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ボランティアをビジネス化する
私の人の好い性格やビジネスセンス皆無の才のなさをよくご存知な、ザックバランにお付き合いをしている先輩のうちの何人かに、間々言われることがある。
「小林は商売には向いていない。お坊さんか教育者か、そんな“人に法を説く仕事”が向いている。小林にはボランティア活動はピッタリの仕事じゃないか」「“能登の復興、創生の応援”は小林らしい、小林ならではの仕事だと思うよ」と。
ボランティア(英: volunteer)は、 個人またはグループが、社会奉仕のために時間と労力を無償提供する自発的行為。又はその無償労働者。
小学校の時、父親に言われた。「お前はバカ正直で海千山千の商売向きじゃない。公務員かサラリーマンで、安定的に給料を貰うことができる勤め人が向いている」と。
また、決して人を騙すことなどできはしない、気性が真っ直ぐで、誰よりも人の好い義母には、「博ちゃんなら、私でも騙すことができる」と。
生まれ持った性格は、一朝一夕では変わらない。それに加えて、私は一人っ子で、祖父母に、それはそれは大事に育てられた。
「嘘をつくな」、「人を騙すな」、「正直が一番だ」、「真面目に一生懸命生きろ」、「人のために生きろ」、「“玉磨かざれば光なし”だ。陰日向なく努力精進せよ」、「苦労は買ってでもせよ」等々、ごく当たり前の、人としてあるべき生き方を無学文盲の祖父母が教えてくれた。
そして、ますます、世間一般でいうところの“商売には向いていない人間”になった。
昔から、「商売人は生馬の目を抜いて生きている人だ。だから、お人好しの私は商売には向いていない」と思っていたし、今もそう思っている。
高校時代には、「東大に入って、官僚になって、能登から国会議員に立候補しようか」と政治家に憧れた時もあったが、政治家は商売人よりえげつない人種のようにも思うし、私にはできそうもない。第一、私にはそのような能力もない。
銀行に入って、人事教育に携わった。
これからの時代は、“所属価値より存在価値”だと田中真澄先生から教わった。“自分の得手を磨くこと”だ、“誰にも負けない自分の得手を持つこと”だと。
松下幸之助さんや本田宗一郎さんに憧れた。
真っ直ぐに、思いを想いにして、念いにして、それを絶対実現できると思い、それを果たそうと創意工夫して行動すること。そんな生きる哲学を持つこと。そんな哲人経営者に憧れた。
しかし、それにはそれを為す才が伴っていなければ、念いは果たすことができないだろう。残念ながら、その才を私は持ち合わせてはいない。
40歳を過ぎて、銀行でベンチャービジネスの開拓をしていて、何人かの盛和塾の塾生の社長たちに出会った。
彼らたちに稲盛和夫さんをご紹介され、それがきっかけになって、バブルが弾けた時の銀行の右往左往する姿を見て、「これからの銀行は私が生きていくところではない」と思って、44歳で中途退職した。ちょっと若気の至りだったが。
稲盛さんは稀代の哲人経営者だ。中小企業経営者の魂を虜にしてしまう、稲盛さんならではの確固とした哲学を説かれる。
それで、私も何とか経営者の端くれになれるのではないかと錯覚してしまった。決して稲盛さんのようなメロンになろうとしたのではないが、トマトはトマトらしく生きるという"汝自身を知れ"の箴言を血肉にしていなかったのだ。
それから、右往左往、紆余曲折、七転八倒の四半世紀を送って、今日に至っている。
遅かりし由良之助か。いや、そうではない。
古稀になって、生前葬と出陣式を執り行い、新しい第二生を送ろうと思った。
今年の元日にふるさとの能登半島が地震に見舞われ、ふるさと能登の復興と創生を応援しようと思った。思いが想いになり、念いになって、これが第二生のミッションになった。
まずは念うことだ。能登の創生を念うことだ。全ては念うことから始まる。何事も「念ずれば通ず」。
それは、具体的にはボランティアから始まる。能登ために時間と労力を無償提供することから始まる。
しかし、その無償提供はいつまでも続けることができるものではない。人間は霞を食べて生きていくことはできないのだから。
これから10年〜15年〜20年、いや30年になるかもしれない。長く能登に貢献しようと思うのであれば、ボランティアをビジネス化することが不可欠なのだ。
哲人経営者の皆さんはビジネスをボランティアに高める能力がある。世のため人のために尽くすことが経営であると思って経営をするから、自ずとボランティアになる。
私はビジネスセンスがないからボランティアから入るしかない。しかし、このボランティアがビジネス化していかないと、ボランティアを長続きさせていくことができないのは当然のことだ。
そこのところが今の私の最大の課題だ。
ミッションは、もう決してブレることはない。ブレることができるそんな余裕がある若い歳ではない。
また、"汝自身を知れ"の箴言もしっかりと頭のど真ん中にある。
私のミッションを果たすためには、私の足らずをカヴァーしてくれるビジネスセンスを持ったパートナーがいてほしい。あとは、たったこのひとつ、それだけだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)