思い描いていたキャリアだけじゃない。「知る」という時間が気づかせてくれたこと。
大学休学中の4年生。
海外へ留学するつもりが、気づけば海士町で9カ月。
大きなプロジェクトに携わり、たくさんの人と出会った彼女がこの島で得たものとは。
R6年度大人の島留学3ヶ月生(4-6月期)として海士町に来島。
海士町役場総務課に所属し、新庁舎魅力化プロジェクトの一員として働いた、磯村佳凛さんにお話を伺いました。
海外ではなく、留学先は海士町。
磯村さん:
私の大学は休学する人が多くて、外国語大学なので大体の人が海外へ留学に行くんです。私も1年間休学して、今年の夏に語学留学しようと思っていました。
語学留学までの間、島で3ヶ月暮らして戻ってくればタイミングがちょうどいいなと思って。それと、私のおばあちゃんが島根県出身で「島根には1度行ってみてほしい」と言っていたことも思い出して。
大人の島留学の制度自体は、大学の先輩を通じて知っていました。
海外に留学したら勉強が中心になってしまう。
その前に、お仕事も体験したいと思って応募しました。
磯村さん:
来島後は、海士町の新しい役場に関わる仕事をしています。
新しい役場をメインで担当する、総務課の方のサポートや新しい役場を魅力的なものにする「新庁舎魅力化プロジェクト」に関わらせてもらいました。
磯村さん:
最初は「図書館に興味があります。」と話していたんですけど、新しい役場に関わるこんな仕事があるんだよと聞いたらすごく気になってしまって(笑)
私が来島した4月。新しい役場の建設は進んでいたのですが、役場に設置する家具をリメイクする話やワークショップの実施など「新庁舎魅力化プロジェクト」がちょうど動き始めた頃で。
外に発信していくお仕事というよりは、人が集まる公共施設で一緒に何かをやらせてもらったほうが、地域のみなさんとも関わる機会が増えるだろうなと思って、ここで働くことに決めました。
「知る」ための時間。みつけられた楽しさ。
磯村さん:
はじめの頃は、上司についていっていろんなミーティングに立ち会いました。建設現場の方々とも面識ができたり、リメイク家具の話も本格的に動き始めたので、それに伴って任せてもらえる仕事も増えていきましたね。
もともと3か月で離島する予定でしたが、新庁舎魅力化プロジェクトに関わったことが延長の決め手になりました。
▼新庁舎魅力化プロジェクトの取り組み
磯村さん:
実は、来島時はシェアメイトの仕事と自分の仕事の対比に悩んでいて...。
シェアメイトは、接客業で1日、2日で戦力みたいな。シフトもバンバンいれて、仕事も継続的にある。私は会議についていくだけで、「何も役に立てていないな」という複雑な気持ちになることが多くて。「このままじゃ帰れない」とかなり序盤から延長を考えていましたね。
磯村さん:
でも、今振り返ると最初は「知る」ための時間だったなと思います。
その積み重ねで、「一個一個の作業はここに繋がっているんだ」みたいなことが徐々に自分でもわかったりして。
とある日に、教育委員会の方から「工事に伴う停電っていつでしたっけ?」とアプリのチャット上で上司宛に質問がきた時があって。建設現場の会議で「○○日に停電します」と話していたことを思い出したので、上司に「かわりに答えてもいいですか?」といったらすごい喜んでくれました。会議に同席していたことがようやくここで活かされたというか…。
あと、役場で発行している広報海士に掲載する原稿を書いてほしいと頼まれて。初稿では、文章の最後に書き手として名前を明記していなかったんですけど、上司にみせたら「すごくいい!磯村さんの名前をいれて提出しましょう!」と言ってくださって。
尊敬している上司の役に少しでも立てたことがうれしくて、今でも鮮明に覚えています。
磯村さん:
正直、最初の3ヶ月は自分から主体的にできたことは少なかったですけど、「知る」時間があったから残りの半年間、めちゃくちゃ楽しく、いろんな仕事を任せてもらったなと思います。
竣工式では新しい役場の2階に展示ブースを作成しました。ワークショップに来た人が「これ作った家具だ!」と言っている姿をみて、家具への思い入れも実感できて。延長したからこそ、見れた景色がたくさんありましたね。
島暮らしを味わう余裕と暮らしやすさ。
磯村さん:
暮らしの面は、もともと実家暮らしだったので「誰かと暮らす」とか、「ご飯はどうする」とかちょっとだけシェアハウスが不安でした。
1年の大人の島留学は、1年間同じ人と住むと思うんですけど、私は3か月を延長してさらに延長したので、メンバーも3ヶ月ごとに変わって、4人のときがあれば、6人のときもあって、今は2人で暮らしています。
6人のときはシェアハウスって感じで、わいわい毎日がイベントのようでした。それはそれで楽しかったけど、2人になってより島の暮らしに目を向ける余裕が出てきた気がします。最初は「2人って寂しいね」なんて話していたんですけど、今では「2人っていいな」って言っています(笑)
磯村さん:
島の暮らしは、物価が高かったり、品数が少なかったりするけど、お店に行って納豆1個買うにも種類がある中から選ぶより「これ!」って選びやすいし、牛乳も安いか高いかの2択であれば安いほうを取ります。なのでそこまで、生活面で困ったことはないですね。
海士町の人は、外から来島してくる人に慣れているというか。いろんな前提があっての今かもしれませんが、近所の方から「今年は何人来たの?」という質問が飛んできたりもして...。
磯村さん:
どこまで受け入れられているかはわかりませんが、そうやって気にかけてもらえる環境は暮らしやすいなと思います。
仕事でも、いろんな所をまわらせていただいたので、知っている顔もいっぱい増えました。
今では、図書館やキンニャモニャセンターに行くと必ず知っている人がいるので、ふらっと立ち寄るとパワーをもらいます。
「仕事」のイメージとキャリアの選択肢。
磯村さん:
海士町にきて、変わったなって思うことはたくさんありました。
私の親は、「一回就職したら、辞めずに働き続ける。」みたいな「安定した道に進んでほしい」という気持ちがあって。私もずっとそうだと思っていました。
だけど海士町には、それどころじゃないくらいセカンドキャリア以降の人が多くて、「そんな大企業から!?」という衝撃もありましたね。
でも、一緒に働くなかで、「島のこういうところが面白い」とか「面白いことをしようよ」みたいな人が集まる雰囲気ができている。だから、こうして海士町には人が集まるんだろうなと思いました。
磯村さん:
就職後は、「働いて、楽しい!」とかじゃなくて「働いて、生きる。」しかないと思っていたのに、海士町にはすごく面白そうに働いている大人がたくさんいる。
親の言っていることも一理ありますが、「1つの会社に一生いなくても道はある。」ということを知れましたし、いろんな業種の人と関わる中で、「ものづくり」の面白さをすごく教えてもらって。キャリアを考えるうえで、選択肢が増えました。
はじめの苦労が次のステップを明るくする。
磯村さん:
大人の島留学制度があったから島に来やすかったなと思います。「絶対にこれがやりたい!」という意欲も大切ですけど、島にはすでに生活している人がいて、その人たちの暮らしもある。
もちろん、最初から戦力になれることもすごいことですけど、はじめの苦労があったから今わかったことがたくさんあるので、私自身もそういう経験は無駄じゃなかったなって思います。
来てすぐにあれやりたい、これやりたいよりかは、まずはいろんな人と話したり、手伝ったりして、自分が「知る」時間をつくることも大切だなと実感しました。
(R6年度大人の島留学生:渋谷)
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