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"見えないものを見る力"を持つ
先日の土曜日は夏日で蒸し暑く、
これが10月半ばを過ぎた一日かとウォーキングをする気も起きなかったが、昨日の日曜日は、季節は三段跳びで秋の半ばを通り過ぎたようだ。読書の秋の突入だ。そんなことで、昨日はウォーキングの前後に、積ん読してあった書籍を手に取って読んだ。
私は、ウォーキングや仕事の途中で、よく日本橋丸善や丸の内オアゾの丸善に立ち寄る。店内をブラブラして、「いつか読むだろう」と思った本を衝動買いする。ネットでは、この本を買おうと思って買うのだが、リアルな店舗では専ら衝動買いをする。この本はそんな衝動買いの一冊だ。
「見えないものを見る力」(大平浩二著、PHP)
帯には、
「ネガティブ・ケイパビリティ」(成果に至るまでの苦しい道のり)のなかで、経営者は何を見つけ、事業に生かしてきたのか。
「従来とは異なる視点」の身につけ方を経営学者が分析する。
経営者の努力と思索は、その人の"内側"に徐々に時間をかけて熟成され、そしてある日突然、成果に結びつく具体的なアイデアとして結実することがあります。
アイデアや着想が湧いて出ることを、通常"発見"と呼び、科学の世界では「科学的発見」と呼んでいます。本書では、多くの経営者が経験し達成してきたけれども、外側からは見ることが難しい、長く苦しい道筋に、「ネガティブ・ケイパビリティ」というキーワードを"共通言語"とすることによって、近づけるのではないかと思います。
とある。
まえがきの出だしには、こう書かれている。
近年の企業経営に関するトレンドは、企業の評価を、主として数値というデータで評価するようになってきています。例えば、企業経営の指標でよく利用されるROE(自己資本利益率)がその嚆矢ですが、つまるところ最近のESGやSDGsなども根本はそうです。その方が一見客観的ですぐにわかりやすいからでしょう。
このようにして企業経営だけでなく、社会全体が目に見える経営価値上の"数値"に代表される可視的な指標に左右される傾向が強くなってきています。これはこれで大変便利なのですが、他の一面で、経営者だけでなく、多くの人たちの視野を狭め、創造のプロセスとその土台となっている思想や哲学を破損することにもなりかねません。
新しいことを成し遂げた人に共通するもの、それは成果に至るまでの苦しい道のりを乗り越えていることです。
その苦しい道筋「ネガティブ・ケイパビリティ」(成果に至るまでの苦しい道のり。曖昧な状況に耐え、辛抱強く地道な努力を続ける能力)をキーワードとして、通常外側からは見ることが難しい、「成功までの続ける力」や「開発・発見・ひらめき」を経営学者が分析します。新しい視点での経営成功法則を探ります。
"見えないものを見る力"を持つことが不可欠な人は経営者のみに限らない。人間として生きるにあたり、「数字には現れないものを如何にして理解するか」、「人間の存念を如何にして把握するか」、それができる人が"人間力がある人"とか"器量がある人"と言われるのだろう。
現代は「見えるものしか見なくなった時代」、「見えるものしか見ようとしない時代」になりつつあるのではないか。これは、思想や哲学の危機の時代でもある。
著書は経営学という学問を生業とする学者先生であり、学問(科学)は目に見えるものだけを扱うことによって成立するのだと。
すなわち、現実のデータから「仮説」をつくり、そしてそれをまたデータで「検証」するという手法をとる。
それに反して、個人の考えや思想というものは、その内容からしてデータ化が難しく、科学(学問)の対象にはなかなかなり得ない。
著者は、「経営上の成果(製品や商品、そして売上高や利益)だけに目を向けず、むしろそれに至るまでの"長い経験や努力・苦労"の方がより重要ではないか、実証できないとして意識的に避けてきたこのプロセスこそより重要ではないか」と気づき、この本を認めたのだと。
私は経営者の落第生であるが、
「人間として如何に生きるべきか」「世のため人のために生きることが人生の目的である」
「"謙虚と感謝の心"、人を思いやる"恕の心"を持つことが、幸せに生きる最大の要諦である」
「人は人のために生きる」
という人生哲学を稲盛和夫さんから学んだ。
そして、経営とは人生そのものであり、これからでも"私なりの成功した経営"を果たしたいと思う。決して遅くはない。古稀を過ぎた老人であっても経営の成功は成し遂げることができると思うに至った。
松下幸之助さん然り、本田宗一郎さん然り、素晴らしい経営者は揺るぎない哲学を持っていらっしゃる。それぞれの哲学は微妙に違うが、その根っこには「人間として如何に生きるべきか」があり、究極は「真善美」に行き着く。
その経営哲学を極めることで、彼らの経営の成功はあったのであり、皆さん、尊敬できる素晴らしい人格者になられたのだ。
"見えないものを見る力"を持つことは、生きる哲学を持つことである。
姑息な手段で短兵急に成果を求めず、正面突破でまっしぐらに突き進むことだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)