"一匹パンダ"で生きていく
"喜怒哀楽"のうち、人間の成長に妨げとなるものは"怒"ではないかと思う。
"喜び"や"哀しみ"や"楽しみ"は、人間の心を豊かにしてくれるが、"怒り"はその逆で、人間の心を貧しくするものだと思う。
"怒り"を、如何にして、上手にコントロールして生きていくかが、人間の成長と幸せにつながる。
[アンガーマネジメント]
忙しいと、ついイライラして人に当たったり、一方的に無理な要求をしたりして、後で後悔することになります。
そうしたときには、「6秒ルール」を意識することが役に立ちます。
「6秒ルール」というのは、腹立たしい気持ちが強くなったときに、6秒間だけ、その気持ちを表に出さないように我慢することです。
腹が立ってきつい言い方をしたくなったら、こころの中でゆっくりと1から6まで数を数えてもいいでしょう。
怒りの気持ちは、海岸に打ち寄せる波のようなもので、一時的に高まっても自然に収まってきます。
怒りというのは、相手が自分の期待に応えてくれなかったときに出てくる感情です。
その裏には、こうしてほしいという期待が隠れていて、その期待が裏切られたために、何とかしなくてはと考えて「怒り」というこころのエネルギーが高まります。
ですから、そのエネルギーを使って期待する方向に進んでいくことが大事です。
感情に任せて思いっきり感情をぶつけてしまうと、そうした現実から遠ざかるばかりです。
そのようにならないためには、「6秒ルール」を使った後に、どのような言い方で何を相手に伝えると自分の期待が実現する可能性が高いか、その戦略を考えてみるようにします。その内容を一度こころの中で練習してみてから、落ち着いてそれを口に出すようにしてみてください。
3分間待たなくても、たった6秒、グッと我慢すれば怒りは収まってくるのだとか。
最低、それくらいは、"グッと我慢する"ことをすべきであろう。
しかし、6秒くらいの我慢で全く収まらないことも多々ある。
いくらじっくり考えてみても理不尽なことは理不尽だ。人間としてあるまじきことをされた場合は、6秒ルールは全く役に立たない。
それでもグッと堪えて、「どうして、そのような理不尽なことをされたのだろう」と、穏やかな気持ちになって、無理しても穏やかな気持ちになろうと思って、じっくりと考えることだ。寝て起きるくらいの時間をかけて考えることが肝要だ。
その時の大切なことは『恕の心』を以て考えることだ。『恕の心』とは"思い遣りの心"のこと。相手の立場に立って考えてみることだ。
一匹パンダの私と違って、サラリーマンは柵が多い。中間管理職は、上の下に挟まれて悩みは尽きないだろう。くだらない忖度もしなければ生きていけないと思うのはおおかたのサラリーマンだろう(私は44歳の時、若気の至りで"怒髪天を衝く"思いで銀行を中途退職した。長い人生を考えると、結果オーライだったが、それは結果であって決してそのような怒りの心で判断をすることはいいことではない)。
その人がサラリーマンだったら、そのことを考えることだ。「普通のサラリーマンだったら、こんな時はこんなことを考えてこんな行動に出るだろう。私の生き方とは違うのが当たり前だから、こんな反応や対応をするのだろう」と思えば、「その人は可哀想な人なんだ。そんな人に怒りをぶちまけたところで、いいことは何もない」という結論になる。
そして、「これからは、そのような人との付き合い方を考えよう」、「では、どうしたら目的を果たすことができるのかを、いろいろなルートを駆使してみよう」と冷静になって、前向きに考えることができる。
美空ひばりの『柔』ではないが、「バカを相手の時じゃない」のだ。いや、その人はバカではないが、可哀想なサラリーマンなのだ。
決して、サラリーマンは気楽な稼業ではない。可哀想な人たちなんだ。ほとんどのサラリーマンは、皆んなグッと我慢して生きている。
「皆んな、たくさんの柵の中で生きているんだなあ」
この四半世紀、一匹パンダになって、何とか自由気儘に生きていくことができるようになって、何と私は幸せな人間だろうと、心からそう思う。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)