読書感想 「義父母の介護」村井理子著

村井理子著
義父母の介護 新潮新書

自分の腹の中にしまっていたホンネをググっと吐き出してしまいたくなる、そんな本。

介護でググっと、認知症で涙。

これが今の自分の環境である。
私、40代2人暮らし。
好むとか好まざるとかではなく、私の日常の話題は子育てじゃなく、介護の方が近いのだと、そのことに気がついて軽く驚く。
あー、なんだか描いて未来とは違ったなー。
普段はそんなこと感じもしないんだけれど、この本読んでいたら、自分の日常が見えてきちゃった。

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P222 私の心の花が一輪枯れるとき

私が義理の両親介護に時間を割いているとき、最も心削られるのが、「家族の昔話」を彼らから聞かされることだ。例えば、先ほどの誕生会のような義理の両親と夫、私というメンバーでの会食も、私の中ではもう「介護」にカテゴライズされているのだが、そこで繰り広げられる家族の昔話は、もちろん微笑ましいものの、私には苦痛なときがある。

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この文章で気がついた。
わたし、介護してるじゃん。

どこからを介護というの?
そんなこと考えもしなかった。
日常生活のお世話(特に身体介護)を「介護してる」って私は思い込んでいた。

その人には指一本触れていないけれど(「掻いてほしい」と言われて渋々肘を掻いたことはあるが)、私のしていることはその人の生きるを支えている。
病院や施設とのやり取り、ケアマネさんとの会話、使える制度の申請、ワクチンの手配、本人との面会、本人のための買い物。

これ、介護だ。

苛立ったり、悲しんだり感情のジェットコースター。家族とのぶつかり合い、無くなる自分お時間、息切れ。
自分でコントロールできないことばかりを思えてしまう。巻き込まれ感。
私は自分の介護まわりについてカウンセリングを受けている。
それで巻き込まれをリセットしている。
「もうなんにもしません。もうやーめた。」も大事に手札に持ちながら、介護に関わっています。

実家は、認知症の父が母と兄家族のサポートで生活している。
兄一家も相当大変なはずと気がつきました。
父母と物理的に距離を置いていることに、正直私はホッとしている気持ちを感じている。
兄一家はそれができない。
感謝とか感謝とか感謝とか、伝えてないな、私。

本の中の義父母、読んでいる私もキィィィィってなる。
でも、でも、こうして文字で読むと
絆がどんなにいびつで、時代に合わなくて、独りよがりであっても、ひとつの絆の表出なのだと感じました。
自分の両親を見ていてもそう感じる。

自分では介護と思っていないけれど、しんどさを感じている人に届いてほしいな、この本。


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