料理エッセイに浮かぶ風景
懐かしくて、温かい。井上荒野さんのエッセイを読んで、久々にしんみりした気分。特にお雑煮にまつわるエッセイで、幼少期の思い出がふっと湧き上がってきました。
井上さんのご実家は博多式のお雑煮だったとの記述から、我が家のお雑煮史について、いくばくかの思いをはせて・・・。私は九州出身ですから井上さんのお家と近い雑煮かと思ったら、随分違うもの。
お雑煮ってバリエーションが豊富で、フォーマルなようで実はプライベートな食べ物だと思う。最も家庭の匂いが出やすい料理。小さい頃の思い出を紐解くと、我が家のおせちは父方の実家由来。本家のおばさん直伝のおせちです。
このおせちおばが作る料理としては異例な味つけでした。元々は本家は日頃から薄味で、ご飯を呼ばれる時もいつもさっぱりしていた。私はおばの作る味が好きで、おそらく塩分が控えめでヘルシー。
祖父母と同居する本家のおじ夫婦は、同居する祖父母の事も考えてあえての薄味。たまに我が家に遊びに来た祖父母が、うちの濃い味付けを変に気にいってしまった事も・・・。
ただ日頃の薄味のおかげか祖父母とも長命。自宅で最期を迎えられたのは良かったのではないか。そんなおばがおせちだけは、珍しく濃い目の味付け。年に一度しか食べないもので、そういう時だけは祖父母が好きな味付けに、合わせていたのかもしれません。
年に一度我が家でも並ぶおばさん直伝のお雑煮。母はほぼ完全に再現しているので、たとえ会えなくても本家のおばさんの事をふと思い出します。と同時に私はあなたの薄味が今でも好きという思いも込めて。
何の気なしに読んでいた料理エッセイから、とりとめのない事を思い出すとは、自分でもびっくり。腕のある書き手さんは、ただご本人の書いた文章以外にもっと多くのものを想起させ、独り言ちる時間を与えてくれるのかもしれませんね。
おせちに限らず食べ物って、どうやら何らかの淡い記憶と結びつきやすいよう。感傷的とも違う不思議な気分に包まれての読書タイム。今年のお雑煮は私がある程度再現してみたい。今は亡き祖父母の思い出と共に・・・。美味しい記憶は、優しい記憶であってほしいなぁ。
今回の読書は井上荒野さんの書かれた荒野の胃袋でした。ほんのりおいしいエッセイと、家族について考える時間を与えてくれた本書。ご馳走様でした。