アナタの「普通」はボクの普通ではない
わたしが仕事を嫌になる瞬間は、やり取りの中で「普通は」とか「それはそちらの問題」とか自分の中の当たり前を振りかざされときです。
今日は、当たり前を振りかざされ、併せて詰められるような言い方をされて、応えることに必死でドヨーンとした気持ちを抱えて過ごしました。
相手の言っていることも分かろうとしている分、自分の至らなさを恥じる時間が長引いています。
取引先と次回以降の会議の日程調整の連絡を取っていたときです。
日程調整の候補日を聞いた後、そのほかの話題に移り2ヶ月先の会議の資料を「3日後までに欲しい」という要望を受けました。
新しいプロジェクトということもあり、こちらも内部合意形成が進んでいないことを伝えると「それはそちらの問題」で関係ないような言い方が引っかかり「あなたはそう思うんですね」と仕返しをくらわしました。
すると、「普通は」と色々な手順や背景を話してくれました。
聞かせてもらい、自分の至らなさを反省しつつも、「調整してみます」と応えるのが精一杯だった。
要望には極力応えたいと思いつつも、一手間も二手間もかかることに腰が重くなりました。
なにより、コミュニケーションコストがとてもかかることがストレスです。
誰かの「普通」に合わせるのってめちゃくちゃしんどい。
「そんなの知らん」と大声で言いたくなる。
そういうことも含めて調整なんでしょうか。仕事なんでしょうか。
会社員の同志たちよどう思う?
自宅に帰り、妻にこのことを話したらご指導をいただきました。
「事柄」と「感情」を分けよ!
なるほど。確かにそうかもしれない。
事柄だけ受け止めると、調整してみてできなかったら、その理由をちゃんと伝えればいいだけのことなんです。
資料が多少遅れても、誰も死ぬわけではないんです。
それに相手の機嫌が悪かったのかもしれない。だって人間ですもん。
でもさ、そんな簡単に整理できたらこんな引きずってないよ。
そういえば、小さなことに引っかかって、ネチっこく言い返していたなと振り返っていると妻から「そういう陰湿なところあるよね」とまたしてもご指導いただくことに。
その一言に、自分の鏡のような相手の部分に触れて、嫌なところが引き出されたのかもしれないと思いました。
どこまでいっても至らないのだから、これぐらいで下を向くのはまだ早いかもしれません。
そんな自分を感じた今日の出来事でした。
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