そう平岡に慌てて詰め寄った。
「遅かったか…。」
三人が桜木隆の家へつくと、家の者から稽古場にいると聞きつけ、早速家の者が案内した離れの稽古場へと向かった。
黒影が放った言葉の通り、そこには横たわる桜木の姿があった。
案内した、桜木隆の妻も気が気ではない。
「これでは落ち着くまでは、何も聞き出せないな…。」
風柳は、そんな桜木の妻を見て黒影に耳打ちする。しかし、当の黒影はそんな言葉も聞こえないようだ。
また、考え込んでしまったのであろうと風柳は思ったが、平岡は屈み込んだまま止まっている黒影を見て具合でも悪いのかと、
「どうしたんですか?」
と、声を掛ける。それでもやはり、黒影の言葉は返ってこなかった。
そんな平岡の言葉を聞いていた風柳は、黒影の事が気になって屈み込んだ黒影の前方を伺う。
「…それは…まさかっ!!」
風柳は、黒影の手にしていたものを見て愕然と言った。そして、間もなく黒影は絶望的とも聞こえる小さな声で、
「…白雪に…見えるか?…」
そう、風柳に聞いたのである。
それもその筈、黒影が手にしていたものは、今までと同様殺害現場から必ずと言ってもいい程発見されていた次の殺害予告の影絵である。しかし、今回だけは黒影の透視した影絵とは違った。明らかにそれは小さな小学生ぐらいの女の子だった。
黒影が動揺しているのも無理はなかった。
丁度その頃、黒影の心配も知らずに白雪は武田十蔵が殺された夢の世界を彷徨っていた。
夢は殺害した場面からではなく、何やら二人の男が話している場面から始まった。
一人の男は白雪にも影だけだったが誰だか理解出来た。
一番初めに殺害された、あの武田十蔵である。
そしてもう一人はというと、その人物は白雪の視界と同調し、見る事は出来ない。
仕方なく、白雪は見知らぬ男の体に入った自分の手を見つめる。そこには、一冊のノートがあった。そして、白雪と同調していた男は武田に言った。
「やっぱりお前だったのか…。自分の子供を俺に押し付けるなんてな…。」
…と。その見知らぬ男の感情が白雪にも感じられる。憎しみに似た憎悪だった。
「ちっ、違う!白雪はあんたの子だっ!」
武田はその見知らぬ男の殺意を感じてか、慌てて両手をばたつかせて否定した。しかし、その男の憎悪は膨れ上がるばかりであった。
「この日記に書いてあるっ!」
そう男が言うなり、手にしていたノートを武田の胸元に投げつけた。武田は恐る恐る、震える手でその男から渡されたノートを開き、必死で読んだ。そして…
「まさか…。しかし、私は知らなかった。確かに加奈子さんとは一度だけ、しかも随分昔にそういう関係にはなっていたが、私が海外へ行く時、僕らはちゃんと縁を切ったのです。加奈子さんからこんな話を一度たりとも聞いた事はなかった。」
白雪は武田十蔵が本当の父親だとこの時知ったが、犯人の男に同調している為に、その父の姿を抱きしめる事もなければ、憎悪だけが満ちていた。悲しくも己の実の父親を殺すと、そこで夢が止まり真っ暗な世界となった。
再び夢が始まったかと思うと、白雪はまた誰かと同調しているらしく、一人の着物を着た男性と会話していた。
「悪いな…こんな時に…。」
白雪が同調する人物もその発した言葉を聞くと、男性のようだ。
「構わんよ…。それより話って何かね。加賀谷さんが私に相談など、珍しい事もあったものだ。」
着物を着た男性がそう言ってくるなり、白雪はドキッとした。今度は自分が殺される役になるのだろうと感じたからだ。
白雪が同調していたのは殺された加賀谷次郎だった。するとこれは、加賀谷が殺される前の記憶だろうと、白雪は直感した。
「他に言える相手もいなかったので、すまないな。面と向かって話すには気が引ける。どうかそのまま、稽古を続けてくれ。」
加賀谷がそう言うと、着物の男は煌びやかな舞を見せた。
暫くして加賀谷は言った。
「どうも最近、幸枝(ゆきえ)は私と加奈子の子ではない気がしてな…。」
と。それを聞くなり着物の男は舞を止めて、
「何を言い出すかと思えば、加賀谷さん。そんな事、滅多に思うものではないよ。それに…何か確かな証拠でもあっての事かね。」
慌てた仕草で加賀谷に聞いた。加賀谷は、
「それがな…最近、加奈子がまるで隠すようにしまい込んでいた日記のようなものを偶然見つけてしまったのだよ。
それを持って、軽い気持ちでこれは何だと問い詰めると、加奈子は何も言わなかった。
情けない事に、私はその日記を読む事も恐ろしく…しかしながら疑いは膨らみ、情けない事か幸枝と加奈子に暴力で当たってしまった。」
と答えると着物の男は、
「何だってそんな事を…。で、今加奈子さんと幸枝ちゃんはどうしているんだね?」
と、加賀谷に問い詰めた。加賀谷はぼろりと、
「幸恵は数日前、私が家に帰ったら姿がなかった。私がどうしたのかと加奈子に聞くと、私から守るために私の知らない何処かにやったと言った。私はその日…本当は真実を加奈子から聞こうと心を決めていた。
しかし、それを聞いて私は頭に血が上ってしまったのだ。そして…気がついたら加奈子までもいなくなっていた。」
と、着物の男に言った。白雪は加賀谷の切なさを感じていた。一粒の涙がほろり…加賀谷の頬をつたう。
「白雪っ!!!」
突然、白雪の夢の中にそんな自分を呼ぶ大きな声が降ってきた。白雪がその声に目を覚ますと、そこには肩で大きく息をしている黒影の姿があった。
「お帰りなさい…」
白雪は何時ものように、夢の後の所為か、呆然と言った。黒影は何も返す言葉もなく、白雪の体ともう離れなくなってしまうのではないかと白雪が思う程、きつく抱きしめた。
「…よかった…。」
黒影は暫くそのままでいたが、そう安堵の表情を見せた。
「一体、何なの?風柳さん…どういう事?」
白雪は黒影の肩ごしに、黒影の後方にいた風柳に聞いた。
「さぁ~ねぇ~。」
黒影がちらりと風柳を睨むと、風柳はそう言ってはぐらかした。
白雪は大きな溜息を一つつくと、大きな黒影の体をそっとどかして、何時ものように珈琲を入れようと台所に向かう。
「寝てたのか?」
急に、そんな白雪の腕を掴んだ黒影が聞いてきた。白雪は勝手に睡眠薬を飲んだ事で怒られるのだろうと固まった。けれど今日の黒影は少し何時もと違うようだ。白雪の頬に残った涙の後をなぞると、
「まぁ…いい。後で話を聞こう。」
そう言って優しく微笑むと、白雪の腕をそっと離した。
「あのね…私の本名、幸枝って言うの。」
白雪はリビングのソファーに腰掛けている黒影と風柳に言った。幸枝はそう言うと、自分の分の珈琲を手に、空いているソファーに座った。
「…やっぱり…。」
黒影がぼやくようにそう言うと、風柳は、
「何だ?」
と聞く。
「武田十蔵か…加賀谷次郎…どっちが白雪のお父さんだったんだい?」
黒影は風柳の問いには答えず、白雪に聞いた。
「武田十蔵。…加賀谷次郎は私を育てた義理のお父さん。」
と、白雪はどこか悲し気にそう答えた。それを聞いていた風柳は、
「…では、今度から幸枝ちゃんと呼んだ方がいいかな?」
と、その場の重い空気を読んで苦笑いして言うではないか。白雪は、
「ゆきは合ってるんだから、そのまま白雪でいい。…あだ名だと思えば気にならないわ。
それより、今までと違う呼ばれ方した方が不自然だもの。」
と、風柳に返した。
黒影は何も言わなかったが、それもそうだと言わんばかりに、一度大きく頷くと珈琲を口にした。それから白雪は自分の見た夢を二人に話す。
「後二人って誰だろう…。」
白雪は夢の話が終わると、そう言った。黒影は白雪にばれないように上手くはぐらかし、
「さぁな…。」
と、軽く何時ものように相槌らしい返事をしただけだ。黒影も風柳も、本当はこう予測していた。次は白雪…。そして最後は黒影であろう事を…。
三人でどのくらい事件の事について話しただろうか…。壁にある大きな掛け時計がぼ~んと12時を知らせる大きな音を立てた。
「私…そろそろ眠くなっちゃった…。」
白雪がそう言って二階へ上がろうとしたが、黒影は
「そうだ、悪いがもう一杯珈琲を頼む。今度は少し苦めのにしてくれ。それと…他にも夢の事について気にかかる点がある。話を聞きたいんだが…。」
と、白雪を止める。白雪は少し目を閉じていたかと思うと、ゆっくり黒影の方を振り向き、
「珈琲は作るわ。黒影…寝たくないんでしょう?私にも眠って欲しくない。…私、知ってるわ。次の犠牲者になるのは私でしょう?」
驚く素振りこそしないが、黒影は驚くと行動がすべて止まる。それを見ただけで、白雪は自分の予感が当たっていたのだと知った。
「良いわ…ここで寝るから。それなら良いでしょう?」
白雪は止まっている黒影に、怒った口調でそう言うなり、ソファーで横になる。
黒影は深い溜息をつくと、白雪が上がる筈だった階段を駆け上がり、二階から毛布を持って降りて来た。
「出来の良い子を持つと大変ですな。」
黒影が白雪に毛布を掛ける様を見ていた風柳は茶化すように、笑ってそう言った。黒影も白雪の眠るソファーの横に落ち着くと疲れを解すように、ネクタイを緩め、懐中時計を胸ポケットから取り出してテーブルに投げた。
黒影は白雪が殺される姿など、例え影であっても見たくはなく、必死で眠気を堪える。
その間にも、風柳はさっさと眠りについた。
今夜は長くなりそうだ…そう、黒影は風柳の鼾をかいて寝る姿に思うのだった。
黒影は眠らない為にも、黙々と一人、一連の事件の事について考える。黒影自身が書いた、まるで直立不動のように横たわる上向きに殺された四人目の死体の事を。
何故、犯人はここまで黒影の影絵を模写したかのように描いていたのに、突然四枚目からそれが変わるのか…不自然な点だらけだった。
犯人は単純に、殺した後に自ら殺した死体を描写し影絵を作成したのだろうか。だとしたら何時、それを現場に残す時間があったのだろう。殺した後に何処かに隠れて描いても時間はかかる筈だ。
元から書いていて、それに死体の位置を合わせたと考えた方が自然だろう。
…そこまで黒影が考えた時だった。
黒影は考えながら呆然とテーブルに捨て置いた懐中時計を眺めていた。しかしながらどうもおかしい。
黒影はすっかり眠くなっていたし、壁の柱時計も鳴ったものだから今が夜の12時過ぎだと思っていた。しかし、懐中時計はまだ11時58分。まだ12時を過ぎてはいない。
今日は出かけたり考えたり…だから疲れていたのか…そう、黒影は思ったが、その考えは直ぐに違うと気づいた。
きっと、時計が壊れたのか螺子が緩んできたのであろうと思い直したのだ。
そう思った黒影は壁の大きな柱時計に近づき、時刻を合わせようとする。すると、柱時計を見ると振り子の奥に何やら影が見えるではないか。
黒影はそれが何か確認すると直ぐさま風柳を起こそうと、眠っていた風柳の肩を揺らしながら小声で、
「起きて下さい、風柳さん。」
と二、三回繰り返す。ようやく起きた風柳は、
「一体なんだ。」
そう、大きな声で黒影に言ったが、黒影は
「しっ!」
と、強くだが小さく言うなり、静かにと言いたかったようで、人差し指を唇に当てる。
しかし、黒影が寝ていて欲しかった人物…白雪は、その二人の声で、
「どうしたの?」
と、目をこすっているものの、起きてしまったようだった。
「第四の殺人が起きてしまいました。」
黒影は、起きた白雪を見て大きな溜息を一つ零すと、風柳にそう言った。呆然とした風柳も、それを聞くなりはっとして一瞬で目を見開き、
「何処だっ!」
と、黒影に言いながら毛布代わりに羽織っていたコートに慌てて袖を通す。そんな風柳の行動を止めようと、黒影は何も言わずに風柳の肩の上にぽんと手を置いた。
「此処ですよ。」
と呆れ顔で黒影は言ったが、風柳はぽかんと口を開けるだけだ。そして、そんな風柳に黒影は、
「あの中です。」
と付け足すと、壁に掛かった柱時計を指差した。風柳は、黒影の指差した柱時計を確認しようとする。
黒影は、白雪に死体を見せないように、白雪を自分の元に引き寄せ、白雪の顔を隠すように抱きしめた。
風柳が確認すると、柱時計の振り子の奥に小さな穴を見つけた。流石に時計の奥では暗がりで見えづらく、目を凝らしてその穴を覗き込んだその時だった。
「わぁ!」
と、大きな声と大きな音と共に、風柳は後ろへ転がった。それもその筈、風柳が見たのは時計の奥から此方を覗く、人の目玉だったのだから。
時計内の他の部分をよく見ると、所々に血痕も見られる。
「とっ、兎に角早く降ろさなくては!!」
風柳は、体勢を直すと共に黒影に言った。黒影は白雪に、
「あっちを向いて待っていなさい。」
そう言って、死体の所為か随分重くなった柱時計を風柳と二人掛りでゆっくりと裏にして降ろした。
そして時計の裏板を取り外すと、そこにはやはり死体がうつ伏せになって出てきた。
何箇所か刺されたのか、服の所々に穴が開いている女性の死体だった。
黒影の描いた影絵が直立不動のように真っ直ぐに横たわる死体に見えたのは、この狭い掛け時計の中にすっぽり入れられたからであろう。
「おっ…お母さんっ!!」
死体を覗き込むように身をかがめていた黒影と風柳の後ろから、突然そんな声が聞こえた。
黒影は、さっと振り向く。…すると、口に両手を当て、呆然と立ちつくした白雪がいた。
「…しまったっ…。」
黒影の口から思わず、そんな言葉が零れた。白雪に死体を見せないつもりでいたのに、死体にすっかり気を取られてしまっていたからだ。
「どうして…私じゃないの…。」
白雪は、黒影が珍しく入れた甘い珈琲を口に入れる事もなく、ただ呆然とそれを手にしたままそう小さく言った。
風柳は、暫くの間血相を変えて、家中を犯人がまだいるのではないかと探していたが、やがて警察署に連絡をとり応援を待つ為にか、そのまま家を出て行き玄関先でうろうろしている。
黒影はまだ幼い白雪の考えている事を想像していた。
ずっと会いたがっていた肉親にこうも数日で会い、それが死体だった。本当ならば白雪が狙われていた筈なのに、母親が死んだ。
何故自分じゃなくて、母親が殺されたのだろう。そこまでは普通の発想だ。しかし、白雪は精神面で言えば強くはない。自分が変わりに殺されれば良かった。そう思って出た言葉なのだろう。
白雪は今まで自分の母親の話をした事などない。きっと、さっき眠った時に知ってしまったのだろう。あの時、眠らせずにいれば…。黒影は後悔していた。そして黒影は白雪に、
「初めからお前は狙われてなんかいなかった。そう分かっていても、もし1%でも白雪に危険があるといけない…そう思って私は今夜、こうして起きていただけだ。私がこれまで、数々の事件に白雪を巻き込まなければ、こんな事にはならなかったかも知れない…すまなかった。」
と言うと、座っていた足に添えた手をぎゅっときつく握った。
「良いの。そうでもしなければ私たちはここまで生きて生活出来なかったわ。…この事件を終わらせましょう…。」
白雪は黒影のきつく握った手の上から、自分の手を優しく乗せて小さな声でそう言った。
小さな声ではあったが、白雪の目には悲しみで彩られた強い眼差しが伺えた。
何時の日か…黒影が両親を失った後に見せた瞳のようでもある。
黒影は、
「今日は全然眠れなかっただろう。さぁ…おやすみ。」
そう言って白雪の頭をそっと撫でた。
白雪は何時ものように小さく笑うと、瞼を閉じてその場に横になる。閉じたままの瞼の間から流れる一筋の涙が、黒影には痛々しく感じられた。
「やっぱり…。」
黒影はやっと深い眠りについた白雪を見て安心すると、裏になったまま置き去りにされていた時計の方へ足を運ぶ。
時計の中にはまだ白雪の母の遺体があったが、黒影は迷わずその遺体を抱き上げた。
黒影に、傷ついた白雪に出来る事は、この事件を一刻でも早く終わらせる事だけだった。
遺体をどかすと、遺体の下には黒影が推測していた通り、影絵が見つかった。
その影絵を見た黒影の目は、修羅のようでもあった。
そこに描かれた影絵は、シルクハットとロングコートを着た男。つまり、次は黒影という事だろう。黒影は静かに、白雪の母親の遺体を時計の中に寝かせた。
丁度その頃だ。何やら外が騒がしい事に黒影は気づく。折角眠りについたばかりの白雪も、再び起きてしまった。
「何事?」
白雪は黒影に聞いた。しかし、黒影も何の騒ぎだか知るよしもない。そこで黒影は外の寒さを気にしてか、シルクハットとコートを身につけ、
「白雪は此処にいなさい。私が見て来るよ。」
と、白雪に言い残し玄関先へと向かった。
そこにあったのは、警察関係者らしき数人と風柳が押し問答している姿だった。
「何してるんだ!早く、家に戻れっ!」
風柳は黒影が玄関から出てくるなり、そう怒鳴る。
「一体、どうしたって言うんだ。」
黒影が風柳に聞くと、
「皆、お前がやったと思っているんだ。」
と風柳は答えた。
「そんな馬鹿な。大体、私には動機がない。それに、私は現場に残っていた影絵の事は知らないよ。」
と、黒影は慌てふためいて弁明したが、
「今回の事件が起きた時、貴方だけが起きていたそうじゃないかっ!」
と、平岡が風柳に止められながらも、黒影に言うではないか。風柳はそんな平岡に、
「馬鹿な事を言うなっ!さっさと署に戻れっ!」
と怒鳴ったが、平岡も他の署員同様、引き下がる気はないようだった。
「ああ…大事な事を忘れていた。」
黒影はそんな騒動も気にしないというように、暢気に手をぽんと叩くとそんな事を言うではないか。そして一度家の中に入り、思い立ったように再び玄関に出たと思うと、
「ああ…。皆さんもどうぞ。犯人、わかりましたから。」
と言って、また家の中へ戻って行った。
この発言には流石に一同はざわめき、やがてそろそろと静かに黒影の家へ上がって行った。
黒影は家に戻ると、直ぐに待っていた白雪に、
「これから十人程のお客様が来る。ちょっと忙しくなるが珈琲の支度を頼む。」
と言うなり、ソファーにどかっと座って、何時ものようにシルクハットを脱ぎ、コートと共にばさっとテーブルに上げた。
「ちょっとぉ~。それでは、十人分の珈琲なんて、とてもテーブルには上がりませんわ。」
と、白雪はその姿を見て言うと、少し機嫌が悪そうに台所へと向かった。黒影はシルクハットとコートを申し訳なさそうにテーブルから膝に移すと、
「新しくもっと大きいテーブルを買おうか…。」
そう、台所で支度している白雪にも聞こえるように、少し大きめの声で言う。すると台所にいた白雪はそれを聞いて、
「滅多にお客様なんて来ないんだから、いらないわ。それより、コート掛けが欲しいわ。」
と、黒影に言った。それを聞いた黒影が苦笑いしていると、やっとそこに外で騒動していた連中が入ってきた。
「どうぞ、今珈琲を作っていますから、お掛けになってお待ち下さい。流石にこの人数では全員座れるかわかりませんが…。話は珈琲が来てからにしましょう。」
と、黒影は一同を爽やかな笑顔で出迎えた。
「いいからさっさと、犯人を教えてくれ。」
そう、風柳は黒影を急かしたが黒影は、
「それはともかく…。もしお話しても、皆さんは僕が犯人だとお思いなのでしょう?
まずは僕の身の潔白から話さねばなりません。だから少々時間も掛かるのです。…そう、焦らないで。」
と暢気に言う。
丁度その頃、白雪が全員の分の珈琲を載せた小さなお盆をカタカタいわせながら持ってきた。黒影は少しばかり溢すのではないかとはらはらして、それを手伝って運んだ。
そして二人が着席するなり、一同の内の一人が黒影に、
「さぁ…話してもらおうか。私達だって本当は今まで協力してもらった事も含め、君が犯人じゃない事を祈っているんだ。しかし、幾らなんでも証拠が多すぎる。」
と切り出した。黒影は白雪が差し出した珈琲を何時ものようにのんびり口にしてカップを受け皿に静かに置くと、
「こっちらからお話しする前に、私から聞きたい事もあるのです。まずは…動機でしょうね。」
人事のようにそう言って、再び珈琲を飲む。
「それは…。」
平岡が言いづらそうにそう言った後、
「失礼な話とは承知で言いますが、貴方は白雪さんの本当の肉親が見つかると、白雪さんを当然親元へ帰さなくていけなくなる。それを阻止する為…とでも言いましょうか…。」
と、黒影に遠慮がちに話した。
「それはそれは…。」
そう聞くなり黒影は、楽しそうに笑いながら言った。それを聞いた白雪は平岡を睨みつけると、
「冗談じゃないわ。黒影は私に肉親が見つかったら何時でも此処を出るように言ってここまで私を育ててくれたのよ!風柳さんだってそれを知っているわ。」
と、言うなり頬を膨らませて平岡から顔を背けた。
「まぁ白雪、言わせておきなさい。…さて、本題に入りますか。」
黒影は、口に含んでいた珈琲を飲み込んで、そう言った。その場にいた誰もが、その言葉に息を呑んだ。
「まず、一連の事件を整理する為にも、一つずつ説明しましょうか…。
まずは、武田十蔵殺しと加賀谷次郎殺しについてお話します。
皆さんは、この二つの事件が同時刻に行われた事、そして私そっくりの人影が目撃された事からまず私を疑った筈です。しかし、この二つの事件は同時刻に行われたのではないのです。」
そう黒影が言うと、その場が微かにざわめいた。しかし黒影は、
「まぁ…気になる点は幾つかあるでしょうが、まずはゆっくり聞いて下さい。
同じ殺人と私達は思い込んだからこそ、事件をややこしく考えてしまったのです。わかればとても単純な事ですよ。
初めから、同一人物の犯行ではなかったのですから。…つまり、武田十蔵を殺した犯人と加賀谷次郎を殺した犯人は別人なのです。
武田十蔵を殺したのは同時刻に殺害されたと思われていた、加賀谷次郎です。
そしてこの事から、加賀谷次郎を殺したのは、加賀谷次郎が武田十蔵を殺す事を知っていた人物と考えても良いでしょう。
恐らく犯人は、第三に殺された桜木隆にこう言われたのです。加賀谷次郎が誰かを殺そうとしているから止めてくれないかと。
桜木は加賀谷の殺人計画…少なくとも殺害予定時刻は聞いていたのでしょう。
しかし、桜木は加賀谷が一体誰を殺そうとしているのかがわからなかった。そこで犯人に相談したのです。
犯人は加賀谷の事を調べているうちに、加賀谷が白雪の義父だという事を知った。
何らかの理由で以前から白雪と私に恨みを持っていた犯人は、加賀谷の殺人計画が私の描いた五枚の影絵であろうと確信した。
そして、この一連の犯行を思いたったのです。
犯人は、桜木が何時も九時に稽古を終え、武田十蔵宅前を通る事を知っていたのでしょうね。
偶然にも、加賀谷が武田を殺そうと計画していた時間と重なる事を知った犯人は、只その時間に私に変装しその姿を桜木に見せただけで、私に疑いの目を向ける事に成功したのです。
そして武田殺しが行われたのか確認する為と、私の影絵そっくりの影絵を置き、より私の犯行に見せかける為に、武田宅を訪れた。」
と、淡々と説明をした。
「では、加賀谷は何時殺されたんだ?」
黒影の話を聞いていた風柳は黒影に聞いた。黒影は、
「犯人からすれば、出来るだけ早ければ何時でも良かったのですよ。少なくとも、加賀谷が武田を殺した後ですがね。
加賀谷が武田を殺した事を知った犯人は、その日のうちに加賀谷を焼却炉の前に呼び出したのです。
白雪が夢で見た話ですが、加賀谷は白雪が自分の実の娘ではないという事実が書いてあるのではないかと思い、妻の加賀谷加奈子さんが持っていた日記をずっと見れずにいた事を親友でもあった桜木に言っていたのです。
恐らく、犯人もその事は桜木から聞いていたのでしょう。日記を変わりに確認するとでも言って犯人は加賀谷を呼び出し、そこで焼却炉に入れて燃やした。
そして加賀谷が持って来ていたであろう加奈子さんの日記を加賀谷の荷物から奪った。
残った荷物をわざと置く事で、連続殺人である事も強調できたし、日記を奪う事で武田、桜木、加賀谷の三人の共通点をわかりづらくする事も出来たわけだ。」
と、加賀谷次郎殺しの事件の真相と共に答えた。
「だから、共通点を知る残った桜木さんを急いで殺す必要があったのね。」
黒影の話を聞いた白雪がそう言うと、黒影は、
「ああ…そうだ。それともう一つ。白雪に加賀谷殺しが発覚すると白雪は加賀谷殺しの真相を夢で見てしまう。だからこそ、それを避けて、加賀谷と武田を同時刻に殺害したように見せると共に、日にちをずらして遺体を発見させなければならなかったんだ。
犯人からすれば、前に殺された三人は急いで殺す理由があったというわけだ。
桜木は武田の死体が発見されて直ぐに、目撃者として警察署に呼ばれるが、この時点ではまさか加賀谷次郎が殺そうとしていたのが武田十蔵とは知るよしもない。だから、事情聴取でも私に似た姿をした人物についてしか話さない。
しかし、加賀谷次郎が死んで日記が出てきたとなったら加賀谷の武田殺害計画を警察に話してしまうだろ?だから、犯人はよっぽど急いで桜木を殺したに違いない。
加賀谷を殺した後、犯人は桜木が再び警察署に呼ばれて加賀谷の事について聞かれる前に殺さねばならなかった。
だからこそ犯人は、桜木を警察署まで送る等の理由を付けて、稽古場に桜木を迎えに来たふりをして殺し、何食わぬ顔で私の前に現れた。
そして、残りは白雪と私だ。犯人はこの時点では、私の影絵と同じきっかり五人を殺害する予定だった。」
と言う。警察側の一人が黒影に疑問を投げつける。
「では、四人目の加賀谷加奈子殺しは犯人にとって予想外の犯行だったのか?」
黒影は、肯定するように深く頷くと、話を進めた。
「その通り。第四の被害者は犯人の予定では恐らく、白雪だったのだろう。
白雪は桜木殺害を知ると、当然遅からずいずれ桜木を殺した犯人を暴く事になるんだからね。出来るだけ早く殺害を実行に移そうと思った筈だ。
そして、白雪の安眠を妨げるかのように、脅迫めいた白雪の影絵も残している。
しかし、白雪を殺害する計画の前後に、犯人は白雪の母である加賀谷加奈子の存在を知った。
恐らく、ここまで三人の被害者が出た時、加賀谷の仕業ではないかと犯人に相談したのだろう。犯人は、この予期せぬ邪魔者に初めは焦っただろう。
加賀谷加奈子を殺したら犯行予告が変わる…しかし、この方が逆に犯人にっとっては好都合だったんだ。
犯人は白雪や私に恨みを持つ人物だからこそ、白雪の肉親をまた一人消し、白雪を精神的に追い詰め事件の真相発覚を遅らせるチャンスだと思ったのだろう。
私や白雪の行動を日頃から…否、この一連の事件が起こっている間中も監視していたであろう犯人は、予め加賀谷加奈子を刺して殺害し、私に罪を擦り付ける為にもこの家に人がいない時を見計らって死体を此処に遺棄する必要があった。
しかし、事もあろうか偶然にも、第三の事件後白雪はずっと此処にいた。
これは犯人にとって思わぬ誤算となるところだったが、何も知らない白雪は犯人の思惑通りに、私に内緒で睡眠薬を飲んで眠っていた。
犯人は、ここぞとばかりに大きな柱時計の裏に死体を隠し、その後白雪を殺害しようと目論んだ。」
それを聞いた白雪は驚いて、
「えっ!?じゃあ、私…犯人とこの家にいたの?」
と黒影に聞いた。黒影は、
「ああ…そうだよ。でも、眠っていなかったら痺れを切らした犯人が、先に白雪を殺したかも知れない。睡眠薬を勝手に飲んだのはあまり良い行いとは言えないが、今回ばかりは不幸中の幸いと言ったところだろうな。」
白雪にそう笑って答えた。
「そして、まだもう一つ…犯人に不幸が続いた。桜木の殺害現場に落ちていた白雪の影絵を見て心配になった私が、犯人の予定より早く帰って来てしまったのだ。
そこで犯人は仕方なく、白雪の殺害を断念し、その代わりに白雪を早く錯乱させようと時計の時刻を早めた。白雪が錯乱すればする程、この事件の犯人を割り出す時間が長くなる。
当然、加賀谷加奈子の死体を見た白雪はこの日は眠れないと犯人は踏んだのだろう。
しかし、それが仇になった。早い時計の鐘の音に、白雪と風柳さんは何時もより早く眠ってしまった。
犯人にとって困った状況になってしまったわけだが、この私が時計の時間の狂いに気づき、不審に思って死体を見つけてしまったんだ。
犯人は後、この家から離れて後日白雪の殺害をゆっくり考えれば良くなった。
けれど、風柳さんは加賀谷加奈子の死体が出てから、この家を犯人がまだいるのではないかと探し始めた。
きっと犯人は窓かどこかから見つからないように外に出たのだろう。
しかし、加賀谷加奈子の殺害が予想外で桜木殺害から時間がなかった事もあってか、私に変装していなかった。
仕方なく犯人は近くに身を潜め、連絡を受けて駆けつけるであろう警察の応援を待ち、応援が来るとどさくさに紛れて身を隠したわけだ。」
「何だって!…じゃあ、犯人は此処にいる誰かか?…それも我々、警察関係者の中にいるって言うのか?」
風柳は、黒影の推理を一通り聞くと、自分の耳を疑うかのようにそう言った。黒影は、
「ああ。その通り。人を疑う前にまず自分から…ですね。」
そう言って、黒影は笑う。
「あの…それでは、話がおかしくはないですか?」
それを見ていた平岡は黒影に水を差すように聞く。黒影は、
「何がですか?」
と、聞き返した。平岡は、
「だって、自分は加賀谷次郎氏が殺されたとされる九時頃、焼却炉から煙が上がっていたのを見ていたのですよ。」
と、ふに落ちない点を指摘した。黒影は言った。
「ちっともおかしくはないですよ。だって、それは貴方の狂言なのですから。貴方はあの日、煙なんて見ていません。犯人は出来るだけ早く加賀谷次郎の死体を発見させる必要があった。…それには翌日当たりが絶好のチャンスだったと言っても良いでしょう。
そして貴方のその証言がなければ、加賀谷次郎の死体はあんなに早くは見つかる事もなかったし、私の推理の辻褄も合う。すなわち、貴方が犯人だからなのですよ。」
と。その場に居た者全員が平岡巡査を見つめた。平岡は血相を変えて、
「なっ、何を言っているんですか!たかが煙を見ただけで犯人扱いされるなんて、心外です。」
と言う。黒影は、
「何を言っているんですか。貴方に犯人に仕立て上げられそうになった私の方がよっぽど心外ですよ。
良いですか、この一連の犯行は桜木が加賀谷次郎を止めてくれと言えばそれを容易に止める事の出来た人物。そして、その事を誰にも話さない…もっと言うなれば守秘義務を持った人物の犯行である事は明らかで、警察関係者と予測出来る。
そして私の影絵の存在を知っていた人物。更に、白雪と私の能力を詳しく知る人物だという事から風柳さんと同じ署の者で、今回の捜査に深く関わっていた者と断定しても良いだろう。」
そこまで言うと平岡は、
「しかし、この捜査に関わった者は大体が貴方と白雪さんの能力を熟知していた筈だ。
自然に考えるならば、貴方達とずっと行動を共にしていた風柳さんが怪しいだろう。どうして、私なんですか!?」
そう焦って聞く。黒影は、
「勿論、私は貴方達と違って、身近にいた風柳さんを一番初めに疑った。しかし、遺体が彼は犯人でない事を物語っているのですよ。
風柳さんに、私は何時ものように今回の事件の影絵を渡した後、彼にこう言っていたのです。
“遺体は全部仰向けだ”と。私はこの事を風柳さん以外の者には口外しませんでした。勿論、犯人も知りません。だからこそ、死体の置き方が、影絵の通りではなく、うつ伏せになっていたりしたのです。したがって犯人は風柳さん以外の誰かなんです。
そして、加賀谷次郎の遺体を発見した人物となると、平岡さん…貴方しかいません。」
と、平岡に言うと彼を睨みつけた。ところが平岡は犯行を認めるでもなく、更に黒影に言った。
「確かに、犯人が私でなければ貴方の推理は成立しないでしょう。しかし、私には貴方や白雪さんを憎む理由もなければ動機もない。それに、推測ばかりで確固たる証拠もないではありませんか。」
黒影は、往生際悪くそう言った平岡に、大きな溜息を一つつくと話し出した。
「確かに…動機という点では私にもわかりません。そして証拠もありませんが、その代わり…証人がいるのです。」
と。そして風柳が黒影に、
「証人?…目撃者はもういなかった筈だか…。」
と言った。しかし、黒影は動揺するでもなく、逆に風柳に聞いた。
「風柳さん…貴方、署に何て連絡しました?もしかしてあの慌てようからすると、ここで遺体が発見され、犯人らしき人物はいないと連絡しただけでしょう?」
と。風柳はそれを聞くと、回想していた為にか、少しの沈黙の後、
「そうだ。確かにそれ以外の事は話していない。」
と答える。その返事を聞いた黒影はよほど気分が良いのか、二度深く頷くと表情を和らげて、
「それは良かった。私はそれが聞きたかったのですよ。警察関係者の皆さんが来た時、平岡さんは僕に何て言いました?確か…私に向かって“貴方だけが起きていたそうじゃありませんか”と言った筈です。それはここにいる白雪以外の人物は全員知っているし、証人です。平岡さん…貴方は何で、ここにいなかった筈なのに、家の中の事を知っていたのですか?それは貴方が犯人で、この家の事をずっと探っていたからじゃないんですか?
それに…貴方だったらここの界隈の巡回を毎日していたのだから、桜木の行動も簡単に把握できた筈ですよね?」
そう、平岡に言った。今度ばかりは流石に平岡もぐうの音も出なかった。そして、平岡は話し出した。
「自分は警察に入ってこんな事をする筈ではなかったんだ。ずっと…警察官に憧れてここまで生きてきた。
けれどどうだ?自分は事件捜査に関わる事もなく、毎日毎日近辺を巡回しては住人の小言を聞くだけ。ところがどうだ、一方の黒影は、警察官でもないのに私の夢でもあった、犯罪捜査をいとも簡単にこなしている。私は何時も思っていた。
黒影…あんたよりも、自分の方がずっと賢いってね。
あんたが、世間の評判の悪さにも怒りもせず、謙虚に振舞う姿を見れば見る程、その余裕が頭にきた。
しかし、自分にはチャンスがなかった。自分の方が優れていると証明出来るチャンスが…。
だから、桜木が話を持ちかけた時、これはチャンスだと思った。
あんたを見返し、あんたをこの捜査線上から引きずり落とすチャンスだって。しかし、流石に五人殺すとなると、流石に悩んだ。
自分はあんた一人が殺されればそれで良かったのだから。
そして考えた。あんたの大事にしている者を奪えば良いと。しかし、あんたには肉親はいない。だから、あんたの大事な白雪の関係者を殺す事を思い立った。
そして最後に白雪を殺し、自分はあんたの絶望に暮れる姿が見たかっただけだ。
あんたらさえいなければ…。その能力さえ自分の邪魔をしなければ、自分はもっと上に行けた筈だったんだ!」
そう平岡が言い終わると、平岡は鬼のように憎悪に満ちた目を黒影と白雪に向けた。
黒影は白雪の怯えた顔を見ると、素早く白雪を庇うように自分の後ろに立たせた。
「平岡さん…貴方は勘違いしているよ。確かに、私は影絵の能力がなければ、犯罪捜査にも加わる事がなかっただろう。しかし、もし私が能力を持っていても、加わらない事だって出来るんだ。ここにいる貴方を除く誰もが、この世の犯罪を許さないと思っている。だからこそ、こうやってここにいる。
でも、貴方だけがそうじゃなかった…。
風柳さんが貴方をこの捜査に加えたのは、貴方にこんな復讐をさせる為じゃない。貴方にチャンスを与えたかったからじゃないのか?
貴方は只の快楽殺人者だ。
本当に貴方がこの捜査に加わった時、上に上がって犯罪を止めたいという覚悟があったのなら、桜木の情報を聞いた時、直ぐに出来た。
しかし、自分の頭脳を過信した貴方はそんな簡単に終わる事件なんてつまらなかった。だからこそ、自ら完璧な殺人劇を上から書き直そうとしたんだろ!
貴方は殺されようとしている誰かを救いたいわけでもなければ、死んだ遺族と同じ思いをする誰かを減らしたいわけでもない。
単純に、完璧な犯罪を成し遂げたかっただけだ。」
黒影は時に怒りを込めて…時に諭すように、平岡自身が見なかった真実の平岡の姿を暴いた。
「あんたの目には、何だって見えるんだな…。」
平岡は、署に連行される時、最後に黒影にそう言い残し、去って行った。
「さぁ…行こうか…」
事件解決後に、白雪と黒影は二人で、白雪の母加賀谷加奈子と義父加賀谷次郎が眠っている墓前にいた。
何時までも目を閉じて拝んでいる白雪の肩に黒影はぽんと軽く手を置いた。白雪は静かに目を開いたが、その目は墓をじっと見つめるだけだ。
「犯人を許せとは言わない。許さないままでも良い。しかし…憎しみは憎しみしか生まない。辛いかもしれないが、ここで終わらせられるのならば終わらせた方が良い。」
黒影はそんな言葉を白雪に言った。
「もし、私が平岡に復讐したとしたら?」
と、黒影の言葉に白雪は返す。
「私は…白雪が望むのであればどちらでも良い。小悪魔であろうと天使であろうとも、白雪は白雪だ。只…笑っていて欲しいと願うがな。」
と黒影は言うと、朗らかな笑みを伺わせた。
「しないよ…復讐。だっておかげで夢の中だけだったけれど、お母さんともお父さんともお話出来たもの。本当はもっと長くいて欲しかったけど、私が嫌われて捨てられたんじゃないってわかっただけでも良かったわ。
何時も通りが一番よ。本当は黒影にした仕打ちだけでも、復讐してやろうかと思ったけれど、もう良いわ。」
白雪はそう言って笑ったが、その笑顔は少しだけ悲しみを帯びているようだった。けれど、寺を出る頃になると、
「さぁ…帰って、珈琲でも飲むか。」
と黒影は白雪に言ったが、白雪は、
「ちょっとぉ~。たまには私だって外の珈琲が飲みたいわ。今回の協力料入ったんんでしょう?喫茶店行って休んだら、コート掛けでも買いに行きましょ♪」
と、浮かれた声で言った。すっかり、何時もの白雪に戻ったみたいだ。黒影は白雪に強引に手を引っ張られて思うのだった。
これだから餓鬼は…と。
「さっさと行くわよ!また最近ジジ臭くなったんじゃないの?!」
と、白雪は黒影に言う。
黒影はその言葉にさっきのは帳消しだと思いながら、子供に返ったようにはしゃいでみるのであった。
🔸次の↓season1-短編集 第二章へ↓(此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)
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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。