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野菜にぶん殴られて、泣いた日の話

野菜にぶん殴られて、泣いたことがある。

玉ねぎの刺激に、ではない。
ほぼ鈍器みたいなかぼちゃに、でもない。

春、小料理屋で、ふきに泣かされたのである。


22歳のわたしは、日々の暮らしに擬態する虫だった。同級生は次々に社会人として羽化し、立派に羽ばたいていく。それなのに、わたしは就活から離脱したまま人生のレールを敷けず、いつまでも飛べないままだ。惨めで、恥ずかしくて、今にも消えそうだった。

「ちゃんとしてそうな夢」をあれこれ試着してみても、どれもブカブカで、あるいは窮屈で、しっくりこない。


似合わないなりに夢みたいなもので武装し、地面を這いつくばっていたある日、携帯がなった。

「近くに馴染みのうまい店があるから、行こうよ」

気は乗らないが、うまい店なら話は別だ。擬態虫のくせに、食い意地だけはむくむくにみなぎっている。財布の中身を確認し、指定された小料理屋まで20分ほど自転車を飛ばした。




こんなところに飲食店……? と戸惑う半地下のような場所に、その店はあった。小料理屋といえど、風情は定食屋だ。

まぁ、変にオシャレな店より、気が楽かもしれない。わたし、部屋着みたいな服だし。なんかセーターに毛玉ついてるし。

ずっしりとした木の扉を開けて、一歩。
入り口の段差につまづきそうになってよろけると、温かな空気と甘辛い醤油の香りに全身を抱き止められる。

店内を見渡すと、カウンターで見知った人が手を挙げた。大学時代にバイト先で知り合った知人、誘いの張本人である。

「久しぶり。ここはね、日替わりがうまいよ」

すすめられるがまま、日替わり定食を頼む。まだまだ寒いね、とか、そういえばアイツが最近結婚してさ、とか、挨拶代わりの話題をいくつか出してしまうと、もう話すことがなにもなかった。

人生が夢や希望で溢れていたら、ちゃんとナニモノかになっていたら、こんなとき、きっと話が尽きないのだろう。

やっぱり、来るんじゃなかった。
ほんとうは、家を出た瞬間から、もうずっと、帰りたいのだ。


「お待たせしました。はい、日替わりね」

手持ち無沙汰をごまかすように、いじいじとおしぼりを丸めていると、女将が目の前に盆を置いた。ツヤのあるご飯に、焼き魚。いくつかある小鉢には、野菜やら、ひじきを煮たのやらが乗っている。

話に相槌を打ちながら、小鉢のれんこんに手をつける。その瞬間、知人の声が消えた。



……?


なんだ、これ。


むっちりとした絶妙な食感。噛む喜びを味わったあと、静かに追いかけてくる甘み。からだに溶けるように馴染み、自分の中の「空虚」が静かに埋まっていくような感覚。
……れんこんって、こんなふうに心身に入りこんでくる野菜だったっけ?

小松菜の煮浸しに箸を移す。
ジャキッという咀嚼音が脳内に心地よく響き、やはりそのままスーッと体に馴染んでいく。おいしい。もしかして、ロイヤルなご出身の小松菜なのだろうか。品がよすぎて、毛玉だらけのセーターが恐縮している。


明らかに夢中でがっつくわたしを見て、友はニッと笑った。



気づいたら、わたしはその店に足繁く通うようになっていた。ほんとうに、なにを食べてもおいしい。味わうたびに、その時々の感動がある。

米の粒の立ち方、椀種わんだねのセンス、野菜の佇まい。おいしさにしみじみと胸を震わせ、女将に感動を伝え、あわよくば……とコツを聞くと、女将はいつでもにこやかに答えた。

「米を研ぎ終える瞬間は、音の変化で判断するの」
「玉子焼きはビビらず、しっかり強火で大胆にね」
「ひじきは極力触らず、キューティクルをちゃんと守ってあげて」

へぇ! と目を輝かせると、女将は「なんだか娘ができたみたい」と笑う。それがまた嬉しくて、ますます通った。

心をひらくと、わたしは相手に対して、なんらかのダムを崩壊させてしまいがちである。怒涛の愛と信頼が、せき止められることなく彼女に向かって流れていく。


ある日、女将がぽつりと言った。

「暇なとき、うちを手伝わない? お金がもらえる料理教室と思ってさ。料理、好きでしょう」

突然の提案に、わたしは戸惑った。人生の手札に「食の仕事」という選択肢はなかったからだ。わたしはまともに働きもせず、学生のような時給で料理を教わっている場合なのだろうか……?

「もう少し考えろ」——理性はたぶん、そうささやいていただろう。でも人生には、よくも悪くも、理性がまったく力を発揮しなくなる瞬間がたびたび訪れる。

直感に突き動かされ、わたしは人生に「食」を引き寄せた。



初日の天気は、今でもよく覚えている。
雲が重く空を覆った、寒い朝だった。もう4月もなかばだというのに、指先がかじかむ。

店に入ると、カウンターに置かれた巨大なボウルと目が合った。ボウルには水が張られ、ガサついた無骨な黄緑の棒が、大量にクッタリ浮かんでいる。

仕込み中だからか、店内は暗い。カウンターだけに明かりが灯され、光を欲しいままに受けたボウルが、そこだけ春の夜明けのように静かに輝いていた。


「おはよう! ちょっと今手が離せないから、その蕗の皮、むいといてくれる?」


女将が調理場から大きな声で指示を出す。蕗って、この黄緑のやつか。皮……? どうやってむくんだろう……。

初めましての蕗を前に固まっていると、「少しむけているのがあるでしょう? つかんで引っ張ったら一気にいけるよ!」と、女将からフォローが飛ぶ。


見るとたしかに、ストローの先に切れ込みを入れたような状態の蕗がある。むかれた部分はすべすべと柔く澄んでいて、そこだけ妙に生々しい。恐る恐る繊維をひっぱると、シュルッと小気味よく皮がむけた。

全身あらわになった生身の蕗は、淡い色彩にも関わらず、たしかな存在感を放っている。


知らずのうちに、動悸が激しくなっていた。

この鮮烈な佇まいはなんだ?
直に触れていいのか不安になるほど柔らかく揺れる蕗の、このたくましさはなんだ? 目線をそらせない美しさは、膨大なエネルギーの正体は?


眼と指先から、蕗の鼓動が伝わって、心臓がどくどく呼応する。一本、もう一本と、皮をむく手が止まらない。

透明な肌があらわになっていく過程を見守っているうちに、頬をパンっと叩かれたような気がした。おい、起きろよ。お前も、その重い鎧、さっさと脱いじまえよ。

がっちり着込んでいたはずの鎧が、蕗にそそのかされて、自ら脱ごうとしている。……でも、そんなのはぜったいにダメだ。わかってよ。脱いでしまったら、わたしには、なんにも残らないんだからさ——


ぜんぶで蕗は40本分ほどだっただろうか。
夢中で作業を終えると、ボウルにはすっぴんの命が満ちていた。春のすべてが、ここにあるみたいだった。


「終わりました」と女将に声をかけるのと、涙が頬を伝うのと、どちらが先だっただろう。

わたしは、どうしようもなく泣いていた。
蕗の強さとか美しさとか、そんなものに思いっきり殴られて、ボロボロになっていた。

「ただ在るだけ」の圧倒的生命力が、心を捉えて離さない。蕗に触れた瞬間から、ずっとドクドク、からだが熱いのだ。顔も痛いし、ドドドドっと鳴り続ける心臓も壊れそうだし、鼻水も出てる。そのぐらい、感動と衝撃で、全身がおかしなことになっていた。

蕗に感動し震えた心が、そのまま猛スピードでどこかへ飛んでいきそうで怖い。いかないで。わたしを連れていかないで。怖い、怖い、怖い。

脱ぐまいと思っていたのに、涙が勝手に武装を解除していく。奥深いところに閉じ込められていたなにかが、感動と一緒に、そのまま大気圏を突き抜けていった。


2ヶ月ほどの料理修行の間、わたしはあらゆる野菜に殴られ続けた。どの野菜ものびのびと自分らしく、力強くてわがままで、美しかった。
料理を習っていたはずなのに、気づいたら野菜たちに鍛えられていたようだ。

もっともっと殴られたくて、結局わたしは、本格的に食を軸とする仕事に就いた。結局10年以上形を変えながら、今も食に関わり続けている。


今思えば、わたしの羽化は、蕗をみた瞬間に始まったのかもしれない。

遥か遠くに思い描いていた夢の姿ではなく、自分に戻っていくという形で、わたしは飛んだ。羽は小さいし、距離もたいして飛べないけれど、今、あの頃よりずっと、自分らしくいられている。

導いてくれたのは、あの日の蕗であり、野菜たちだ。「らしさ」だけを握りしめ、すっぴんで堂々としている命たちだ。

野菜は、かっこいい。でこぼこでも規格外でも、本人たちはそんなことちっとも気にしない。出来の良し悪しを、他人のものさしで測ったりしない。

着飾りもせず、評価も求めず、それぞれの「らしさ」だけで生きている。その「らしさ」は、ときに人生を変えるほどの衝撃と感動を、見知らぬ誰かに与えることもある。

人も、同じなのだろう。

(野菜と違って、評価がもらえたら、もっと嬉しいけれど)

自分らしく生きている人が、知らずのうちに周りに与えるピュアなエネルギーには、とんでもない魅力がある。のびのびと心地よく生きる人は、美しい。

そんなの綺麗事じゃん。やっぱりわたしなんて、と、くすぶっちゃうこともある。生きていればいろんな日がある。でもその度に、頬に受けた気合いを思い出すのだ。



足繁く通ったあの店は、もうない。
ほんとうはあの店、小料理屋でも料理教室でもなくて、生き方に悩む人のための、幻の道場だったんじゃないの? と、たまにそんなことを考えたりする。


蕗に殴られて、わたしは知った。大気圏を突き抜けた先に、半径1mに、手のひらに、自分の中に、みんな自分だけの「らしさ」を持っているということを。

願わくば、自分が発したものが、いつか誰かにとっての蕗となってくれたら。

それが、今のわたしの、めいっぱい背伸びをした夢である。





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