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忘れ物が多い私が、お風呂場の石鹸を新調するためにできること。

 風呂場の石鹸スタンドの上に、石鹸がないことに気づく。

 風呂上がりに新しいものを置いておこうと思って、いざ上がるとそのことをめっきり忘れてしまい、それを寝る前に思い出す。

 二度、三度繰り返して、今度こそ! と思ってスタンドを見やれば、既に実家の誰か(おおかた父親だろう)が新調した後だった。

 ……なんてことを、三ヶ月ほど繰り返している。日記に記しておけば少しは忘れないだろうか。苦笑い。


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 幼い頃から忘れ物は多い性分だった。

 定番は、というか9割は小中学生の頃の、給食セット(ランチョンマット、箸、布マスクのセットのことだ)だった。

 でも、たまにジャージを忘れたり、部活のユニフォームで使うベルトを忘れたり、あるいは小学生の頃は、文化祭(正式には文化祭に準じた学校行事)の催し物で使うレジャーシートを忘れたりした。そもそも持ってくる担当だったことも忘れていた。

 高校の頃は、学食があったので給食セットを持っていく機会はなかった。
 しかし、中学時代に比べ、必要な教材が一気に増えたことで、今度はそっちの忘れ物が発生した。

 友達が少なかった私は、隣席のクラスメートに見せてもらうのが申し訳なくて、ロッカーや引き出しには常に教材が敷き詰められていた。それでも、たまに教材が新しくなったり、あるいは配布済みのプリントを持ち帰ったままにしたりして、忘れることがあり、そのときは肩身が狭い思いをした。

 教科書を忘れたときの、周りのちゃんと持ってきている感は凄まじい。まるで周りにいる他人が、大きくて冷たい塗り壁のように見えるのだ。心の中では怯えた忘れん坊ラットが震えていた。

 ……そう思えてしまったのは臆病な自尊心と尊大な羞恥心ゆえだろうか。さっさと虎になってしまえ。

 ともあれ、こうして数多くの忘れ物をしてきた自分は、しかし、今まで、どうして忘れ物をしてきたのか、について深く考えていかなかったように思う。自分の興味がある事柄に関して、忘れ物をすることはなかったし、たった1つの忘れ物で生死が問われるわけではない。ぶっちゃけそこまで考えていないけど。
 

 天下のGoogle先生で「忘れ物が多い」と検索をかけると、トップに出てくるのはADHDだったり、発達障害だったりだ。
 そういった診断は受けたことがないが、そうなのかもしれない。確証は持てない。業務に支障が出る前に一度、診断を受けるべきだろうか…。

 ともあれ、私自身に今、できることは、どうして忘れ物が起きるのか、ということと、その対処法である。

 忘れ物をする原因ってなんなんだろう? 調べてみた。

 どうやら、忘れ物の原因には3パターンがあるらしい。

 1つ目は、動機付けが欠けている場合である。(中略)2つ目は、展望的記憶事態に直面した時に、その事態を展望的記憶事態として認識できない場合。(中略)そして最後が、展望的記憶事態に対処するために必要な知識やスキルが欠如している場合である。((1) 小林 敬 一. 忘れ物を防ぐために利用可能な資源の中身の学年差(資料). 教育心理学研究. 1995, vol. 43, no. 3, p. 297.)

 多くのサイトに「注意力が散漫であること」と書かれていた一方、論文のソースから、上記のような原因があることが分かった。「注意力が散漫」で片付けてしまうより核心をついているように見える。

 確かに私は注意力が散漫な方だった。忘れ物に限らず、小テストでケアレスなミスが頻発したことは何度かある。

 しかし、そこには深い動機づけがなかったように思う。現に、一方で、大事な機会(主に入試、あるいは4月から今にかけての社会人生活)では、忘れ物はしていない。

「なるほど、動機づけが足りなかったのか!」

 出した結論は、あくまで付け焼き刃でしかない。しかし、この結論はシンプルかつ納得できるものだった。

 そういえば私は会社のPCに退勤時間のリマインドをするよう設定してある。そのおかげで、退勤の打刻を忘れたことはない。
 それ以外にも、社会人になって手帳をフルで活用することが増えた。在宅勤務があれば、事前にその日の予定に書き込み、肌見放さず持ち歩く。出勤と退勤時、そして帰宅後に明日の予定を確認する。しつこいほど確認する。 

 なぜなら、お金をもらって仕事をするということは相応に責任が発生する行為であり、1つのミスが同じ職場で働く多くの人の時間や手間をとってしまうからだ。きちんと動機がある。

 なるほど、自分に意識させるためには、「忘れ物をしないようにしよう!」という決意なんかより、「どうして忘れてはならないのか?」を考える方が効果的らしい!

 上記を踏まえて、ひとまず、日常的な忘れ物を減らすために私ができることは以下の2つだ。

・手帳を持ち歩く。(メモ代わり。ただ忘れないようにメモを取るのではなく、どうして忘れてはならないのか、動機の部分も書いておく。アナログ媒体)

・iPhoneでリマインドする(デジタル媒体で手帳と同じように確認できるようにするため。定期的に通知を入れる)

 こんなん当たり前やろがい、というツッコミは座して受けるつもりだ。
 しかし、今まで考えなしに忘れ物をしてきた自分からすれば、大きな一歩だろう。

 そして、当たり前にすべきことが当たり前にできて、忘れ物との縁が切れていたら、ちょっとだけ、昔の忘れ物をして萎縮していた自分の肩を叩けるかもしれない。

 私も案外、ちょっと頭捻ってみれば、やれるもんなんだよって。今は、天下のパスカル様の名言に従って、ちょっとだけ深く考えて実行することを続けてみようと思う。

『人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である』(パスカル『パンセ』より)


 取り急ぎ、次に石鹸を使い切ったのに気づいたら、忘れずに新調したい。ほんのちょっと変わった自分を褒めてあげたい。

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