発達性トラウマ
「発達性トラウマ」という言葉を耳にすることが増えてきました。
この言葉は、ベッセル・ヴァン・デア・コークさんというオランダ出身の精神科医が提唱した言葉です。ただ正式な診断名ではありません。ですが、この考え方は、多くの人の苦しみを紐解く役割を果たしているなと感じています。今回はこの「発達性トラウマ」について解説してみたいと思います。
トラウマの分類
トラウマというと、思いつくのがPTSDという診断名ではないでしょうか?
似たようなイメージを持つと思いますが、この二つの関係性は「トラウマ」を受けることで「PTSD」の症状を呈するようになる、と考えるのが正しいです。
よくベトナム戦争からの帰還兵が、ヘリコプターが飛ぶ音を聞いてパニックを起こす現象を例に解説されますが、この場合は、戦争体験という「トラウマ」が、フラッシュバックや緊張状態といった「PTSD」症状を引き起こす、と考えます。
今では、戦争に限らず災害や大きな事故といった命の危険に遭遇した人が、その後もフラッシュバックを経験したり、ちょっとしたことで気持ちが動揺してしまうなど、高いストレス状態が長く続くものを示す、という診断基準があります。この場合は、原因が明らかに一つと限定できことから、単純性トラウマとも呼ばれています。
【PTSD四大症状】
◉再体験(フラッシュバックや悪夢が突然襲う)
◉回避(ショックな体験を受けた時と似たような状況を避ける)
◉否定感情(自分や他人、社会に対して否定的になる)
◉過覚醒(ちょっとしたことでビクッとするなどの緊張状態が続く)
↑こういう状態が何ヶ月も続くと日常生活に支障が出てきます。
徐々に落ち着いてくるのであれば問題ないのですが、心に深い傷を負っていると、長引いてしまうことがあるのです。
これに対して、複雑性PTSDがあります。
これは、上記のような症状は同じなのですが、加えて、長期にわたって傷つき体験が継続することで、次第に自尊心が失われ、同じような経験を積みやすくなってしまう、という場合に当てはめられます。
わかりやすい例としては、虐待やDVなどがあげられます。
幼少期に虐待を受けて育った人は、大人になっても、深い心の傷が癒えなければ「自分はダメな価値の低い人間だ」と自己肯定感が下がったまま、心の底ではオドオドしながら生きることになります(それを打ち消そうと自分を大きく見せようと振る舞うこともあります)。
そんな状態の中で、自分を傷つけようとする相手と出会ったとしましょう。
身を守るためには、相手に「NO!」と伝えたり、怒って抗議したり、制止できなければ相手から離れてもいいのです。ところが、そうすることができなくなる。自分が傷つく関係から逃れたり、身を守るための手段を取ることができずに、くり返し傷を深めてしまうのです。
そして、さらには虐待やDVに限らず、慢性的にくり返された高いストレス状態の中で幼少期を過ごす場合、心や脳の発達に広範囲にわたって影響を残してしまう状態を「発達性トラウマ」と呼ぶようになった、というわけです。
トラウマを受けた脳の中をのぞいてみると
発達性トラウマの考え方で興味深いのが、トラウマが心理面での影響だけでなく、からだや脳にも連動して影響を与えると考えるところです。
強いストレスがかかると、からだが敏感に反応することは、誰もが経験したことがあると思います。例えば、胃が痛んだり、口内炎ができたり、風邪をひきやすくなったり。同様のことが、脳の中にも起こると考えるのです。
■扁桃体への影響(不安や恐怖を感じやすくなる)
頻繁に、そして長期にわたって不安や恐怖を感じることで、脳の中の扁桃体(不快な感情に関与する部位)が活発になり、ちょっとした刺激でも、すぐに不安や恐怖を感じやすくなる。
■海馬への影響(突然過去に体験した恐怖がリアルに襲う・幼少期の記憶を全て失うなど、記憶の問題を抱える)
強い精神的なストレスを度々浴びると、記憶を保持したり、記憶を強める役割を持つ海馬が萎縮。海馬がうまく機能できなくなることで、恐怖体験が突然リアルに思い出されたり(フラッシュバック)、反対に、子ども時代の記憶を全く思い出せなくなってしまう。
原因は…?
では、どのようなことが原因として考えられるのでしょう。
子ども時代に受ける慢性的な強いストレスを手がかりに考えてみましょう。ここでは、虐待やDVといった明らかにわかりやすいものではなく、わりとよく起こりがちで、でも見えにくいものにあえてたとえてみたいと思います。
今の世の中は、子どもから大人、お年寄りまで、多くのストレスが待ち受けています。一歩外に出れば、あらゆるストレスが襲いかかってくるので、気を抜くことが難しいほどです。
でも、一旦外の世界から家の中に戻ると安心に包まれて、心も身体もゆったりと安らぐことができる。昔と違って現代の子どもは、外の世界が危険に満ちてくるほど、安全基地としての役割を果たす家庭が重要になっていることがわかります。家庭が安心できる場所として機能できれば、たとえ外で傷つけられたとしても、その経験をバネに変えていくこともできるでしょう。
ところが、家庭の中が安らげる場ではなくなってしまったら。今の時代は、各家庭が孤立しています。孤立しているということは、バランスを崩しやすいということ。それは、子どもにとって、逃げ場のない状態に置かれてしまうことを意味します。しかも、親が抱えるストレスも相当なもので、日々社会の中でもまれ、不安と隣り合わせで生きているのです。
期待と願望に傷つく子どもたち
家庭の中が安らげなくなる要因に、親から向けられる「期待」と「願望」があります。子どもが将来幸せになることを、期待したり、願うことは、親として当然です。
ところが、意識の上ではそうであっても、親の意識の下(無意識)に大きな不安が渦巻いていたら…と想像してみてください。その不安は、大きいほど「期待」や「願望」は押し上げられ、目の前の現実(子どもの心模様)に気づかなくなってしまうのです。つまり、子どもの心とのミスマッチが起こるのです。
なぜ、期待と願望が膨らんで、子どもの心とズレが生じてしまうのでしょう。
原因は、いくつも複合して起こることが多いので複雑です。
親側の要因でいえば、親が不安に揺れやすい性質であったり、そもそも自分の感情に気づきにくく不安を鎮めるのが下手だったり、核家族が当たり前の時代に夫婦で協力し合うことが難しかったり、親の精神面がとても幼く未成熟であったり、親自身の幼少期からの記憶に要因があったり…などなど、いくつもの要因が絡むことが多いです。
感受力の話であれば、社会的に地位が高いとか、良識的な人かとか、仕事をテキパキこなすといったものとは全く別の軸が必要です。相手の感情に鈍感な場合、言葉で語られなければ、相手が何を感じているのか汲み取るのが下手だったりします。
例えば「千と千尋の神隠し」の両親を思い出してみるとわかりやすいかもしれません。
一見すると問題を感じませんが、でも感受力の低さはわかりますよね。
子どもも同じような感受力であれば問題は起こりません。でも、感じやすい子であれば、どこかズレた感じを抱え、寂しさに気づいてもらえない感覚を抱くことになります。
また、親自身の生い立ちに要因がある場合を例にあげてみましょう。
幼少期に刷り込まれた記憶は意識することが難しいほど、本人の中に染み渡ります。そして、数十年経った今でも、傷つき体験の記憶(【例】「いい子でいなければ愛されない」「頑張らないと褒めてもらえない」など)が鋼鉄のように足に絡みつき、心の自由を奪っていきます。そして、大人になった後も、対象を子どもに置き換えて「いい子に育てなきゃ」「頑張り屋さんに育てなきゃ」「褒められるような子に育てなきゃ」と肩に力が入ってしまうのです。
子どもによって違うのは…
同じ親に育てられながらも、子どもによって違った様子を見せるのはなぜでしょう。それは、子どもの性質の違いや、様々に環境の違いが起こるからです。
例えば、逃げ場を失った子どもでも、外に飛び出していける力のある子であれば、親に反抗しながら、足に巻きつこうとする鋼鉄を蹴飛ばし、自分の力で逃れていきます。ところが、繊細で感じやすく、相手の気持ちを敏感に読み取る性質の強い子の場合、恐ろしいほどに人の気持ちに敏感に反応します。親自身が気づいていない無意識の期待や願望までもを敏感に感じ取りながら、期待に答え続けようとするのです。
そうなれば、自己決定する力は弱くなり、自信がない分、誰かを頼りたくなる。そうやって、親子の密着は歪なカタチのまま続くことになります。そうこうするうちに自立の時を迎える頃、離れたいのに、離れられない子どもと、離れなくちゃいけないけど、離れられない親の関係が、お互いを苦しめるようになるのです。
自分を取り戻す
ただ一方で、このような展開は、チャンスでもあると思っています。
何のチャンスかというと、子どもが自分を取り戻すチャンスです。
親が示し、親が期待してきた通りに生きようとしてきた自分に別れを告げ、心の中の本当の自分の声を聞き、その声を手がかりに生きようとするのです。
このプロセスはとても重要です。周囲は、何が起きたのかと理解に苦しむかもしれません。本人も混乱していることがほとんどです。でも確かなことは、今まで通りに生きる事は難しいと気づき始めたという事です。
大切なのは、まずはゆっくりと心の底から安らぐこと。歪んだカタチで適応することに囚われていたので(常に周囲の意に沿うことで生きてきたこと)、一旦それを止めるのです。
それができれば、立て直しも早いです。時間をかけてつくりあげた「生き方の癖」のようなものですから、焦らず、時間を巻き戻して取り戻すかのように心底安らぐ時間を確保できれば、生きる力は充電を始め、再び歩み始めるようになるのです。
ただ、この時に、親側も自分の生き方を見直せていることが重要です。自分を振り返る力の弱い親の場合は、無意識に今までと同じ関係性を築いていこうとしますので、その関係から逃れられない場合、子どもの苦しみは長引きます。
親を責めているわけではない
このようなカラクリの紐解きを、親が目を背けてしまうには理由があります。それは、自分を責めてしまうからです。「育て方を間違えてしまった」と罪悪感に襲われてしまうのです。
でも、そうではありません。親として子どもの幸せを願うのは当然です。この子を大切に育てたいと思っているわけですから、育て方を間違えたわけではないのです。
ただ、この場合でいえば、子どもは親が思う以上に繊細で、感じやすく、人の気持ちを敏感に感じ取るセンサーを持ち合わせていて、親の関わり方が自分に合わなくても、反抗することなく、自分を押し殺してでも合わせようとしてしまう、という面が強いということに気づけていないのです。一般論や既成概念から子どもを捉えようとするのではなく、あるがままの我が子の姿から、その心模様を「感じ取る」能力が必要になるのです。
「感じ取る」というのは難しい作業です。子どもは、気持ちをうまく言葉にできないものですし、そもそも親子で備わっている感受性にも個人差があるわけですから。だから、いろんな人の助言や関わりが必要なのです。
つまり、良かれと思ってしたことでも、うまくいかないことはあり、その時は、すぐに修正をかけることができるかどうか。間違えないことが重要なのではなく、人は間違えるものなので、その時に気づくことができるか、なのです。
そして、修正をかける際には、自分では気づかないことがたくさんあるという思いに至ることも大事です。そして、専門知識を持つ人を頼り、どんどん助けてもらう「人の輪」を広げていこうとすることが、解決への近道になります。
どうしてもそれができない場合は、子ども自身がどんどん成長してしまうことです。親に期待するのをやめ、いろんな大人の力を借りながら、自分をさっさと育ててしまおう!とすることです。そのチャンスを与えてくれる社会の仕組みこそが大急ぎで必要なんだと思うのです。
鶯千恭子(おうち きょうこ)