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離島から始まるライターの道。不安を乗り越え「楽しい道」へと突き進む。

ライターを目指し会社を退職。実際に働く中でギャップを感じながらも「あらゆる不安を乗り越えて、自分の楽しいと思う道に突き詰められる人になりたい」と語る彼女の想いとは?

島根県の離島、隠岐島前地域で大人の島留学に参画した皆さんの来島前・来島後、そしてこれからについてお届けする「私、島で働く。」

来島のきっかけから島での仕事・暮らし、自分自身の変化など1人1人のストーリーをお届けしています

R6年度、大人の島留学生として西ノ島に来島。
西ノ島町役場の政策企画課で西ノ島町役場公式noteや移住者向けインタビューブックの執筆をしている小林由妃乃さんにお話を伺いました。

小林由妃乃さん
取材当時26歳 愛知県出身

会社を辞め、未経験でライターの世界へ 

私は前から「お母さんみたいな人を増やしたい」というのが就活の軸でした。私のお母さんは、仕事も趣味のように働いている感じで、それがすごい羨ましくて、こういう人に自分もなりたいし、こういう人が増えればもっと世の中良くなるんじゃないかなとずっと思っていました。

そこから人の生き方や働き方に興味があって、人のスキルアップを支援する教育業界の会社を選んだのですが、ものすごく忙しかったんです。自分がもし将来家族を持った時に、この仕事をずっと続けるのは難しいだろうなと思いました。

じゃあ何がしたいんだろうと考えている時に「もしかしたら文章を書くの好きかも」と思った出来事があって。会社にいくつか賞があって、その中でお客さんとのエピソードをレポートに書いたもので賞を頂きました。

人見知りの性格だから、話して気持ちを伝えるのが苦手で、よく親とか友達にも手紙にして自分の気持ちを伝えていました。それが自分の中での表現方法だったから、文章書くことは昔から好きだし苦じゃないことに気づいて、文章を書く仕事をしてみたいなと思い始めました。

いろいろ悩んだけど、とりあえず会社はやめてみて。どういう風にライターの道に行けるか探している時に、たまたま大人の島留学の記事を見つけました。

ライターになるには実務経験が2年以上必要とか条件もあったけど、大人の島留学は未経験でライターの経験ができそうだったし、挑戦のハードルは低そうだなと感じて、参画することに決めました。

退職時に職場の方からサプライズで用意していただいたケーキ

居心地のよさで選んだ西ノ島

ライターの仕事を経験しに島留学に来てるから、最初は色んな人に出会えて、色んな人にインタビューできる海士町がいいかなと思ってました。でも私の性格的に、大人数よりも少人数で話してる時の方が居心地がよくて。

海士町は大人の島留学生が80人くらいいて多いけど、知夫は4人で少ない、西ノ島は11人でちょうどいいなと思っていたので、挑戦をするか居心地が良い方にするかすごく悩みました。

その時、コーディネーターの方に「仕事も環境も全部変わって、それだけで挑戦だから、暮らしぐらいは自分の居心地が良い方を選んだ方がいいよ」と言ってもらえて西ノ島に決めました。

西ノ島にある摩天崖での写真

インタビューで生まれる島の人との繋がり

人の話を聞いてる時が一番楽しかったです。インタビューじゃなかったら、初対面の島の人にこれまでの生き方や考え方を深く聞くことは無かったと思います。そこでいろんな話をするからこそ仲良くなれました。

最初のインタビューは馬飼い兼建設会社の方で、あいら鮨のお店を建てた方だったので、写真撮影の許可も兼ねて友達とあいら鮨に行ってから、店長と繋がって今バイトさせてもらってます。

ホテル国賀荘の社長には、インタビューしてから「バイトしない?」って誘っていただいて、国賀荘でもバイトするようになりました。

でも、最初から最後までインタビューをしてもらう人を探すのは大変でした。最初西ノ島のコーディネーターの方に「誰か紹介してください」ってお願いしてからすぐ1人紹介してくださって。

インタビューした方に次のインタビューする人を紹介してもらって、数珠繋ぎみたいにしてお願いしてました。身内のお願いだったら応えてくださる人も結構いたから、去年できなかった人も今年はインタビューさせてもらえたりしたので、それはすごい良かったなと思います。

帰る場所、たまに遊び場所。

勝部邸はシンプルに帰る場所(笑)でも「帰る場所」って思えるのって大事だなって思っていて。私にとって生活してるときは普通に家なんだけど、リビングで集まったりする時は、共有の遊び場所みたいな感覚です。

この前は勝部邸Tシャツを作る話になった時、みんなでダサい恰好をしたものをプリントしてTシャツ作ろうってなって、急遽始まったダサい格好選手権。私結構自信あったんだけど、みんなが想像以上に凝ってて、私が普通に見えてしまうっていう(笑)

毎晩突如始まる筋トレとか、地域のお世話になってる方を家に呼ぶ招待パーティーも面白いな。こんなに地域の人たちを家に呼んでるのは、勝部邸くらいだと思います。

これからは「小林由妃乃」として

ライターになりたいと思って島にきたけど、この1年経験してみてライターを本業にしようとは思わなかったんです。今はむしろ副業にしたいなと思っていて。

「西ノ島町役場としての自分」で書くことがすごい難しかったから、何かに所属してライターをやるとなると、どうしても自分がしたい表現は100%できなかったり、書きたいことが書けなかったりすることがあるかもしれないなと思いました。

それだったら所属せずに「小林由妃乃」として書ける方が楽しいかなって思って。でもそれを本業にしようと思うとなかなか食べていけないので、副業でちょっとずつなんかやろうかな、みたいなのは考えてます。

例えば、毎日書いてる日記を今年は本にしたいと思っています。クラファンもやるかもしれないので、よかったら見てください!

観光から移住のきっかけを 

島留学卒業後は、地域おこし協力隊として西ノ島町役場の政策企画課に残ります。今やりたいと考えているのは動く移住窓口を作ることで、キッチンカーみたいにしつつ、商品を買いに来てくれる観光客の人に西ノ島の魅力をもっと伝えたり、移住のパンフレットを積み込んで、観光だけじゃなく移住も考えてもらえるような仕組み作りをしようと考えています。

理由としては、移住を歓迎してるのに歓迎ムードが伝わってこないのが課題だと思ったので、「西ノ島」と調べて、移住の情報がもっと簡単に手に入ったりとか、移住を歓迎しているムードが外から見てわかれば、もっと良くなるんじゃないかなと思ってます。

あとはイベントなどに気軽に行けないような集落のおじいちゃんおばあちゃんにも楽しんでもらえるような居場所作りをしたいなと思っていて。私たちがその集落に行って集まれる場所やコミュニティづくりみたいなのも同時にできたらいいなと考えています。

不安を乗り越えて自分の楽しい道を突き詰められる人に

自分ではわからないけど、お母さんに言われたのは「色んな感情を出せるようになったね」と言われました。

小さい頃から、なんでこれやってんのかわかんないけど、とりあえず頑張ってみる、みたいなタイプだったから「楽しい」とか「これやりたい」というプラスの感情を自分から思ったことがありませんでした。

でもここに来て「あれやってみたい」って思うことが増えたし、「笑うことも増えたね」とも言われます。

どこかで自分で何かを踏み出してみれば、いいことはどんどん増えていくだろうし、そのままだったら自分の思い描いていた島留学にはならないかもしれない。行動ひとつで1年の充実度が変わる島でもあると思います。

将来は、最初話してたお母さんみたいな生き方だと思うんだけど、不安を乗り越えて、自分の楽しいっていう道を突き詰められる人になりたいと思っています。

「将来のお金」「キャリア」「結婚」みたいな、いろんな不安がみんなあって「やっぱ楽しいだけじゃだめだよね」って思ったりもするけど、そういういろんな不安を乗り越えて「楽しいだけで生きていけるんだよ」みたいなのを、証明できる人になりたいです。

(R6年度大人の島留学生:中島)


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