トークノートで呟こうと書いていたら長くなってしまったので、だからコラムっぽく書き換えてみようと思います。
写真はぱくたそより♪ありがとうございます♪ぱくたそのいししさん♪
フォークランド諸島に浮かぶ座礁した廃船|ぱくたそフリー素材 https://www.pakutaso.com/20160933251post-8948.html
ということで、こちらから
何となくこんなことになりそうという感覚は誰でも想像できている。
そう、分かっているから暗黙のルールが出来たり、
人は注意しようと行動する。
でも、信じたくないことに蓋をして
見て見ぬ振りをし続ける事は出来る。
だろう運転 - Wikipedia https://buff.ly/2yamp79
楽観的に物事を考えて、皆で注意していれば問題にはならないだろう。
性善説が生きてくる世界観だ。
改善する時間が無いとか
改善するお金が無いとか
理由をあげると切りが無い言い訳が山のように溢れ出す。
原子力発電所はコスパが良いだとか。
それがやがてくる悲劇だとしても
今、起こるかもしれないけど、注意していればと怠る行為で
後々の事故に繋がってくると感づいていても。
交通事故もVALUも
そういう事故と同じ道の上にあった。
これが事故が起きる理由だ。
性善説は事故を起こしやすくすると言える。
私たちは注意深く生きていく未来を作る事が出来る。
「石橋を叩いて渡る」
崩れるかもしれないモノは、崩れるか試してみてから、確認してから利用すれば良い。
プログラミング思考で考えるならば、テストドリブン開発です。
TDD(test-driven development)です。
テストドリブン(TD)です。タイム・ダイブ(Time DIVE!!)ではありませんが……
テスト・ファーストとも言われています。
国民ファーストや都民ファーストみたいですね。
私はテストドリブンの言葉のほうが好きです。
まあ、そこはどうでもいいですかね。
言い方がどうであれ、この考え方が性悪説です。
と言うよりも、言い方を変えましょう。
「性善説の生命は、性悪説によってのみ救われる。」
「0歳から年齢を重ねると知恵を身に着けて悪行を成す」が性善説です。
これを物に例えると、作られた初期の新品はすぐには壊れません。
時間を経て老化現象とともに摩耗していき故障へと繋がります。
ここまでが性善説です。
そして
「人の本性は欲望に駆られて行動するのであって、善行は後天的習得によってのみ可能」が性悪説ですね。
これを物に例えると、物は使い方を誤ると故障の原因になり、やがて劣化して行き、その物の利用方法を知らないままでは故障がないか調べることも出来ない利用方法や故障しない使い方を習得する事で継続的な利用が可能となる。
と言う考え方になり、これは性悪説なのです。
私たちの世界は物余りな世の中になりました。
ゼロからモノゴトが作られることはほとんどありません。
あるモノから別のモノへ変わることがあっても、それは進化であってゼロからの誕生ではありません。
純粋無垢な誕生があったとしても、今は進化の速度は早まるばかりです。
性善説では命を救うことまでは出来ません。
そうなっている。そうなっていく。と言う話なだけなのです。
でも性悪説は、知識の習得で改善できると言っています。
ジコを未然に防ぐことが出来るのは、これからの時代、性悪説しかないでしょう。
それは、どのようなことでジコによる崩壊が起きるのかを、事前に予測するということとも繋がります。
すなわち「石橋を叩いて渡る」
テストドリブンという事になるのです。
プログラミング思考的に、テストドリブンはどのように作られるのかを解説しましょう。
テストドリブン開発に必要なモノは、インターフェースです。
私は「インターフェース」を「コミュニケーション」と置き換えて説明しています。
適切な場所に、適切な「コミュニケーション」があることで、その「コミュニケーション」でチェックが出来る。
すなわち、「コミュニケーション」とは「チェック機構」であり、問題の早期発見をロジカルにする為のものなのです。
この「インターフェース」、「コミュニケーション」の一塊は、オブジェクト指向の一つの行為毎に作ります。
オブジェクト指向といえば、オブジェクト指向みたいな小説を今、書いているわけですが(^-^;
オブジェクト指向みたいな小説|ふぃろ 【マガジンに来てね♪】|note(ノート) https://note.mu/otspace0715/m/m4e7119a6a103
メソッド、振る舞いの部分にあたります。
一つ一つの行動が、「インターフェース」、「コミュニケーション」の「チェックポイント」となります。
石を叩いて、この石に足を乗せても安全かどうかを見る行為です。
窓を開けても安全なのか確認します。
ピンポンと玄関のチャイムがなっても不用意に開けたりしません。
誰が外にいるのかを、私たちは確認してから開けるようになりました。
そういう確認の行為、誰が待っているのか、エラーになる人物なのか、その時は、どういう振る舞いをするのがベストな行動なのか、これらを考えて行動します。
想定外の人があなたの玄関の前にいるわけです。
想定外の人がいる時の行動をしなかったら、あなたは包丁で刺されて殺されてしまうかもしれません。
お分かり頂けるでしょうか?この行動は犯罪ですが、性善説に則った行動の果ての事故です。
あなたが不用意にドアさえ開けなければ、この事故という犯罪は未然に防げたでしょう。
ここで生きてくるのが性悪説です。
人は欲望にかられて行動する。
どんな災難が起きるのかを事前に知っている筈です。
分かっています。感覚的に、その感情が「怖い」です。
恐れを感じる心があるならば、あなたは事故を未然に防ぐことが出来るでしょう。
知らない人がドアの向こうにいる、なんだか感情が高ぶって怒っている知人がドアの向こうにいる。
ならば、あなたは怖いはずです。
あなたのドアの向かう側にそういう怖い人がいるなんて、「想定外」でしょう。
でも、感じれる心があれば、この恐怖を回避出来る。
事故を未然に防ぐ為のトリガーは「怖い」です。
ロジック的にエラー回避する手段も「怖い」です。
テストドリブンで、「インターフェース」に「コミュニケーション」を取らせて、こんなことが起こったら「怖い」とエラーを抽出します。
起こりうる全ての「怖い」という恐怖感に、メスを入れます。
戦争が起きたら「怖い」
その時、私たちにできる「コミュニケーション」は何ですか?
私たちは、事前に何が起きたら「怖い」のかを知っています。
何となくこんなことになりそうという感覚は誰でも想像できている。
「怖い」事を無くしていきましょう。
それが出来るのは「コミュニケーション」です。
「石橋を叩いて渡る」
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