黒影紳士 ZERO 01:00 〜双炎の陣〜第七章 幽閉
7章 幽閉
「遠並病院は大きいですが、昔は此の小さな診療所で患者を見ていたらしい」
黒影はウロウロしていた勲の肩を軽く叩き言った。
勲は黒影に振り向く。
「既に中に誰かいる。いる……と言うより、住んでいる。住んでると言うより……まるで罰ゲームだな。幽閉に近い。外に次回来る閉じ込めている誰かが定期的に捨てているゴミを見るからに、食事は最低限よりやや少なく感じる。既に犬か猫だったであろう死骸を見付けた。気付かれなかった理由は……グロテスクだが聞きますか?」
と、勲は一度切った。
ーー ⚠️此処からはお食事中の方注意喚起発動である。
黒影は勿論、気になるだけなので先を如何ぞと手で合図した。
「では、遠慮なく。恐らくオーブンだ。殺した後、真っ黒になるまで焼いてしまっている。骨は真っ黒にほぼ炭の様に砕け、新聞紙に纏められてポイだ。相当ゴミを漁らないと分からないのですよ」
と、勲は言う。
「何て事を……。それで?勲さんはゴミを漁ったのですか?」
それにしては汗一つ掻いてもいなければ、手に錫も付着していない勲を見て、黒影は不思議がって聞いた。
「影の手を入れただけだ。汚れなくて便利だろう?」
と、勲は黒影にキョトンとした目で、そんな使い方もしないのかと言いたい様だ。
「先輩、何時だったかゴミの中の証拠探しでキレてましたもんね。打開策……見付かって良かったですね」
散々八つ当たりをくらったサダノブは白けた目で黒影を見る。
「分かったよ!もう少し普段から影を使えば良いんだろう」
と、黒影は不貞腐れて答えた。
「ああ……物と影は使いようだ。……それより誰か来る。私しの影を何者かが踏んだ」
勲は小声で言った。
影を踏んだと言うので、黒影は勲が広げている影を見下ろした。建物をぐるりと一周囲む様に影が伸びている。
黒影もサダノブも勿論踏んでいる。
「これは失敬……」
黒影はサダノブを引っ張り、一歩下がり影から外れる。
「構わないよ。此処は現場だ。影がかち合う事もある」
と、勲は黒影を見て、クスッと笑った。
「凄く古典的ですが……ほら……あっち」
サダノブが有刺鉄線だらけの壁から、少しだけ空いた窓を見付けた。
「換気扇を止めてカメラを挟む手間が省けた」
黒影も其の窓へ向かう。勲は最後にゆっくりと歩いて窓を見た。
「遠並 彰だ」
勲が言った。
「えっ?彼が誘拐犯では?」
黒影が思わず聞いた。
「環境からするに、作られた誘拐犯……なのかも知れないな」
と、勲は目を薄くして言った。
黒影と同じ……。
切ない……辛い時の癖……。
長い睫毛を少し下ろし、下の遠くを見て話す。
蒼い瞳が下を見た一瞬に揺れたが、前を向いた時にはもうしっかりと、目の前の現実を捉えようとしている。
――――――
ガタガタと建て付けの悪い玄関の鍵を開け、遠並 英が入って来た。
「如何だ、良い環境だろう?」
と、満足そうに手術器具を見ている。
「あっ……うん」
遠並 彰は引き攣った笑顔を見せた。
「宿題は如何した?」
「やったよ……ちゃんと袋に入れて、冷凍保管してある」
其れを聞いた遠並 英は業務用の平置きのストック用冷凍庫を開いた。
「……見えないな……」
其の中身が気に掛かったのか、勲はスッと指から線の様な影を伸ばし窓から中へ入れた。影の目だけが膨らみ、後ろから二人をギョロギョロ見ている。
「……分かりましたか?」
黒影はそんな使い方もあるのかと、関心しながらも聞く。
「大量の犬や猫の死骸だ。どれもメスの練習台にされた……と思えた方が良かった。故意にメスを数回突き刺すだけで殺された死骸もある。何かストレスを超えた狂気的な物も感じる」
と、勲は答えるのだ。
「今、親父さんの方にはモルモットに見えているのだろう?あんな大きなストッカーなんか、変だと思わんのか?サダノブ、親父さんの視界は如何なっているんだ?」
サダノブは、黒影の疑問を埋める為、遠並 英の思考を読む。
「……駄目だ。完璧に置き換えられていますね。大きくなってもモルモットにしか見えていないし、ストッカーも小さな冷凍庫にしか見えていない」
「良く出来たじゃないか!まさか遠並病院の跡取り息子が血を見るのさえ怖いなんて世間様にバレたら、恥だからな。
別にお前が出来なかったら、お前の母さんなんて何時でも捨てても構わないんだ。適当な女か養子でも構わなかったのだから。
だけど、お前がこんなに成長してくれるとは。父さんは本当に嬉しいよ。……次を探す手間が省けてね。さあ、ちゃんとご褒美を置いておくよ。
次は確か……縫合だったね。お前は無器用な所があるから、沢山用意して来て上げよう」
「……あ……有難う……あの……」
「何だ、彰?」
「もっと大きな実験体が欲しい。きっと小さいから上手くいかないんだ。大きければ良く見える筈。早く……人間が欲しい……」
「先輩、今の言葉……まるで言霊の呪いだ!書き換えたのは今だ」
「……何だと?……そんな理由で人間を父親に誘拐させていたのか?」
黒影は声は小さいが驚き、目を丸くしてサダノブを見る。
「違うんだ……。本当の理由は……違うんですよ」
「分かった、分かった。やる気が出るのは良い事だ。研究機関に大きめのモルモットがいないか聞いてみよう」
「有難う……父さん」
其の会話の後、遠並 英はまた鍵を掛け、視界から消えた。
「院長の方は私しが追いましょう」
勲はスッとまた指先に影を戻すと、足元の影に沈んで行く。影で遠並 英を追跡する様だ。
此処は追跡に長けたハンターに任せよう。
黒影は勲が適任であると、影に沈む勲に微笑んだだけだ。
「あっ、先輩と同じ事して……」
サダノブは思わずそう言って残された帽子を拾おうと、手を伸ばすが勲から無線が入った。
「其の帽子の影は大事な帰り道への道標です。動かさないで下さい」
と、勲は言う。サダノブは其の無線にキョロキョロ辺りを見渡した。
「見えているんですかね?」
「多分、影を分離して置いたのだろう。これもまた、ご教示して貰わなければな」
と、流石の黒影も苦笑する。
「……真、黒影紳士の力は底無しの謎の闇だ……」
一体何が出来て、何が出来ないのかも分からない。
それすら影と言う闇の中。
呼吸する様に影を扱う……使い方によっては、能力者にも対抗し得る物となるだろう。
其の力が欲しいかと聞かれれば……欲しいと答えてしまいそうになる。
潜在的に眠っているだけなのに……。
僕も欲には注意しなくてはな。常に甘い毒だ。
黒影は思い直し、残された遠並 彰の観察へ戻る。
――――
「遠並 彰もこの状況からすると、ある意味被害者……何ですかね」
サダノブが悲しそうに言った。
「人は人として最低限生きられる環境が無ければ、人では無くなる。遠並 彰は私しが思うに人の範疇から逸脱した。
誰の所為であるとかは既に別次元の話だ。
人たるやを教え反省させるのが法で言う更生ならば、もう遅いと私しは思う。
幾ら能力者裁判であろうが、あ、れ、は既に獣だ」
無線で勲がサダノブに伝える。
「如何言う事だ?」
黒影が聞いたが勲は答えない。
遠並 彰は猫を撫でている。
何気無い窮屈を強いられた者の、一瞬の憩いにも見えた。
……そうか……唯一の心の拠り所に、モルモットから猫や犬に変えたのか……。
そう、黒影は思って記録している。
この環境下で強制的に過ごす様にされていたのなら、同情の余地有りと裁判でもされる筈だ。
遠並 英は虐待の罪で別途、問われる事になるだろう。
何も無い手術台の上で遠並 彰は父親に与えられたお茶と弁当に貪り付いた。
確かに、其の飢えた他も気にはしない齧り付く荒れた食べ方に、既に人間の食事とは思えないが、恐らく遠並 英に気に入らなければ食事すら出来ないネグリクトを受けていたと思われる。
極限状態なのだ……きっと。
「早めに、記録が済んだら出してやろう……」
そう、黒影は思わず目を逸らして言った。
「……違うな、黒影。創世神の口癖は知っているでしょう?目を逸らしたところで真実は見えない。「事実」においてもそれは同じだ。犯人に同情等すべきではない。同情するならば、捕まえてからで十分です」
と、勲は言うのだ。
確かに……創世神にそんな言葉を言われた覚えはあるし、正しかったと思っている。
「先輩、猫がっ!」
サダノブが黒影のケープの先を引っ張る。
ギャッ!と言う引っ掻く様な悲鳴に、黒影は咄嗟に視線を戻す。
遠並 彰の食事する真横に先程の猫が数本のメスに刺され伸びて死んでいる。
「何があった?!」
ほんの一瞬の出来事で、黒影はサダノブに聞いた。
「……あの猫が手術台に登って、遠並 彰の食べていた弁当に興味を持って匂いを嗅いだんですよ!嗅いだだけで……彼奴、メスで滅多刺しに……。常軌を逸している……」
サダノブは余りの恐ろしさに、遠並 彰から目を見開いた儘視線を外す事も出来ない。
成人男性には余りにも少ない食事はあっと言う間に終わった。
だが、よくよく考えてみると、遠並 彰はそうは言ってもガリガリと言う程では無く、栄養不足特有の肌の色もしていない。
其の理由に気付いた時……黒影は、
「止めに行くぞ!」
と、サダノブに言った。
「止めるな!」
勲が強く無線で黒影に言う。
遠並 彰は猫の皮を刺したメスで剥ぎ取り、まるで鶏か兎の肉の様に剥いで行く。
「だが、これは列記とした動物殺傷と言う犯罪だ!」
黒影は、勲に止めるなとそう言った。
此処で止める事が出来たならば、人へと段階的に踏まずに犯罪行為を進めなかったかも知れないと思ったからだ。
未だ何処かに、そんな期待を持っていた。
時空を戻せた今、止められる運命が目の前であるではないか。
「では黒影に問おう。目の前の犯人を良く見なさい!良いか、僕は君の様に甘くは無い。既に犯人は人として生きる道から逸脱した獣だ。
先程、ごみ袋の中身を見た時、綺麗に肉の部分が無かったら僕は既に気付いていました。彼にとって、猫や犬は食用なのですよ。
そんな国もあるが、日本では違う。ストッカーの中には部位を分け、綺麗に毛も剥いだ肉が詰まっている。生き残る為に其れが常に必要だった彼にとって、普通とは何でしょう?たった短い刑期で、此処迄狂ってしまった人間の常識が戻るとお思いですか?
僕はそんなに甘い話しでは無いと思います。
下手な優しさならば無用!
……彼に必要なのはそんな生半可な優しさなどではない筈です。生きる為に失った物を知り、反省する時間が無ければ、法の言う更生は不可能。
ならば、死刑か?そうならない様に止めに来たんだ。余計な優しさは犯人の為にも、誰の為にもなりません!捨てるべきです」
勲は、黒影に甘いと言いたい様だ。
容赦なく同情も無い。
だけど……真っ直ぐで、言っている言葉に間違いや迷いが無い。
誰の為に鬼になるのか……。
人では無くなった鬼の為にも、鬼になる……。
被害者にも、犯人にとっても、それは同じなのだろうか。
見るも耐えぬ猫が肉片と成って行く姿……。
途中から、これは猫では無いと、頭が錯誤を起こし掛ける。
あまりの現実に、ついて行けないのに加え、原型を失って行くからだ。
「勲さん……被害者がこれから来る可能性が高い。人は……誘拐されただけでも、恐怖の記憶を覚えます」
黒影は、其れは無視するのかと問いたかったのだ。
「「人間」を誘拐した事実が無くては、こんな恐ろしい人物が何も知らずに、学ばずに……また同じ犯行を繰り返します。だから、「事実」が必要なのです。
例え被害者の心が傷付いたとしても、命をまた狙われるよりマシだとは思いませんか?
黒影は「真実」に拘るが、其れは成り行きの結果に過ぎない。そして、答えは必ず一つである。
だが、私しの追っている「事実」は違う。
時を戻しただけでも「事実」を変えてしまった。然し、其処に新たな時は変わる、記憶も変えられると言う「事実」が産まれる。「事実」とは臨機応変に重なる存在。
遠並 彰のした事は我々が止めれば無かった事になるかも知れない。然し其れは行き過ぎた時の改変に思われます。私しは被害者の言葉を……生の声を聞いて来ました。
あの静かに傷む痛切な叫びを……私しは無かった事にしてやるなど、甘い事は考えていません。
黒影が記録しないのならば、私しはそんな甘い人間を信用などしない。平等……平和なる鳳凰が如何なる物かもお忘れか?誰もが……不平等の上に、先ずは立っているのです。
被害者にとっては嫌な記憶が半減する。
犯人は、人を実験台にした事を悔い改める時間が与えられる。これが……最小限の誤差で天秤の均衡を保つ方法だと私しは考える。
……黒影は優し過ぎる。
だが、事件の多種多様性に、己の感情もまた、合わせて行かなければ。
……全うして下さい。……己の成すべき役割りを。そうで無ければ此方の情報を渡さず、私しは単独行動をします」
勲はそんな事まで言い出すではないか。
黒影は調理され行く猫を見て、吐き気を覚えるだけで、見ているのが精一杯だ。
勲の言葉が、あの蒼い鳳凰の翼を思いださせる。
……僕に……足りないもの……。
……単純に、犯罪を憎み、犯人を恨む……。
……何時の間にか理解したつもりで、次が無くなれば良いと思っていた。
それは事件に慣れ、冷静さがそうさせると思っていた。
……が、同時に勲が言うように甘かったのだ。
例え「真実」の結果を導き出した時は平等に見えても、被害者と犯人は相反する真逆の存在。
犯人を許さないと言う気持ちが薄れる事など、在ってはならない。
正しいよ……正し過ぎて……吐き気がする。
僕は勲さんより、きっと歪んでいる。
「正義」や「正しさ」は風柳さんが何とかしてくれた。
探偵ならば「真実」だけで良いと切り捨てた。
だから、ろくにまともな主人公には成れなかったんだ。
勲さんの言葉は……厳しいが、「正義」も「平等」も先の「真実」すら見据えている。
何とも言えない敗北感が黒影を包んで行く。
「先輩……?きつかったら、俺が記録するんで、先輩は休んでいて下さい」
サダノブが青白い顔で俯いた黒影を心配し、帽子の下から大丈夫かと覗き込む。
……サダノブにまで心配を掛けて……。
僕は……一体……何をしているんだ……。
黒影は其のサダノブの様子を見て、しっかりしなければと顔を上げた。
確かに勲が言う事は間違いないが、自分の成す事では無い。「真実」は違うところにある。
そう……信じるしかない。……今は。
「確かに、これだけの罪ではまた被害者が出るだけ。今度は限りなく。
けれど、僕は考えます。
……何処で止めれば犯罪にならなかったのかと。
……時は既に犯罪者を作った後でしたが、もし……これで分かる事があるならば、僕は其の「真実」を見逃す気はありません。
心配しなくとも、記録ぐらいしますよ。此方は探偵なのだから」
と、黒影は「探偵」を強調し、勲とは考えや道理、得意、不得意も違って当たり前だと言うニュアンスを込めた。
「成る程……そうでしたね。先程の言葉だけで、遠並 彰は父親の遠並 英に人間を連れて来るまでの全ての遣り方を命令し実行させるだけの、脳への操り方をした様です。
お二人も遠並 彰に気付かれたら危険です。
遠並 英が警官の格好をして、遠並家から出て来ました。警笛もある。此れを幼い被害者は鮮明に覚えていた。
……そろそろ……遠並 英が被害者を誘拐する筈です。私しはある人物を呼ばなくてはならないので、暫し連絡が途絶えますが、無事は帽子の影で確認して下さい。
直ぐに遠並 英の追跡には停滞無く戻れます」
と、勲が急に一時尾行から離れると言う。
とは言え、勲の移動速度は速いので本人が言うのだから、心配する程離れる訳でも無さそうだ。
「分かりました。今、必要な事なら仕方ありません。此方は犯人が被害者に危害が及ぶ寸前で恐らく接触します。
能力者戦になりますから、此方で耐えておきます」
黒影はそう勲に伝える。
一刻また一刻と時は刻まれる。
これから避けようも無い「事実」と「真実」を連れて
緊張感で喉が渇く。
失敗して……またDer Rosen kavalierを発動する未来を考えたからだ。
少しずつ「現実」が歪み……
答えが見付け出せ無かった時……
僕は永遠に此の遠並 彰と言う犯人の奇異な行動を見続けなくてはならくなる。
軈て……僕が遠並 彰の様に狂ってしまうのではないか。
其れが当たり前の日常の感覚に陥ってしまうのではないかと言う恐怖を覚えた。
そして、次の瞬間に気付いたのだ。
此の感情は、遠並 彰自身も……壊れてしまう寸前に感じていた恐怖なのだろう。
――――――――
「警察官の格好だから、気付かれても誰も何も言わなかったんですね」
サダノブが小さな少女を連れて来た、遠並 英を見て言った。
「ああ……あれじゃあ、嫌がって逃げようとしても、悪さをして注意されに駐在所にでも連れて行かれる様にしか見えない。
ちゃんと見れば、多少警官の制服と違うが、一見なら分からない。ましてや、夕方や夜なら見分けるのは困難だ」
黒影は遠並 英の姿を見て言う。
「有難う、父さん……。これなら、難しい切開の良い練習になるよ」
と、遠並 彰は言った。
遠並 英は最早無表情で口だけ笑って不気味だ。
記憶が違うと言うだけで、此処迄人を廃人の様にし、操るのだから恐ろしい……。
いざとなれば、サダノブの思考読みを頼らざるを得ない今、黒影が小型カメラで記録を続けている。
「勲さん……」
勲の赤いリボンの付いたシルクハットが浮くと、其の姿を現した。
「遠並 英を逮捕する専用の要員を、既に出入り口に待機させています。」
「専用の……要員?」
勲の言葉に、此の見知らぬ地で頼れる者などいたかと不思議に思った黒影は聞く。
「黒影も良く知る人物です」
と、勲は答えるだけだ。
勲が言うのだから、少なくとも敵ではないし、知っている人物であれば警戒する必要も無さそうだ。
「了解。……あっ!うっ……」
黒影は思わず口を袖で覆う。
とうとう遠並 彰が真っ黒に焼き上がった猫を食べ始めたからだ。
「黒影……あれが、人に見えますか?」
勲は黒影の背を優しく摩り乍ら言った。
黒影は言葉には出せなかったが、首を横に振る。
食事が終わると、綺麗に骨だけをゴミ箱に捨てている。
完全に食糧なのだ。
ーー⚠️お食事中注意範囲、此処迄。
監禁されていたが故に、食糧として本来口にする物との区別もつかない。
この場合、緊急時と同等で此の行為は罪には問われないだろう。
「何で遠並 彰は父親の記憶を操って動かせるのに、鍵を開けて逃げないんです?」
サダノブが不思議そうに黒影に聞いた。
「遠並 彰が監禁された期間に問題がある。
恐らく、此の状況は物心付いた頃か、その前からに違い無い。産まれ育った環境……彼にとっての当たり前が此の状況なんだよ。
周りを余り知らないから、外に出るのは逆に怖い。彼にとってこれは監禁では無く、快適な棲家だと思っている筈だ。
父親の遠並 英も言っていただろう?「如何だ、良い環境だろう?」と。
あれがきっと口癖だったんだ。
自分は最高の良い環境を用意されている。
だから、母親の為にも、父親に応える為にも、早く実技を上手く成らなければと、自分に課しているのだろうな。
監禁と言うより……正しくは洗脳に近い物があったのかも知れん。切り刻むだけの……哀れな人の成れの果て……だな」
「……そう哀れんでばかりもいられない様です。
これが人ならば……幾ら洗脳を受けていても罪は罪。
彼は己を守る為に記憶を操作する能力を欲し、それが運命的に叶った。黒影が以前言っていた「願い」に反応して、能力は産まれる。明らかに間違っている……彼は」
「……間違い?」
黒影は幼い少女が遠並 彰と置き去りにされたのを確認した。
瞳を真っ赤に変え、鳳凰の炎を移し殺気を押し殺している状態である。
「最初は自分を守る為にだったかも知れない。
然し、今は如何見えますか?逃げようと思えば此処から脱出出来る。
それもせずに、父親に誘拐を指示した首謀者なのですよ、彼は。歪んでしまった彼の時を戻せるのは……今の「黒影」……君の鳳凰しかいない」
勲はそう黒影に言ったのだ。
遠並 彰は連れて来た少女をメスで脅し椅子に座らせ、ロープで後ろ手を結び動けなくした。
両足も可哀想に椅子の足にロープで括られた。
其の子供は……勲と話した被害者の清白 菜津美(すずしろ なつみ)の幼い頃の写真とは輪郭から言っても全くの別人である。
もっと前から……子供の誘拐も当たり前に行われていたのだ。
遺体が見付かっていない……。まさか……。
黒影はこの事実にある一つの大きな疑問を持った。
「未来で死んでいる筈の人物をDer Rosen kavalierで、過去に戻った時に助けたら……運命が変わり、蘇る事になるのか?」
誰に聞くでも無く、考え込む様に言った。
「変えられた時を正常に戻すならば、そうなんじゃないですか?」
と、勲も半信半疑の様だ。
「……其れは成りません。黒影様、勲様」
聞き慣れない女の声に三人は驚いて一斉に振り向く。
「あら?そんなにジロジロ見ないで下さいません?お恥ずかしい……」
と、貴婦人が現れたのだ。
制服を見るからに、Der Rosen kavalierの時の使徒である事は分かる。
「君の名は?」
黒影が思わず聞いた。
「映画?」
サダノブが何かギリギリの事を言った気がする。
「何だか危なかった気がするのですが、気の所為にしましょうか」
勲が慌てて訂正し、何事も無かった様に涼しい顔をしている。
「私しの名はsevenに御座います。「7」の時を守護しております。死んだ者には残念乍ら時はありません。消滅してしまいます」
と、sevenは言うのだ。
「だったら此のまま、あの少女が殺されるのを黙って見ていろと?」
黒影は勿論、そんな事は出来ないと聞いた。
「はい。黙認するしか御座いませんわ。あの少女は目には映っておりますが、過去の残像にすぎません。謂わば、幽体の様な存在です。助けようにも、擦り抜け何人たりとも触れる事さえ出来ません」
sevenの答えに、
「では何故あんな残像を我々にっ!」
黒影はそんな事だったら見たくは無かったと思い言った。
「「事実」と「真実」は時に残酷な現実からも見えるとお聞きしました。本当に何も出来ないとお思いですか?私しにはそうは見えません」
そう言うなり、sevenは傘に顔を隠し、傘をくるくると回したかと思うと姿を消したのだ。
時の変えられぬ理だけを、時を守る者として伝えに来た様だ。
「大丈夫だよ。安心して。……僕はただお友達が欲しいんだ」
遠並 彰がそう言って少女に近付くが、少女は身動きが取れないのだから、当然怯えてカタカタ椅子が鳴る程震えている。
残像だと分かっていても……出来る事……。
黒影はサダノブに言った。
「此の少女の捜索願いが出されている筈だ。調べてくれないか」
そう……力無く言った。
出来る事は……此の子の残像では無く、ご遺体を家族の元へ戻してやる事だと、気付いている。
何故亡くなったのか……殺されなきゃいけなかったのか……
そう何度も嘆き
何故ウチの子が……あの時一緒に出掛けてやれば……
と、ご遺族には何も罪は無いのに
空想の罪を作り上げ苦しみ生きるのだ
ご遺体が見付かったら、少しは癒える物があるかも知れない。
然し其れは、一時悲しみを止め、再び違う悲しみへ向かわせるだけなのだ。
僕等に出来る事は限り無く少ない。
ただ、目の前の幼い被害者が家に帰り、安寧に帰してくれればと願うのみである。
鳳凰とて……其れは……願いなのだ。
願えるのならば……何も無かったZEROに……帰してやりたい。
ーーー
少女は叫び泣きじゃくる。
パパ、ママと家族の名を読んだ。
三人共、流石に其の声に見るも耐えかね俯く。
「何だ……。お友達になれないのか。案外、難しいんだな」
そう言って、遠並 彰は叫ぶ少女の喉をメスで掻き切り、煩かったからか舌を引っ張り出すと切り落とした。
血が部屋の半分を覆う程飛び散る。
其れを見ると遠並 彰は遺体から血を抜き、壁を鼻歌を歌い乍ら掃除し始めたのだ。
其処にふらりふらりとさっき出て行ったばかりの父親が戻って来たではないか。
するとまた記憶を書き換えられたのか、死んだ少女のご遺体を椅子毎持って出て行った。
「遠並 英の方、尾行してきます」
そう言って勲は蒼い炎を散らし、流れ星の様な速さで影から影を伝い、姿を消した。
黒影は少し安堵する己に気付き、不謹慎だと思った。
思ったよりバラバラに刻まれたり、食糧として殺される姿を見ずに済んだからだ。
然し、友達が欲しいと言う純粋な願いすら、彼は叶え方を知らない。
独り孤独を望み生きた遠並 彰の僅な成長だったのかも知れない。
間違えてしまったのだ。
無知とは……時に罪である。
ーーー
「今日はもう大丈夫ですかね」
サダノブは流石に一日に何人も殺さないだろうと、記録は其の儘に、壁を背にして滑り落ちる様に座り込んだ。
黒影もやっと、座る。
後は勲の現在地を発信機で追ってはいるが、ご遺体を遺棄された場所が分かれば御の字である。
遠並 彰も、手術台に簡易マットと布団を敷き、眠る様だ。
彼の家は此の幽閉の巣。
まるで蜘蛛の様に此処で生き、獲物を仕留め息をまた潜める。
サダノブも黒影も、小窓の下から寄り添い夜空を静かに見上げる。
「先輩……」
「ん?」
「やっぱり勲さん……言葉は先輩より丁寧でも、言う事がシビアですね……」
と、サダノブがぼんやり言った。
「其れが……「事実」と言うものだ。変えられない……シビアな現実の事だよ」
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