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「黒影紳士」season1-短編集🎩第五章 氷の棺


――第五章 氷の棺――

  五、氷の棺

 それは日の高く昇った夏のある日の事、白昼夢に魘されていた男が一人。白昼夢にしては真っ暗な夢。やがてその黒い夢の中に黒い人影が見えたかと思うと八つ裂きになり消えていったのである。

暑苦しさにか眉間に皺を寄せたまま眠る黒影を心配した白雪が、彼の額に手を当てようとした瞬間だった。何かに突き動かされたようにがばっと黒影は上半身を起き上がらせる。
「影絵?」
白雪は黒影の行動を察してそう聞いた。黒影は息を荒げたまま何も答える事はない。
「氷~、氷~。冷たく冷えた氷だよ~。」
家の外からそんな声が聞こえてきた。
「氷だってっ!私、カキ氷食べたいっ!」
突然白雪はそんな事を言い出すではないか。黒影は何時もの白雪の調子に我を思い出して、
「こんな暑い日にはいいかも知れないね。」
と、にこやかに言うと同意した。さて、じゃあこれからあの氷屋を引き止めに出掛けようかといった所で突然、
「ぎゃ~っ!だっ、誰かっ!」
そんな叫び声が二人の耳に届いたではないか。
黒影は慌てて家を飛び出し、辺りを見渡すと腰を抜かして道に転がる氷屋が見えた。
「一体どうしたって言うんです?」
黒影は氷屋を丁重に起こしてやりながらも聞いた。
「あっ。あれを見てくれ!」
そう言って氷屋が指す先は、氷の塊が十個程乗った荷台であった。その時、白雪も黒影の後を追ってやってきた頃合である。
「何、あれ?」
白雪は黒影と同じものを見つけたらしかった。
二人の瞳に映ったのは、荷台の中の氷に微かに浮かんだ人体の断片部分であった。
「人形…ではないらしいな。」
黒影は氷に近づき中を注意深く観察する。それを聞いた白雪は慌てて風柳を呼びに走った。

それから風柳が到着したのは三十分程経った頃だっただろうか…。
「胴体から頭部、腕が左右、足も左右一つずつ切断され氷付けにされている。遺体を運び易くする為だろう。頭部の顔がズタズタにされている所を見ると、被害者を特定不能にさせたかったのだろう…と、すれば犯人は被害者に近い人物と言えるな。とりあえず、このままでいいから解剖に回すとしよう。」
と提案するのであった。氷屋もそうしてくれと言い、白雪と黒影もその方がいいだろうと解剖の結果を待つ事となる。
黒影宅で風柳と白雪と黒影の三人は連絡を待った。
「あれだけバラバラにされちゃ、なかなか仏さんの特定までは難しいだろうな…。」
風柳がぼやく様に言った。まだこの頃の解剖は今ほど進んだものではなかったから、皮肉だったのかも知れないが…。
白雪は何時ものように珈琲を出して、三人で嗜んでいると夕方頃には風柳宛に連絡が入る。
「やっぱりだ…あれじゃ、仏さんの断定は難かしいとさ。だけど、諦める事もない。仏さんが誰か探す手掛かりがあったよ。」
と、風柳は黒影に言った。
「手掛かり?」
黒影がそう聞くと、風柳は一つ首を縦に振って言った。
「痣だよ、痣。仏さんの背中に痣があったらしい。背中に痣のある行方不明者となれば、少しは特定できるだろう。」
と。それを聞いた黒影と白雪は心なしか安堵の表情を浮かべた。バラバラにされた挙句に家に戻れないなんて、仏があまりに浮かばれないと思っていたから。

それから数日も待たない間に身元が判明した。しかし、身元引受人によると、その人物は確かに肩に痣があったが、右腕に彫り物もあったらしい。仏さんを見る限り、腕に彫り物など見当たらない。別人だったのかどうかが定かではない今は、身元引受人に遺体を引き渡す事も出来ずに、更に調査が必要なようである。
「もしかして…いや、これは私の憶測で何も根拠も証拠もないんですがね…。」
それを知った黒影は風柳にそう、ぼんやりと話始めた。
「あの遺体…部分的に他の何者かと入れ替わっているんじゃないでしょうか。」
と、黒影が言うと風柳も、
「ああ、私も丁度そう思っていたのだよ。そう考えた方が自然にも思える。一部は身元がわかったが、もう一部は身元不明の遺体。一体残る部位は何処に行ってしまったんだか…。
思ったよりも長い捜査になりそうだ。」
と、答えて大きなため息を一つ付いた。この事件は一時休戦となる事を示唆していた。

遺体のもう一人の身元を捜してから数日後、
黒影は白雪と風柳と共に、蝶の博物館へと赴いていた。経緯は数日前の白雪の一言が発端である。
「黒影、昆虫って触れる?」
白雪が学校から帰ってくると、唐突に黒影にそう聞いたのだった。黒影は何の事かと頭を傾けたがとりあえず、
「ああ、触れるよ。それがどうかしたのか?」
と、白雪に聞いた。すると白雪は学校から手渡されたであろうプリントを黒影に手渡し、
「学校の夏休みの宿題よ。昆虫の事調べなきゃいけないんだけれど、私…虫なんて大嫌いだし、触る事だって出来ないわ。」
と、言うのだ。黒影は白雪のお嬢様ぶりに少し小さなため息をつくと、
「他の子はどうしているんだい?」
と、聞いてみる。
「皆、悪趣味な標本を作ったりするらしいわ。
でも、標本にするにしても触らなくちゃ無理でしょう?」
と、言いながら黒影の顔を覗き込む。
「で、僕がその大役を仰せ使うわけだ。」
と、黒影は事の流れを理解した。しかし、困った事に黒影には未解決の事件があるから、家からあまり離れるわけにもいかず、夏休みだからと言って遠出して珍しい昆虫を探している暇など何処にもないのだ。
結局、悩んだ挙句に黒影はその事を風柳に相談した。そして風柳が紹介してくれたのが、近場に蝶の博物館を持っていると言う、風柳の知り合いの館長だったのである。まさか標本を貰うわけにはいかなかったが、一度目に訪れた時には、何種類かの美しい蝶の写真を撮らせてもらった。虫嫌いの白雪も、蝶の美しさには少しだけ心惹かれたようである。
館長は珍しい人で、ただでさえ短命な蝶を殺してまで飾るよりは、生きたまま短い人生を飾らせてやりたいと、生きたままの蝶を常に博物館に置いており、一生を終えた蝶だけ標本にして飾るという、根っからの蝶愛好家だった。白雪も館長の話を聞いて、標本は諦めて、昆虫の写真と生態を調べて宿題として提出する気になったようであった。そしてその日の別れ際に館長は、
「今度、私の博物館で蝶のイベントがあるんですよ。何時もは置けないような珍しい蝶も生きたまま展示します。よかったら、二人でいかがですか?」
と、白雪と黒影に招待状を渡した。二人は快くそれを承諾し、今日、二度目の来館に風柳も連れ出して来るに至ったのである。
 蝶の博物館に着くと、三人を館長の山口敏郎(やまぐち としろう)氏が快く出迎えてくれた。
「やあ、本当に来て下さったんですね。蝶達も喜びますよ。」
そう言うなり、三人を館内に引き入れ案内をしてくれるようだった。中に入ると、イベントと言うだけに、業界関連らしき人々の姿も見られる。
「ああ、こちらは私と同じ蝶に魅せられた人達でしてね…。」
そういい始めたかと思うと、館長はそこにいた人々を紹介してくれた。蝶の収集家で世界を飛び回っている元木一広(もとき かずひろ)。そして蝶画家の菊田彩奈(きくた しゃな)…これは芸術家としての名前で偽名だが、主に蝶を象ったステンドグラス等が有名らしい。蝶の保護活動をしている早田吾郎(さなだ ごろう)と言う人物もいる。更に蝶の専門誌でコラムを書いている記者の金井昌吉(かない あきよし)、館長の奥さんも紹介し終えると、館長は辺りを見渡した。
「後、蝶の写真家の大林義映(おおばやし よしはる)さんもいらっしゃる予定だったのですが…やはり、今日は来ていないみたいですね…。」
と、心なしかがっかりした表情で肩を落とす。
「蝶を殺してまで標本にして売り買いする人が多いのに、ここまで生きたまま蝶を採集なされるなんて館長さんはご立派ですね。」
と、落ち込む館長に黒影は心なしか感心の念を伝えた。すると館長は少し謙遜しながらも、
「いえ、そんな立派な事じゃないんですよ。私は蝶を生かすというよりも、完璧な形で残したいだけなのです。一番完璧で美しい状態でと考えていたら、生きたままの姿が一番美しいと気付いたまでです。」
と、答える。
「いいえ、そうであっても館長さんの考えは素晴らしい。今は標本にされる為だけに絶滅に瀕している蝶の種だって少なくは無い。こうやって生きたまま展示する事によって、多くの人が蝶について学べるだけではなく、小さな生命の大切さにも触れる事が出来る。蝶だってさぞかし幸せに違いない。」
そう話に入ってきたのは蝶の環境保護をしている早田吾郎氏であった。彼の仕事らしいもっとな見解である。それを聞いた館長はふと思い出したのか、
「今日はおられないが…そう言えば、写真家の大林さんも貴方と同じような事をおっしゃっていましたよ。」
と、言うと軽く微笑んだ。ここには蝶を愛している人ばかりなようである。一人を除いては…。黒影は、
「収集家の元木さんにはあまり聞かせられない話ですね。…ところで、彼は一体何処へ行ったのでしょう?」
と、言った。確かに蝶を捕まえる立場にある元木には耳の痛い話ではあっただろうが、どうもその話の張本人が先程から見えないのだ。
すると館長は、
「ああ、彼なら蝶の泉を見に行くと言っていましたよ。」
と、あっさりと彼の居所を教えてくれた。白雪が興味を持ったのか、
「蝶の泉?」
と、館長に聞きなおした。すると館長は白雪の目線に合わせて少し屈むと、
「ここで一生を遂げた蝶達は防腐処理をして円柱の美しいガラスの中に移され、生きていた時のように美しいままの姿で展示されているんだよ。そしてその円柱のガラスの周りには蝶達が安らかに眠れるように、沢山の花が浮かんだ泉を作って上げたんだ。」
と、優しく教えるのであった。白雪はちょっと悲しそうな顔をしたが、
「蝶の墓場って事ね。でも、そんなに素敵な場所ならばきっと安らかに眠れるわね。」
と言うと、小さな笑みを浮かべる。他の少女と違って、白雪は多くの死を既に知っている。
だから、館長が死を綺麗なものに思わせようとしても、事実は違う事を知っていた。だからこの小さな笑みは、死んだ生命への慈しみのようなものだろうと黒影は感じ取っていた。
「私も皆さんが言われる様に生きた蝶の方が好きだけれど、絵にするには止まっていてくれている方が描き易いから、泉を見てきますわ。」
と、蝶画家の菊田彩奈が言い出すと記者の金井昌吉も、
「私も泉には興味があるのですよ。以前から取材していたいと思っていましたから…後で私もゆっくり拝見させていただく事にしましょう。」
と言う。そこで、黒影と白雪と風柳の三人も是非見てみようと蝶の泉の方面へ向かう所だった。
「おや…貴方は。」
見知らぬ女性と出くわし、風柳がその人に声を掛けた。
「確か…先日のバラバラになった遺体の引き取りに名乗り出た遠坂順子(とおさか じゅんこ)さんでしたかな。」
と、風柳は記憶を辿ってか、顎に手を掛けながら話しかけた。
「ええ、そうです。私の探していた人は蝶の写真を撮っていた大林義映。私の恋人でした。
だから痣はあったけれど、人違いだったかもって思えて…もしかしたら、ここに来るんじゃないかと考えて来たのです。彼は右腕に蝶の彫り物をする程、蝶が好きでしたから…。」
と、遠坂は答えた。
「成る程…それでこちらにいらしたのですか…。」
と、風柳は哀れむように俯きながら言った。
「彼…やっぱり来ていないみたいですね。けれどいいわ…あの人が好きだった蝶をこうして見ているだけで、あの人と見ているように思えるから。」
と、言うと軽く会釈をして彼女は他の所を見に行ったようだった。三人は彼女の心中を思うと気が乗らなくなって、蝶の泉を最後に見る事に決め、他を見て回っていた。
「白雪ちゃんは女の子なのに、虫が大丈夫なのかい?」
風柳が聞くと、黒影が白雪の代弁者となる。
「嫌いだったみたいですよ…でも、蝶の美しさは別格らしい。」
と、言うと白雪も、
「こんなに綺麗なんだから虫だとは思えないもの。」
と、にこやかに笑って言う。
「じゃあ、これはどうかな?」
風柳は白雪を試すようにある場所を指差した。
「きゃ~!何、蛾じゃない!」
白雪は思わず風柳の指差したガラスの先を見てそう言った。そこにいたのは茶色の蝶。白雪が蛾と間違えたのも無理はない。
「よく見てご覧、白雪。これは蛾に似ているけれど列記とした蝶だよ。ほら…止まるとちゃんと羽根を閉じている。蛾は羽を開いたまま静止するものなんだ。」
と、黒影は白雪の肩に手を軽く当て、そう説明する。
「へぇ~、でもやっぱり私は綺麗な方がいいわ。」
白雪はその説明を理解したが、やはり茶色の蝶は好まないようだった。そんな他愛もない会話を楽しみながら回っていると突然、
「きゃ~!誰かっ、誰かきて~!」
と、女の声が聞こえてくる。咄嗟に風柳と黒影は表情を厳しくした。
「行ってみましょう。」
そう言ったのは黒影だった。風柳は頷くと悲鳴の上がった方へと走り出す。悲鳴が聞こえてきたのは蝶の泉の方からであった。
やはり悲鳴を上げた主もそこに腰を抜かして白い顔をさらに青白くして怯えている。
「菊田さん、大丈夫ですか?」
黒影は、蝶画家の菊田の肩を支えながら聞いた。
「見て…あそこっ!」
菊田は蝶の泉を指差している。一見何もないように見えたが、風柳は泉に近づくと数個の氷の塊が泉に浮かんでいるのが見えた。
「こっ、これはっ!黒影君、ちょっと来てくれ。」
黒影はその言葉に泉へ近づく。黒影の瞳の中に、氷に包まれたバラバラになった死体のパーツが見えた。
「まるであの事件と同じだ。」
黒影がぼやくように口にした。
「ああ、恐らく同一人物の犯行だろう。しかし、何故こんな場所に…。」
風柳は数日前の氷屋の事件と、今回のこの一件の犯人が同一人物だと気付く。この中に…犯人がいるかも知れない。今現在この博物館の中にいるのは数名、一般の出入りもない。
「この中に…。」
黒影が呟くと、風柳はゆっくり一つ頷いた。
白雪は黒影の影に隠れて、黒影の手をぎゅっと握っていた。何時も事件に巻き込まれてしまう。これは白雪も黒影も、同じ運命を辿っているのだろうか…。
 風柳による全員の事情聴取が始まった。一通り全員の証言を聞いていたが、風柳は腕を組んで唸るだけだ。それは、全員が時々お互いに顔を見合わせていたものの、バラバラな行動をしていたのでアリバイもなければ動機もなかったからだ。ただ、今回の事件で分かっている事は一つだけある。今までの犯行と違って、泉に浮かんだ氷の中には遺体の顔があったからだ。死亡者は、写真家の恋人…遠坂順子。動機はわからなかったが、ここにいた全員と何らかの関係があったと言ってもいい。探れば動機も出てきそうだ。
黒影は白雪を風柳に任せて現場で立ち尽くした。何か…殺された人には何か共通点があった筈だと考えていたからだ。そして、黒影は殺された遠坂が言っていた言葉をふと思い出す。まるで氷に入った遠坂の頭部が語りかけるように、黒影にそれを思い出させてくれたのだ。
「そうだ…もしかして…。」
黒影はぼそりと、そんな独り言を言うと、白雪と風柳の待つ場所へ歩いて行く。
「おお、黒影君。よく一人で遺体を見てこれるものだ。私には恐ろしくて君のような芸当は出来ないよ。…ところで、何か進展はあったのかね?」
風柳は黒影の姿を見るなりそう言った。
「ええ、進展はないのですがね。ちょっと気になる点は見えてきました。」
黒影はそんな事を言う。そして、
「風柳さん…あの身元不明だった氷屋の事件の遺体の事ですが…蝶の彫り物はしてありませんでしたか?」
と、唐突に聞くのだ。風柳は暫し思い出す程の時間を得てから、
「いいや。そんなものがあればとっくに身元はわかっている筈だし、私も見たがそんなものはなかったと思う。ただ…。」
風柳は何か気に掛かるようだ。黒影は、
「ただ…何ですか?」
その先も気になるようである。
「いや、関係あるかわからないがね…行方不明者の名簿を調べていたら、蝶の彫り物をしていた人物が一人行方不明になっていたんだよ。」
風柳のその言葉に黒影の顔がきりっとしたように見えた。そう…何かが、彼の脳裏で繋がったのである。
「その人物の名前は?」
黒影は、急かすように風柳の両肩をがしっと掴み聞く。
「ああ…確か、松岡七緒(まつおか ななお)という女性で、花魁をしている。」
それを聞くと黒影は、
「花魁…ですか。確かに花魁ならば蝶がよく似合う。その花魁の身辺を調べてください。」
風柳は説明が欲しかったが、黒影の頼みならばきっと事件に関係あると信じて、快く了承する。

風柳から、花魁に関しての情報が入ったのは後日の事だった。
「繋がったよ、黒影君。花魁の松岡はあの写真家の大林と顔見知りの仲だったらしい。」
そう風柳は黒影宅で話し出す。白雪は珈琲のカップを差し出しながら、
「花魁って?」
と、二人に聞く。黒影は暫し考えると、
「まぁ…接客業をしている人の事だよ。綺麗な着物を着て…。」
と、白雪に当たりさわりない答えで返す。
「ふ~ん、そんなに綺麗なんだ。」
白雪は色々と想像を膨らませているようだった。
「で、行くんだろう?」
風柳が黒影に聞くと、
「じゃ、私も行く。」
と、白雪が先に答えた。黒影は跋の悪そうな顔をしたが風柳は、
「そうだな。一緒に行くといいよ。」
そう言って笑った。
 そういうわけで、黒影と黒影を見張る役目でついてきた白雪は二人仲良く祇園へ向かったのである。
「あらあまり見ない顔ですねぇ。」
中年の和服姿の女が訪れた黒影の顔をじっくり見てそう言った。
「いや、ちょっと調べ物でしてね。お仕事中すみませんが、行方不明になられたという七緒さんと親しくしていた人に話を伺いたい。」
と、黒影は言った。
「ああ、やっと七緒ちゃんの事、調べてくれる気になってくれたのですね。前から幾ら警察に言っても駄目だったから…。奥の座敷にどうぞ。」
そう言われたが、黒影は白雪の方をちらりと見ると、
「いや、ここで構いません。」
と、軽く座敷へ入るのを断った。
「ああ、そうねぇ。小さなお客様にはちょいと過ぎた場所ですなぁ。」
そう言って笑いながらその人は誰かを呼びに言ったようだった。
「何、あの態度。」
白雪は笑われた事にご立腹のようだったが、黒影はこれで良かったのだと少しほっとしていた。
「まぁ、綺麗…。」
思わず颯爽とやってきた花魁の姿に白雪は言った。
「あら、あなたも花魁になりたいの?」
花魁は白雪にそう言ったが、
「いいえ、この子は私の連れですから。」
と、黒影は軽く否定する。
「あら、素敵なお兄様がいてよかったわねぇ。」
そう、花魁は白雪に言うと微笑んだ。
その花魁の話によると七緒は大林から誰かを紹介されてその人と付き合っていた節があったが、その人物の名前までは聞いていなかったらしい。何でも蝶が好きという共通点でいい仲にはなったみたいだったが、それ以降の事はあまり教えてくれなかったと言っている。祇園の花魁の口は堅いが、同僚の心配をしてか、その花魁は知っている事を話してくれた。蝶が好きな人物…。黒影の中で、やはり犯人は博物館にいた人物の中にいると確定されていた。
黒影は自宅に戻ると、当然のように風柳が待ち構えていた。
「で、どうだったかね?」
風柳が茶化すようにそう聞くと、
「ええ、収穫はありましたよ。」
そう軽くあしらうように言うと、ソファーに凭れながら、祇園の花魁が言っていた事を話し始めた。
「そういえば、蝶画家の菊田さんに聞いたんだがね、どうやら亡くなられた遠坂さんにも蝶の彫り物がしてあったらしい。」
と、ふと思い出して言うと、黒影はがたっと音を立ててソファーから立ち上がる。そして風柳に菊田にある事を聞いてくれと頼んだのだ。風柳は電話を切ると、
「やっぱり君の勘は当たっていたようだ。」
と、言ったのだ。菊田の話で、亡くなった遠坂の何処に蝶の彫り物があったかを確認出来た。遠坂には左足首と左腕だ、大林は右足に彫り物をしていた。菊田は写真家の大林と遠坂の間を取り持った人物でもあったので、その事を知っていたらしい。
「亡くなった花魁の松岡七緒の蝶の居場所も掴んでいるのでしょうね。」
黒影は風柳の顔を覗き込んで聞いた。
「ああ、勿論だよ。君達がわざわざ調べに行ってくれていた間に、私がさぼっとるわけにはいかんだろう。腰から右足の太股のあたりにかけてあったらしい。」
と、自慢げに答えた。すると突然黒影はこう断言したのだ。
「遺体は二つじゃない。三つある。」
と。風柳もその言葉には驚いたが、黒影は何度聞こうとも、その真意を答えてはくれない。
「明日、教えますよ。」
そう、清清しい顔で言うと、珈琲を美味しそうに飲み干した。

 その夜、白雪はこんな夢を見たのだ。白雪は夢の中で誰かに変わって現れる。今日の夢は本当に悪夢だと白雪は夢の中で思っていた。
今回白雪が夢の中で変わった人物は、これから殺されようとしているのだから。きっと殺された人の悲しみが、白雪にこんな夢を見せるのだろう。白雪が同調している女性は水中に顔を押し付けられて暴れた。白雪にも幾ら夢とは言え、苦しみが伝わる。もがいても、もがいても見えるのは、うっすら歪んだ水だけ。
夢は一度そこで真っ黒になる。きっとこんな風に殺されたんだ…白雪はそう思っていた。
夢はここで終わると思ったが、悪夢は続く。
真っ暗なのはそのままだが、足元から沈む感覚がした。息も出来なければ回りも冷たく感じる。水だ…暗い水の中に落ちている…その事に白雪は気付く。身動き出来なくなったその姿を誰かが覗いて見ているのが見えた。しかし、暗くて顔はわからない。けれど何か視線を感じるのだ。
「大丈夫かっ!」
そんな声が聞こえた。動かなかった筈の瞼が動く…夢から覚めると、黒影が心配そうに白雪の上半身を抱き上げてそう声をかけてくれたようだ。
「また、死んじゃった。」
そう言って微かに微笑む白雪の顔を、黒影は悲しそうに見つめた。
「そんな顔しないで、黒影。事件は終わるわ。」
白雪は黒影にそう言ったが黒影は、
「事件なんてどうでもいいんだ。俺がそんなもの何度でも解決する。」
と、言い放つ。白雪には痛いほどわかる。黒影が、自分に悪夢を見せまいと必死に事件と立ち向かってきた気持ちが…。白雪の事件の被害者の気持ちや真相を知る夢を終わらせる事が出来るのは、この世でたった一人…これから起きうる事件を予測出来る黒影の持つ影夢の能力しかない。だからこそ、黒影はこんなにも責任を感じているのだ。そして何よりも…そんな白雪を守りたいと思っている。
「さぁ…行こう。」
黒影は黒いコートに身を包み、博物館へと向かう。博物館に入る時、黒影は白雪に
「悪夢を終わらせよう。」
そう言って微笑んだ。

博物館に入ると、事件当日にいた全員が既に揃っていた。蝶の泉の前で、黒影は話し出す。
「数日前…とある事件が起きました。氷屋の氷の中に、バラバラになった遺体が見つけられたのです。」
そう言うと、蝶の保護に努めている早田は、
「それじゃ、まるでこの間の遠坂さんが亡くなった時とそっくりじゃないか。」
と、驚きを隠せずに口にする。
「そう、その通り。水にそれが浮かんでいるかいないかの違いでほぼ同じ状況で殺されたと言ってもいい。しかし早田さん、そんなに驚く事はないんですよ。だって同一犯の仕業なのですから、殺し方が似ているのも当然なのです。」
と、黒影は早田に説明し話を続けた。風柳も気になっていた、遺体が三つだという話についてだ。
「氷屋の事件で見つかった遺体は当初一体で、犯人が被害者の特定をさせない為に顔を潰し、遺体を運びやすくする為にバラバラにしたと思われていました。しかし、実際はそうではなかった。あの時、既に被害者は二人いた。
犯人が遺体をバラバラにした本当の理由は二つのパーツを組み合わせた遺体を一人の遺体だと思わせる事にあった。その時点であった遺体は、両足と胴体、そして左腕は写真家の大林さんのもので、残る右腕は花魁の松岡七緒さんのものだったのです。そして先日ここで見つかった遠坂さんの遺体。あれは、頭部が遠坂さんだった為、ここにいる誰もが遠坂さんが亡くなったと思っていたでしょうが真実は違います。確かに遠坂さんは亡くなった。
しかし、そこにも二体の遺体があったのです。
頭部と同体、そして右手右足は確かに遠坂さんのものでしたが、左手と左足は松岡さんの物です。私は氷屋事件の時には顔が無くて、何故遠坂さんの時は顔があったのか考えていたのですよ。
もし一体の顔を潰す事が犯人の計画通りに行われたのだとすれば、それはすなわち、身元をわからなくする以外の他に理由があるのではないかと考えたのです。遠坂さんの顔が知れたところで犯人には辿り着かないが、大林さんの身元がわかると困る理由があったのです。それが、三人目の遺体の存在だったのです。」
黒影がそう説明したが、風柳にはどうしてもまだぴんとこないようで、
「その第三の被害者と言うのは何処にいるんだい?今回ばかりは君の憶測で考えすぎではないのかね?」
そう言ったが、黒影はにっこり笑うと、
「いいえ、僕は真実しか言いません。ありますよ、遺体は必ず。…蝶に彩られた遺体がね。」
と、言うのだ。そして花魁から聞き出した話を持ち出す。
「花魁の松岡七緒さんの同僚の話しによると、七緒さんは誰かを大林さんから紹介されて付き合っていたそうです。その人物はあなたじゃないんですか?」
そう言って黒影が見つめたのは、館長の山口敏郎だった。
「何を馬鹿な事を言っているんだい、黒影さん。何処にそんな証拠があって言っているです。」
と、不機嫌そうに館長は答えた。しかし、黒影は根拠のない事は言わない男である。
「貴方は数日前、こんな事を話してくれましたね。…完璧な姿で蝶を残したいと…。僕が調べた所によると、写真家の大林さんは近頃生きた蝶だけではなく、蝶の彫り物の写真を撮って写真集にしています。貴方はそれを見て心を強く打たれたのでしょう。大林さんに頼み込んで、蝶の彫り物をしている人物を紹介してもらった。それが…松岡七緒さん。そして完璧主義だったあなたは、こう思った筈です。七緒さんの彫り物の蝶をも自分の物にしたいと…。そして七緒さんを殺し、蝶の彫り物のしてあった箇所だけを自分の懐に入れた。
しかし、貴方はそれだけでは満足出来なかったのでしょう。貴方の手に入れた蝶の彫り物は蝶の形こそ完璧でしたが、人体として不完全な物となってしまった。それに気付いた時、貴方はふと思い出したのです。大林と遠坂にも同じ蝶の彫り物があった事を。そして貴方は二人からも必要とした蝶の彫り物がしてあった場所を奪い、残った不必要な箇所は組み合わせて一体に見せかけ、氷に詰めて捨てた。貴方の元には体中蝶に彩られた遺体が残ったのです。」
と、黒影が言うと館長の山口は額に汗を滲ませながらも、
「そんなものは推測に過ぎない。そんな遺体、一体何処にあるって言うんですか!」
そう口篭りながらも言うと、黒影はにやりと笑みを浮かばせこう答えた。
「あるんですよ。貴方しか置けない場所に…大切に保管されている。」
と。そして黒影は白雪の方をちらりと見た。白雪の悪夢が…事件を解決してくれた事への感謝なのかもしれなかった。
白雪は黒影に微笑みを投げて、
「早く出してあげて。」
そう言う。黒影は頷くと、蝶の泉へ靴をはいたまま入るではないか。そして泉の中央にある円柱の柱をなぎ倒す。円柱の抜けた真っ暗の水が詰まった穴から浮かび出たのは恐らく花魁の七緒の頭部だった。七緒の頭部は浮き上がった衝撃でぐるりと回転すると館長の方を睨んでいるようにも見える。
そして館長の山口は七緒の睨みに負けたように全てを話し始める。
「そう…私は、大林の写真集を見て、その人物に会いたくなってしまった。その女の体にある蝶に惚れ込んだが、彼女は私の物にはなってはくれなかった。そして私は自分の欲の欲するままに彼女を殺してしまった。七緒の行方がわからなくなると、当然の如く大林が私を疑って来た。始めは殺す気などなかったが、このままではいずれ彼が警察に話すんじゃないかと…殺した。すると、大林の腕にも蝶がいるじゃないか。
私はそれを見ているうちに、大林の彼女の遠坂さんにも蝶があったのを思い出した。そしていずれ彼女が大林を探しにここへ来るだろうと察した私は、遺体をバラバラにして遺体の数を誤魔化し、そして邪魔者も消し、更に安心して自分の元に一体の蝶の遺体を残す事に成功した。遺体をバラバラにすれば身元の判明も出来なくある…完璧な計画だと思ったよ。しかし…もうそれも終わりだ。しかしね、黒影君。私は何も後悔はしていないし、私の欲も満たされた気分だ。もうこれ以上欲するものなどないし、私は蝶の彫り物の完璧な形を手に入れた時、もう全ては成し遂げた。」
そういい終えると、山口は狂ったように歓喜の声を上げた。風柳が彼の腕を掴んだが、それも気には留めないようだ。
黒影の心の中には怒りのような憎しみがこみ上げてくる。
「あんたの美意識なんて僕にはわかりませんがね…。山口さん、貴方は完璧でもなければ美しさを語るにも値しない。見て御覧なさいよ、貴方が完璧と言った蝶で彩られた遺体を…。貴方は上手く防腐処理までしてホルマリンに漬けそれだけで満足しているようだが、あれは完璧ではない。あの蝶はどれも死んでいるし…尚且つ、バラバラに崩れてしまっているよ。完璧な蝶の姿を探すんだったら、自分の体中に蝶でも彫ればよかったんだよ。」
と、冷酷に黒影は山口に言う。山口ははと笑いを止め、自分の愚かな美意識を知って発狂した。
「そんな馬鹿なっ!私は完璧な姿をっ…。」
そう言ったかと思うと、山口は己の体を齧りだした。蝶を彫ろうとして…愚かな彼は両手を塞がれたままでも、まだ欲のままにあがこうとするのだ。
「心配する事はない。永遠に君の欲求は満たされなどしない。これから監獄で、蝶もいないし作る事も出来ない、禁欲的な生活を送るのだから。」
そう言うと、黒影は冷たい視線で山口を見つめる。犯人は欲が終わらない方法に気付く。
それは…手に入れない事だった。何度も逃れようとして逃れられなかった己の欲と、永遠に離れられないと気付いた彼は静かに…全てを失い廃人と化した。呆然とする山口を風柳は何も言わずに連行した。
 山口は牢獄の中の小さな鉄格子についた窓を見つめていた。
一匹の黒い蝶がひらりひらりと自由に空を舞う。山口は手を伸ばしたが、その指先が黒い蝶に触れる事はなかった。

「蝶々~蝶々~菜の葉に止まれぇ~♪」
白雪は黒影と手を繋いで陽気に歌っている。
「まったく、あんな事件の後だって言うのに、子供は残酷ですな。」
風柳はやれやれといった風にそんな事を言った。
「いいえ、風柳さん。何時までも引きずるのは大人の悪い干渉ですよ。子供は我々と違って純粋な美意識を持っているものですよ。」
と、白雪の事を言っているようだ。
白雪は黒揚羽を追って、黒影の手から離れると両腕を空に伸ばし歌い続ける。
「おや、黄昏ですかな?」
風柳は白雪が手を離して、少しだけ寂しげな瞳で白雪を見守る黒影を冷やかすようにそんな事を言った。けれど、そんな寂しさも一時の一興。
「あっ。」
そう白雪が言ったかと思うと、黒影の周りを白雪は笑いながら回った。黒い蝶が黒影のシルクハットの上に、ひらりと何時もの穏やかな日々を連れてきたのだ。
黒影は黒いロングコートを翻して白雪に蝶を取られまいと遊んでいる。
風柳は漆黒に身を包んだ蝶に気付く。
「…あの羽根の自由を奪えるものなどいやしない…。」
思わずそう口から零して、二人の姿を微笑みながら見守るのであった。


🔸次の↓season1-短編集 第六章へ↓(此処からお急ぎ引っ越しの為、校正後日ゆっくりにつき、⚠️誤字脱字オンパレード注意報発令中ですが、この著者読み返さないで筆走らす癖が御座います。気の所為だと思って、面白い間違いなら笑って過ぎて下さい。皆んなそうします。そう言う微笑ましさで出来ている物語で御座います^ ^)

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お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。